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RKBドキュメンタリー映画祭 ペア招待「88/50 ギリヤーク尼ケ崎の自問自答 ~と、それから」

RKBドキュメンタリー映画祭

RKB毎日放送は、創立70周年を記念して、3月24日から4日間にわたり、TBSテレビと共同で、計25作品のテレビドキュメンタリーを西南学院大学で無料上映します。キー局のTBSテレビが、系列ローカル局と合同で映画祭を開催するのは初めてのことです。一部の作品は上映後1週間、オンライン配信〔有料〕で視聴可能です。
88/50 ギリヤーク尼ケ崎の自問自答 ~と、それから~
上映日:3月26日(土) 12:00
 

映画概要

?場聖治(あきば・きよはる) 1971年1月15日 東京・国立市生まれ
1995年入社後、報道局社会部、各種報道番組、特別番組、外信部、中東支局長、ロンドン支局長。尖った“障碍者”アート/パフォーマーや、「右翼バンド」「エジプトのストリート・ミュージック」「イランのヘヴィ・メタル」など音楽系の取材多数。特派員としてエジプト政変、シリア内戦、ガザ紛争、英EU離脱、コロナ禍など取材。ドキュメンタリーとしては、「スマホ・パソコン・暴力・コンゴ」「同じ人間なのに~ザンビア 襲撃されるアルビノ」「街のピアノ/ウチのピアノ」「“態変”と加世子さんの左側」「“うん、ある”と言ってみるか ~ニナガワ版「トロイアの女たち」、あるいはユダヤとアラブに日本人が関わることについて」など。

監督からのメッセージ

大道芸人ギリヤーク尼ケ崎、38歳から路上で踊り始め、投げ銭をもらいながら生きてきて、90歳。パーキンソン病、脊柱管狭窄症、腰はほぼ直角に曲がり、胸にはペースメーカー。それでも踊る。踊るしかないのです。そして、人は彼に魅了されるのです。

TBS報道局ではギリヤークさんが一年のハイライトと位置付ける毎年10月の新宿公演を1998年(68歳)、2009年(79歳)と撮影。2016年(86歳)からは毎年撮影してきました。
88歳で迎えた「路上で踊り始めて50年」の記念公演に至る一年を追いかけて放送した作品に未公開カットを追加。さらにその後、ハラハラさせられた89歳での新宿公演、そしてコロナ禍で新宿から横浜に舞台を移して行われた90歳の公演の様子までを収録した特別編集版です。

誰もが向き合わざるを得ない「老い」「身体の衰え」。その上で自分は何をするのか。何ができるのか。それを追求する一人の人間の記録をご覧ください。
ギリヤーク尼ケ崎さんのことは、ご存知の方もいらっしゃるかと思います。
この作品に興味を持って頂いた方の中に直にギリヤークさんの踊りをご覧になった方がいらっしゃっても不思議ではありません。もちろん、全然聞いたことがない、という方がいらっしゃっても、これまた不思議ではありません。

初めて取材したのはギリヤークさんが68歳、(私は27歳)、路上公演30周年の時。TBS同期入社の男が「こんな人がいるんだけど取材してみない?」とサジェスチョンをくれたのでした。
毎年恒例の新宿での10月公演。ギリヤークさんは動きも俊敏で、とても68歳には見えませんでした。当時、一人で住んでらっしゃったアパートまでついて行って、一緒におひねりを数えました。

ギリヤークさん79歳(私は38歳)の時、「心臓にペースメーカーを入れた」との手紙を頂き、もう一度取材に行きました。「もう体がみっともなくなっちゃったでしょ?」「かっこ悪いでしょ?」と繰り返し気にしていました。踊りのスピード感も落ちていました。年賀状を書く手は震え始めていました。そりゃそうですよ。だって79歳なんですから。それでも「88歳/路上公演50周年」の節目までは続ける、と言っていました。「やらないほうがいいかな・・・」と言うギリヤークさんの言葉を聴きながら「そんなこと言ってもやれる限りはやるって決めてますよねギリヤークさん」と心で苦笑していました。

その後私はロンドン駐在となり、4年ほど日本を離れました。その間に3・11の大震災があり、ギリヤークさんが津波に襲われた現場で鎮魂の踊りを捧げたことを遠くの国で知りました。(なお、ギリヤークさんは阪神淡路大震災の現場やNYの9・11テロの現場でも踊っています)帰国後、いよいよ「88歳/50周年」に向かっていくギリヤークさんを折に触れて撮影していきました。それが今回の作品の前半です。86歳のギリヤークさん、87歳のギリヤークさん。体はさらに衰え、病気もさらに抱えていました。

