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15回目も太宰府歴史の散歩道を歩きます。

※写真は三叉路の灯籠
水城東口跡からあちこち寄り道しながら、ようやく筑前国分寺跡にたどり着きました。
三叉路になっている入り口には灯籠がたっています。
入り口左手にあるのが筑前国分密寺。そのすぐ先から国分寺跡の広場が広がります。
まず、でてくるのが七重の塔の礎石。
かつて、ここには50メートルはあったという七重の塔がありました。
礎石の上に立ちますと広い空間の中に堂々として立っていた姿が想像できそうです。
国分寺は聖武天皇の詔によって741年に建立されました。当時も現在の日本と同じように疫病が流行っていたことにより、疫病除けの願いをこめて建立されたのだとか。
192メートル四方の寺域で、伽藍は中門・金堂・講堂、それに七重の塔が配置されていたといいます。 毎年1月20日に、みやま市の大江天満神社に奉納される「幸若舞」。
織田信長や豊臣秀吉などの戦国武将たちにこよなく愛されたこの舞、今では、全国でみやま市の幸若舞・大頭流しか残っていません。
今年は12時から、小学生が舞う「濱出」「日本紀」、保存会の大人が舞う「安宅(下)」、「敦盛(下)」、「高館(下)」が上演されます。
幸若舞保存会会長で第三十一代家元の松尾正春清継さんに、戦国武将に愛された理由や受け継ぐことのたいへんさなどを伺いました。
※今年は、幸若舞上演がメタバース上でのライブビューイングで体感できます。
詳細はみやま市ホームページで。
→ https://www.city.miyama.lg.jp/s007/a07/20230110132654.html

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