中国政府が今年6月、緊急事態対応法を一部修正した。新型コロナの蔓延が見直すきっかけだったが、東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長は「旧来のメディアよりもインターネットから情報を入手している多くの市民との“静かな戦い”が見えてくる」と語る。7月18日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』でコメントした。
巨大湖の堤防が決壊
連日、記録的な猛暑、記録的な大雨が続く。この異常ともいえる気象は日本だけではない。中国中部・湖南省に洞庭湖という湖がある。中国国内で2番目の面積を持ち、滋賀県の琵琶湖の4倍という広さだ。その洞庭湖の堤防が7月5日、記録的な大雨の影響で決壊した。その幅は200メートルを超え、湖の水があふれ出た。
8000人近い地元民が避難するという騒ぎになったが、決壊から3日目の7月8日に修復された。幸いなことに死傷者は出なかった。昼夜を問わず続いた復旧作業の模様は、中国の国内メディアによって連日、詳しく報道された。国民の生命・財産を守るため、という習近平体制を挙げての取り組みを、アピールする意味合いもあったようだ。
新型コロナの蔓延で法改正
災害への対策はどの国であれ、最優先課題だ。そんな中、中国政府はある法律を改正した。2007年に制定した中華人民共和国緊急事態対応法の一部改正だ。6月末、中国の国会で承認され、11月から施行される。
この法律は①地震や洪水などの自然災害②巨大な事故③公衆衛生に関する出来事④社会の安全を脅かす出来事――を対象に、これら4つの緊急事態を事前に予防する策、そして、不幸にも起きてしまった場合、すみやかに解決するための対処法などを明記している。その目的として「国民の生命や財産の保護、国家の安全、さらには社会秩序や生態環境を維持するため」と謳っている。
この法律が17年ぶりに修正されたのは、「特に新型肺炎の感染拡大がもたらした新しい課題」という説明が添えられていることからも分かる通り、新型コロナウイルスの蔓延が影響している。法律の修正の作業が始まったのは2021年、新型コロナが広がったすぐ後だ。
メディアに「世論の監督」課す
この突発事態対応法は、起こり得る危機への対応を、法律面でさらに強化しようというものなのだろう。ただし、ここからがポイントだが、改正前の条文、改正後の条文を並べて読み比べてみると、気になる点がある。
それは「メディアの役割」だ。中国報道に携わってきた者として、見過ごせない。改正法の第8条にこんな条文がある。
「緊急事態において、国家は健全な報道・取材システムを構築する。関係する政府や関係各部門は、報道機関を適切に指導する。合わせて報道機関が行う取材活動、並びに、世論を監督する行為を支援する」
「健全な報道・取材システムの構築」、「報道機関への指導」「世論を監督する」…。中国のメディアは「中国共産党の宣伝機関」の役割を持つ。改正前の緊急事態対応法には、メディアに対する管理について、これほど明確な文言はなかったが、新たに盛り込まれた。
「世論を監督する」とは、インターネット上で流れる情報や意見、とりわけデマ、不正確な情報があふれないように、正しい報道をしろ、ということだろう。ただ、ここでいう「正しい報道」とは、当局の発表に基づく報道、当局が認めた報道のことであり、日本など海外のメディアの「正しい報道」とは意味が異なる。
中国政府が警戒する「タキトゥスの罠」
中国メディアで働く人たちの組織が、今回の突発事態対応法の改正に伴って、各メディアに対して、こんな通達を出している。
「ネット上の社会では、情報の透明性に対する国民の要求が高まり、虚偽の情報への許容度が広がっている。緊急事態の発生後、情報が即座に公表されず、取材や報道が追いつかずなければ、ありとあらゆる虚偽情報、デマやウワサが広がる。『タキトゥスの罠』、といった状態に陥ることさえ、あり得る」
「タキトゥスの罠」とは、古代ローマの歴史学者・タキトゥスが述べたとされる言葉だ。政府に対する信頼が大きく失われてしまえば、真実であっても、政府の言うことが民衆から全く信用されなくなってしまう――そのことを意味する。
「今日、国内外の環境は大きく変化し、一部で過熱した声が、容易に燃え上がるケースが、たびたび起きている。ネット上の世論は複雑になっている。緊急事態が発生した場合、メディア人としてどのように、よい仕事をするか――。新たな課題が突きつけられている」
中国でも増えるオールドメディア離れ
中国でも、若者ほど、オールドメディアといわれる新聞やテレビ、ラジオ、すなわち従来からの媒体から離れていく風潮だと聞く。インターネットを日常的に、情報入手の手段にする者が増えている。
この緊急事態対応法改正は、習近平政権によるメディア管理強化の一環と言えるだろう。政府の言うことが民衆から全く信用されなくなってしまう「タキトゥスの罠」とは、緊急事態が起きた時だけではなく、中国共産党を信じなくなる、という事態まで想定しているはずだ。
新型コロナの教訓といえるこの法律改正によって、4つを対象にした緊急事態とは、「天災」「事故」「公衆衛生に関する事態」とともに、「社会の安全を脅かす出来事」もあると説明した。新型コロナ自体は、「公衆衛生に関する出来事」だが、同時に「社会の安全を脅かす出来事(=社会騒乱)」でもあったといえる。
そして、「社会の安全を脅かす出来事」とは、少数民族問題や宗教問題も含まれるはずだ。共産党政権が数々の不安要因を抱えながら、インターネット、その向こう側にいる多くの市民との静かな戦いが、今回の法律改定から見えてくる。
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この記事を書いたひと
飯田和郎
1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。