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「肝臓を食べた」として戦犯になった“軍医”には心を通わせたアメリカ人「看守」がいた…スガモプリズンの監房で描いた絵が76年の時を経て遺族へ

終戦の年、九州帝国大学医学部でアメリカ兵の捕虜が生体解剖された事件。摘出された肝臓を食べたとして戦犯に問われたものの無罪となった男性がいました。その男性が76年前にスガモプリズンで描いた絵が24日、遺族に手渡されました。

5人全員が「無罪」開業医として戦後を生きた

 

当時、この事件の裁判は大きく報じられ、「肝臓を食べた」ということもセンセーショナルな報じ方をされていました。

 

 

しかし、法廷では自白調書が問題となり、証言も否定するものが相次いだことから、結局、5人全員が無罪となりました。法務省が後に行った調査で日本人の弁護人は、この件に関しては裁判が非常に公平だったと評価しています。七郎さんは、福岡では開業医として戦後を生き、趣味の乗馬も続けました。54年前、61歳で亡くなりました。(1969年逝去)1947年9月から1年余、七郎さんが収監されていたスガモプリズン。七郎さんが描いた絵が見つかりました。日付は1947年10月11日。

三男・清志さん「こういう姿見るときゅんときますね。子供の前ではこんな姿絶対見せませんから」

 

 

全部で8枚の絵には、スガモプリズンの監房の中で過ごす様子や散歩、身体検査など日々の生活風景も描かれています。当時、看守だったドナルド・フェイブルさん(1928-2015)がアメリカに持ち帰り、額に入れて大切に保管。ドナルドさんは8年前に亡くなりましたが、遺族が、横須賀基地内で働く知り合いに絵を返したいと相談しました。

辛い獄中生活で自分を鼓舞

 

何人もを介してようやく七郎さんの遺族と連絡が取れ、この度、返還されることになりました。絵には英文が添えられています。「彼らの正義を信じない。疑いは真実を見えなくする。さあ、行くんだ、君の真実と共に。自由を勝ち取るんだ」絶望の淵に立たされたような辛い獄中生活のなかで、七郎さんは自分を鼓舞するような言葉を書いています。

三男・清志さん「もしおやじがそのとき、絞首刑にでもなったら、いまの我々ないですからね。妹もいませんしね」

七郎さんは、この絵をドナルドさんに家族に送ってくれと託したそうです。しかし、規則で送ることは出来ませんでした。

長女・ナナさん「いま考えると、つらかったスガモプリズンの生活の中で、その交流がですね、なんかちょっと心温まる、なんか救いのようにちょっと私思えるんですよね。あのつらい獄中の生活で」

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