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松尾潔「戦後歌謡界の女王」美空ひばりの生涯を振り返る

5月29日は、戦後歌謡界の女王・美空ひばりの誕生日。生きていれば今年86歳になる。52歳という若さでこの世を去った彼女の生涯は波瀾万丈だった。時代を駆け抜けた天才の軌跡を、音楽プロデューサー・松尾潔さんがRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で紹介した。

成熟しすぎて!? 『のど自慢』不合格

美空ひばりさんが亡くなったのは1980年代の終わり(1989年6月24日)、あれから35年が経とうとしているんですね。それでも今もなお名前が取り沙汰される、日本の女性歌手では珍しい方だと思います。

「人が忘れられるまでは、死んだことにならない」という考え方がありますが、ひばりさんの歌声も、半永久的に残っていく気がします。

戦後歌謡界の女王の生涯を振り返ってみます。1937(昭和12)年5月29日に横浜の磯子で生まれ、幼い時から天才少女と言われていました。まだ10歳になる前から、母親がステージママとして活躍し、二人三脚で芸能界に入っていきました。母親は娘の才能に惚れ込んで、娘のために「青空楽団」という事務所も作りました。

今の純烈ではありませんが、最初のころは銭湯とかで余興として歌うことから始め、8歳か9歳の時に『NHKのど自慢』に出場して、爪痕を残します。ただ、そのとき合格はしていないんです。有名な話ですが、落とされた理由は「上手いけど、少女らしさに欠ける」さらには、「退廃的で教育のためによろしくない」といったものもありました。

僕が思うに、天才少女には二つタイプがあって一つは「子供の佇まいで子供の声で、大人たちが望む少女像を完璧に演じる」天才少女、もう一つはひばりさんのように「年齢に似つかわしくないような成熟さ」があるタイプ。

年齢不詳なぐらいの大人びた歌声でいうと、SPEEDの島袋寛子さんがデビューしたときも「本当に小学生?」という感じがありましたが、それのもっとアダルトな色合いが強かったのが、ひばりさんだったということですね。

反社会勢力との付き合いも

少女だったひばりさんもキャリアを重ねると、その魅力で世の中をひれ伏せさせました。加えて、名作曲家・古賀政男との連携もあって、彼女の存在はどんどん知られていきました。

もうひとつ、当時はテレビではなく映画の時代。彼女は歌手であると同時に映画スターでもありました。音楽と映画の理想的な関係、コラボレーションを体現した一人が、美空ひばりさんでした。

さらに、今の時代ではあり得ないことですが、暴力団山口組三代目の田岡一雄組長に見初められたことも存在が高まった要因です。芸能の興行は、当時暴力団が仕切っていた時代でした。

彼女は常にこうした反社会勢力との付き合いが取り沙汰され、歌手としてのステータスが上がって、NHK『紅白歌合戦』の顔になった一方で、戦後の日本社会が落ち着いてくると、「あんな勢力との繋がりがある美空ひばりはどうなんだ」といった声が聞かれるようになりました。

また、実弟が反社会勢力の一員になって逮捕されたともあって、「そういう人を家族に持つ美空ひばりがテレビに出るのはけしからん」という世論も高まりました。結局、芸能界追放とまではいきませんでしたが、「テレビに出ない人」になっていた時期がありました。

僕は1968年生まれですが、子供の頃テレビに美空ひばりさんが出ると、ざわざわする感じがありました。父親に「美空ひばりってすごく有名なの?」って聞いたら「最近はいろいろあって、テレビには出てないけどな」なんて意味深な答えが返ってきたのを思い出します。

カムバック後は病魔との闘い

そんなひばりさんでしたが、1970年代後半にはNHKにも出演するようになります。1986年に小椋佳さんが提供した「愛燦燦」で、美空ひばりさんの復権は決定付けられた感じがありますが、それと前後して病魔と闘っていました。

1987(昭和62)年、福岡での公演中に体調を崩し、福岡市天神の済生会病院に3か月半ぐらい入院していました。1990年代に僕も済生会に何回か行くことがありましたが、看護師さんから「あんときのひばりさんはね」なんて話を聞かされました。

退院後、東京ドームで公演を行ない、秋元康さんが提供した「川の流れのように」で大復活を印象づけるヒットが出ました。しかし、ついに病魔に屈して1989年に亡くなったんですね。

女王のジャズ

そんなひばりさんは「演歌の女王」といわれることが多いのですが、ジャズやポップスといった、アメリカ由来の音楽をすごく巧みに歌い上げています。きっと素晴らしく耳が良かったんでしょう。英語が達者なわけでもないのに、英語の歌を完璧な発音とイントネーションで歌っていたんです。

今から美空ひばりさんを聴くのであれば、ジャズやポップスのカバーから入るのも一興かなと思います。もしひばりさんが、ジャズだけを歌っていたら、ジャズのトップになっていたであろうし、芝居に専念していたら、それはそれで俳優として特別なステータスを築いたのではないかと思います。それくらい、芸事の天才でした。

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