RKBドキュメンタリー映画祭 ペア招待「苦海浄土」
RKBドキュメンタリー映画祭
- 制作・時間
- 1970年、49分
- 受賞
- 文化庁芸術祭 大賞
- 作
- 石牟礼道子
- 撮影
- 木下淳介、大江泰弘
- 編集
- 粟村皓司
- 音声
- 小野宏行、井上義信
- ごぜ・語り・出演
- 北林谷栄
- 語り
- 今福正雄
- 制作・時間
- 1970年、49分
- 受賞
- 文化庁芸術祭 大賞
- 作
- 石牟礼道子
- 撮影
- 木下淳介、大江泰弘
- 編集
- 粟村皓司
- 音声
- 小野宏行、井上義信
- ごぜ・語り・出演
- 北林谷栄
- 語り
- 今福正雄
映画概要
「文句があるなら、自分の親に、子に、妻に、水銀を飲ませてみろ。そうすればこの地獄が分かる」――。村野タマノは、夫との漁に出ている最中に船の上で痺れと痙攣で意識を失った。一命を取り留めたものの学術用患者として収容される。
彼女は、水俣病認定37号患者となった。入院中に知らされぬまま夫に離婚され、今も水俣の精神病院で療養中である。認定されないが症状がある息子と、胎児性水俣病の孫と共に暮らす老婆など。石牟礼道子の同名小説を原作に、北林谷栄ふんする琵琶瞽女(ごぜ)が水俣の町を彷徨い歩き、水俣病患者や遺族に寄り添う。
不知火海の漁業で生きてきた彼らの海への愛や、水俣病に苦しめられながらも懸命に生きる様を描き出す。その一方で、公害の原因となったチッソやその恩恵にあずかる市民との確執が、彼らの苦しみをより一層深くしていた。その苦しみと憤りが迫力の水俣言葉のナレーションによって吐き出される。
彼女は、水俣病認定37号患者となった。入院中に知らされぬまま夫に離婚され、今も水俣の精神病院で療養中である。認定されないが症状がある息子と、胎児性水俣病の孫と共に暮らす老婆など。石牟礼道子の同名小説を原作に、北林谷栄ふんする琵琶瞽女(ごぜ)が水俣の町を彷徨い歩き、水俣病患者や遺族に寄り添う。
不知火海の漁業で生きてきた彼らの海への愛や、水俣病に苦しめられながらも懸命に生きる様を描き出す。その一方で、公害の原因となったチッソやその恩恵にあずかる市民との確執が、彼らの苦しみをより一層深くしていた。その苦しみと憤りが迫力の水俣言葉のナレーションによって吐き出される。
伝説のドキュメンタリスト 木村栄文(1935~2011)
1935(昭和10)年、福岡市生まれ。1959年に西南学院大学商学部を卒業後、RKB毎日放送に入社。1966年にテレビ局テレビ演出部に異動し、ドキュメンタリー番組の制作活動を開始した。多彩なテーマと自由奔放な作風で、数多くのドキュメンタリー番組を制作。文化庁芸術祭賞、ギャラクシー賞、放送文化基金賞、日本民間放送連盟賞など、数多くのテレビ賞を受賞したことから「賞獲り男」と呼ばれた。
また『窓をあけて九州』や『電撃黒潮隊』のプロデューサーとしてJNN九州の後進を育成したほか、局の垣根を越えて「九州放送映像祭」を毎年開催するなど、地域の制作者たちにも広く影響を与えた。
1994年には、民放の制作者として初めてNHK衛星第2で『木村栄文の世界』と題した特集が組まれた。個人として、芸術選奨新人賞(1975)、放送文化基金賞(1988)、日本記者クラブ賞(1995)、紫綬褒章(2002)などを受賞。2003年にRKB毎日放送を退社。2006年には、NHK「ETV特集」で、「もういちどつくりたい ~木村栄文の世界」(渡辺考ディレクター)が放送される(2013年、番組と同名の評伝を渡辺が講談社から刊行した)。
2011年3月22日、心不全のため逝去(享年76)。翌2012年には、「公開講座 木村栄文レトロスペクティブ」と題して大規模な回顧上映が東京・大阪などで催された。
また『窓をあけて九州』や『電撃黒潮隊』のプロデューサーとしてJNN九州の後進を育成したほか、局の垣根を越えて「九州放送映像祭」を毎年開催するなど、地域の制作者たちにも広く影響を与えた。
1994年には、民放の制作者として初めてNHK衛星第2で『木村栄文の世界』と題した特集が組まれた。個人として、芸術選奨新人賞(1975)、放送文化基金賞(1988)、日本記者クラブ賞(1995)、紫綬褒章(2002)などを受賞。2003年にRKB毎日放送を退社。2006年には、NHK「ETV特集」で、「もういちどつくりたい ~木村栄文の世界」(渡辺考ディレクター)が放送される(2013年、番組と同名の評伝を渡辺が講談社から刊行した)。
