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法廷写真の青年は誰?石垣島で調査~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#15

「石垣島事件」の法廷写真に写る青年。年齢はまだ20歳くらいにみえる。あどけなさが残る端正な顔立ちの青年は誰なのか。石垣島事件で被告となった46人の中には、沖縄出身者も多い。八重山出身の1人ではないかと予測して、石垣島の親族を探して、確認をとろうとしたがー。

コロナ禍・・地元の長老を訪ねたが―

八重山の戦争 (南山舎 1996年)

 

頼りにしたのが、石垣市在住で八重山の歴史や文化についての著書がある大田静男さんだった。大田さんは1948年生まれ。1996年に南山舎から「八重山の戦争」を出版している。八重山の戦跡を地図で紹介し、現地に足を運びやすくするガイド本のような作りなのだが、詳細な資料がちりばめられていて、資料編に掲載されているデータの質と量もさることながら、戦争の実相を伝えたいという思いが伝わるような本だった。石垣島へロケに行く旨を伝えると、途中で合流してくださった。持参した「死刑宣告を受ける青年の法廷写真」を見せると「小浜さんじゃないかなあ」と言って、確認できそうな人の元へ車に乗せて連れて行ってくださった。

 


石垣島を訪ねた2020年秋は、新型コロナウイルスが感染拡大していた時期だった。高齢者がコロナに感染すると重症化するため、介護施設が面会禁止になったり、高齢者の割合が多い地方では都会のナンバーをつけた車が嫌がらせをされたりということがニュースになっていた。大田さんが連れて行ってくださったのは「戦争に関わることは何でもよくご存じ」という90歳を過ぎた男性のお家だった。まず写真をお見せして、「小浜さんか、それ以外のお知り合いか、わかりませんか?」と聞くと、じっと目を凝らして見てくださったが、「わからない」という返事だった。裏口から外に出たところで距離をとって、マスク装着の上でお話を伺っていたのだが、お隣にお住まいの娘さんが慌てて出てこられた。取材の趣旨を説明すると、「やっていることは良いことだと思うけど、父は90を過ぎているのでコロナが心配。すぐ帰って欲しい」ということだったので、失礼することにした。引き揚げる車中で大田さんは、資料収集の苦労話など興味深い話をたくさんしてくださったが、写真の特定に至らなかったことを残念に思ってくれているようだった。

その夜、お訪ねした高齢男性から携帯電話に着信があった。名刺をお渡ししていたので、かけてきてくださったのだ。
「写真はね、小浜さんの息子さんに見て貰うといいよ。」
翌日、教えていただいた小浜さんのご自宅を尋ねることにした。


(11月10日公開のエピソード16に続く)
*本エピソードは第15話です。

【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか

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1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。

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この記事を書いたひと

大村由紀子

RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞など受賞。

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