「肝臓を食べた」として戦犯になった“軍医”には心を通わせたアメリカ人「看守」がいた…スガモプリズンの監房で描いた絵が76年の時を経て遺族へ
終戦の年、九州帝国大学医学部でアメリカ兵の捕虜が生体解剖された事件。摘出された肝臓を食べたとして戦犯に問われたものの無罪となった男性がいました。その男性が76年前にスガモプリズンで描いた絵が24日、遺族に手渡されました。
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「肝臓を食べた」として軍事法廷へ
真武ナナさん(74)「なんか76、7年経って父のスケッチが戻ってくるって聞いたときに何で今頃って感じでちょっとびっくりしてしまった感じなんですけどね」
真武清志さん(76)「ただよくぞ取っててくれたって気持ちもありますよね」
真武七郎さんの三男、清志さんと長女ナナさんです。軍医だった父、七郎さんは、九大生体解剖事件の中で、アメリカ兵の肝臓を食べたとして横浜裁判の被告となりました。
米国立公文書館所蔵アメリカ軍がBC級戦犯を裁いた横浜軍事法廷。1948年3月11日に七郎さんらに対する裁判が始まりました。
「シチロウ、マタケ」
初公判で七郎さんは無罪を主張していました。太平洋戦争末期の1945年5月、九州に墜落したアメリカ軍のB29爆撃機に搭乗していた兵士らは、捕虜として福岡市におかれた西部軍に集められていました。そのうち8人が、西部軍監視の下、九州帝国大学医学部で、医学上の実験材料として生体解剖されました。どれだけ肺を切り取ることが可能か、血液の代用として生理的食塩水をどれだけ注入することができるかなどが試されたとされています。その中で、摘出された肝臓を持ち帰った見習い軍医がいたことから、「宴会で肝臓を食べた」というストーリーをアメリカ軍の調査官が作り出し、証言を強要した結果、「食べた」と自白した真武さんら5人が被告とされました。
否定すれば刑務所に「虚偽供述をせざるを得なかった」
日本の国立公文書館が所蔵する戦犯関係の資料の中に、真武さんの嘆願書がありました。
(記者の説明)「英文なんですけど、マクナイトさんという土手町で福岡で取り調べした人に宛てた嘆願書で、お父様の名前が入っています」
嘆願書より:
私が述べた真実は受け入れられず、私の意思に反して知らない事実について虚偽の供述をせざるを得ませんでした。もし否定し続ければ私はまた刑務所に入れられるだろう。妊娠している妻や2人の子供たちのことを考え続けた。
(記者の説明)「ここにプレグナント、妊娠していた妻と2人の子供、つまり清志さんがお腹の中にいる」
三男・清志さん「そういうことですね」
長女・ナナさん「朗らかな父ではあったんですけど、こういったときの話はあんまりしなかったですね。本当に」
三男・清志さん「触れられたくない部分ってあるじゃないですか。きっとそこだったんでしょうね」
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