2011年3月22日、心不全のため逝去(享年76)。翌2012年には、「公開講座 木村栄文レトロスペクティブ」と題して大規模な回顧上映が東京・大阪などで催された。
- 制作・時間
- 1970年、49分
- 受賞
- 文化庁芸術祭 大賞
- 作
- 石牟礼道子
- 撮影
- 木下淳介、大江泰弘
- 編集
- 粟村皓司
- 音声
- 小野宏行、井上義信
- ごぜ・語り・出演
- 北林谷栄
- 語り
- 今福正雄
制作年、制作スタッフ
受賞歴
文化庁芸術祭 大賞
「文句があるなら、自分の親に、子に、妻に、水銀を飲ませてみろ。そうすればこの地獄が分かる」――。村野タマノは、夫との漁に出ている最中に船の上で痺れと痙攣で意識を失った。一命を取り留めたものの学術用患者として収容される。
彼女は、水俣病認定37号患者となった。入院中に知らされぬまま夫に離婚され、今も水俣の精神病院で療養中である。認定されないが症状がある息子と、胎児性水俣病の孫と共に暮らす老婆など。石牟礼道子の同名小説を原作に、北林谷栄ふんする琵琶瞽女(ごぜ)が水俣の町を彷徨い歩き、水俣病患者や遺族に寄り添う。
不知火海の漁業で生きてきた彼らの海への愛や、水俣病に苦しめられながらも懸命に生きる様を描き出す。その一方で、公害の原因となったチッソやその恩恵にあずかる市民との確執が、彼らの苦しみをより一層深くしていた。その苦しみと憤りが迫力の水俣言葉のナレーションによって吐き出される。
制作年、制作スタッフ
監督プロフィール
- 制作・時間
- 1970年、49分
- 作
- 石牟礼道子
- 撮影
- 木下淳介、大江泰弘
- 編集
- 粟村皓司
- 音声
- 小野宏行、井上義信
- ごぜ・語り・出演
- 北林谷栄
- 語り
- 今福正雄
伝説のドキュメンタリスト 木村栄文(1935~2011)
1935(昭和10)年、福岡市生まれ。1959年に西南学院大学商学部を卒業後、RKB毎日放送に入社。1966年にテレビ局テレビ演出部に異動し、ドキュメンタリー番組の制作活動を開始した。多彩なテーマと自由奔放な作風で、数多くのドキュメンタリー番組を制作。文化庁芸術祭賞、ギャラクシー賞、放送文化基金賞、日本民間放送連盟賞など、数多くのテレビ賞を受賞したことから「賞獲り男」と呼ばれた。
また『窓をあけて九州』や『電撃黒潮隊』のプロデューサーとしてJNN九州の後進を育成したほか、局の垣根を越えて「九州放送映像祭」を毎年開催するなど、地域の制作者たちにも広く影響を与えた。
1994年には、民放の制作者として初めてNHK衛星第2で『木村栄文の世界』と題した特集が組まれた。個人として、芸術選奨新人賞(1975)、放送文化基金賞(1988)、日本記者クラブ賞(1995)、紫綬褒章(2002)などを受賞。2003年にRKB毎日放送を退社。2006年には、NHK「ETV特集」で、「もういちどつくりたい ~木村栄文の世界」(渡辺考ディレクター)が放送される(2013年、番組と同名の評伝を渡辺が講談社から刊行した)。
2011年3月22日、心不全のため逝去(享年76)。翌2012年には、「公開講座 木村栄文レトロスペクティブ」と題して大規模な回顧上映が東京・大阪などで催された。
また『窓をあけて九州』や『電撃黒潮隊』のプロデューサーとしてJNN九州の後進を育成したほか、局の垣根を越えて「九州放送映像祭」を毎年開催するなど、地域の制作者たちにも広く影響を与えた。
1994年には、民放の制作者として初めてNHK衛星第2で『木村栄文の世界』と題した特集が組まれた。個人として、芸術選奨新人賞(1975)、放送文化基金賞(1988)、日本記者クラブ賞(1995)、紫綬褒章(2002)などを受賞。2003年にRKB毎日放送を退社。2006年には、NHK「ETV特集」で、「もういちどつくりたい ~木村栄文の世界」(渡辺考ディレクター)が放送される(2013年、番組と同名の評伝を渡辺が講談社から刊行した)。
2011年3月22日、心不全のため逝去(享年76)。翌2012年には、「公開講座 木村栄文レトロスペクティブ」と題して大規模な回顧上映が東京・大阪などで催された。
制作年、制作スタッフ
- 制作・時間
- 1970年、49分
- 作
- 石牟礼道子
- 撮影
- 木下淳介、大江泰弘
- 編集
- 粟村皓司
- 音声
- 小野宏行、井上義信
- ごぜ・語り・出演
- 北林谷栄
- 語り
- 今福正雄
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