ギリヤークさんが88歳を迎える前に再びロンドン赴任になり「88歳/50周年」の記念公演の撮影はカメラクルーにお任せすることになりました。89歳、90歳の時の公演もそうです。なので、もちろん全てのドキュメンタリーがそうですが、特に今回の作品の後半はカメラクルーの力によるものです。90歳の横浜公演には私より先に帰国した元ロンドン支局のカメラマンも私物のカメラを持って撮影しに行っていたのを後から知りました。みんな、ギリヤークさんを被写体として魅力的に感じているのだと思います。

監督プロフィール

制作年、制作スタッフ

?場聖治(あきば・きよはる) 1971年1月15日 東京・国立市生まれ
1995年入社後、報道局社会部、各種報道番組、特別番組、外信部、中東支局長、ロンドン支局長。尖った“障碍者”アート/パフォーマーや、「右翼バンド」「エジプトのストリート・ミュージック」「イランのヘヴィ・メタル」など音楽系の取材多数。特派員としてエジプト政変、シリア内戦、ガザ紛争、英EU離脱、コロナ禍など取材。ドキュメンタリーとしては、「スマホ・パソコン・暴力・コンゴ」「同じ人間なのに~ザンビア 襲撃されるアルビノ」「街のピアノ/ウチのピアノ」「“態変”と加世子さんの左側」「“うん、ある”と言ってみるか ~ニナガワ版「トロイアの女たち」、あるいはユダヤとアラブに日本人が関わることについて」など。

監督からのメッセージ

2021年/ステレオ/77分 ?TBSテレビ
ギリヤーク尼ケ崎さんのことは、ご存知の方もいらっしゃるかと思います。
この作品に興味を持って頂いた方の中に直にギリヤークさんの踊りをご覧になった方がいらっしゃっても不思議ではありません。もちろん、全然聞いたことがない、という方がいらっしゃっても、これまた不思議ではありません。

初めて取材したのはギリヤークさんが68歳、(私は27歳)、路上公演30周年の時。TBS同期入社の男が「こんな人がいるんだけど取材してみない?」とサジェスチョンをくれたのでした。
毎年恒例の新宿での10月公演。ギリヤークさんは動きも俊敏で、とても68歳には見えませんでした。当時、一人で住んでらっしゃったアパートまでついて行って、一緒におひねりを数えました。

ギリヤークさん79歳(私は38歳)の時、「心臓にペースメーカーを入れた」との手紙を頂き、もう一度取材に行きました。「もう体がみっともなくなっちゃったでしょ?」「かっこ悪いでしょ?」と繰り返し気にしていました。踊りのスピード感も落ちていました。年賀状を書く手は震え始めていました。そりゃそうですよ。だって79歳なんですから。それでも「88歳/路上公演50周年」の節目までは続ける、と言っていました。「やらないほうがいいかな・・・」と言うギリヤークさんの言葉を聴きながら「そんなこと言ってもやれる限りはやるって決めてますよねギリヤークさん」と心で苦笑していました。

その後私はロンドン駐在となり、4年ほど日本を離れました。その間に3・11の大震災があり、ギリヤークさんが津波に襲われた現場で鎮魂の踊りを捧げたことを遠くの国で知りました。(なお、ギリヤークさんは阪神淡路大震災の現場やNYの9・11テロの現場でも踊っています)帰国後、いよいよ「88歳/50周年」に向かっていくギリヤークさんを折に触れて撮影していきました。それが今回の作品の前半です。86歳のギリヤークさん、87歳のギリヤークさん。体はさらに衰え、病気もさらに抱えていました。

ギリヤークさんが88歳を迎える前に再びロンドン赴任になり「88歳/50周年」の記念公演の撮影はカメラクルーにお任せすることになりました。89歳、90歳の時の公演もそうです。なので、もちろん全てのドキュメンタリーがそうですが、特に今回の作品の後半はカメラクルーの力によるものです。90歳の横浜公演には私より先に帰国した元ロンドン支局のカメラマンも私物のカメラを持って撮影しに行っていたのを後から知りました。みんな、ギリヤークさんを被写体として魅力的に感じているのだと思います。
監督・撮影・編集
?場聖治
撮影
寺尾文人 川上庸介 宮﨑慶太 鈴木進
音声
吉村徹志 小沢秀人

制作年、制作スタッフ

2021年/ステレオ/77分 ?TBSテレビ
監督・撮影・編集
?場聖治
撮影
寺尾文人 川上庸介 宮﨑慶太 鈴木進
音声
吉村徹志 小沢秀人

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