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無声映画の「時代劇スタア」「喜劇王」 よみがえらせる“活動写真弁士” 最年少は23歳!

映画にまだ音がなかった時代に、俳優のセリフやナレーションを肉声でしゃべって伝えた「活動写真弁士」。プロで活動する弁士は今、国内に十数人しかいない。この世界に23歳の青年が飛び込んだ。RKBの神戸金史解説委員が、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で、九州初の独演会の様子を伝えた。

最年少23歳は熊本出身・尾田直彪さん


私が通っているなじみの居酒屋「博多うまか遊び庵」(福岡市博多区古門戸町)が、開店27周年を迎えました。芸ごとが好きな女将が毎年、周年記念イベントを開いているのですが、今年は「音のない、昔のサイレント映画を、活動写真弁士付きで見よう!」と企画しました。お呼びした弁士は、熊本市出身の尾田直彪(たかとら)さんです。

聴衆:待ってました!
尾田:待っていたとはありがてぇ。こんばんは、活動写真弁士の尾田直彪と申します。たかとら、本名でございます。
尾田:今から100年ほど前のお話です。映画にはまだ音が付いていなくて、無声映画の時代でした。写真が動いた、活動したように見えるということで、映画のことを「活動写真」と呼んでいました。どうやって楽しんでいたかと言いますと、各上映館に弁士が常駐していまして、生で語りやセリフを申し上げておりました。当時は7,000人が活躍していたそうなんですけど、15人ほどになってしまって、僕はありがたいことに「若手」ということで売り出されております。

現役最年少の23歳。プロの活動写真弁士は、十数人しかいないそうです。有名な方では、戦後になくなりかけた弁士の灯を50年以上ずっと守ってきた澤登翠(さわと・みどり)さん。それから現在の第一人者、坂本頼光(らいこう)さんや片岡一郎さんがいますが、本当に少ないんですね。

俳優志望だった尾田さんは東京学芸大学に通っていたときにコロナ禍で芝居ができなくなり、たまたま空いた時間に澤登翠さんの活弁付きの古い日本映画を観たそうです。一人で複数の人物を語り分ける技術に衝撃を受けると同時に、俳優にも通じるんじゃないか、と一気に引き込まれ「これなら、好きな芝居と映画の両方をやれるじゃないか!」と、在学中の2021年にデビューしました。現在は都内を中心に活動中です。

見たことなかった『旗本退屈男』


さて、27周年パーティーでは、居酒屋にスクリーンを設置して、パソコンでモノクロの無声映画を映し出しました。

尾田:時代劇をご覧に入れます。主演は市川右太衛門さんという、当時から非常に人気のあった剣劇スター。ご子息が北大路欣也さんですね。どことなく面影があるような、ないような……。まずご覧いただいて、お楽しみください。それでは『旗本退屈男』。

尾田:天下泰平の世に退屈な日々を過ごす、早乙女主水之介の屋敷に……

1930年公開、市川右太衛門主演の『旗本退屈男』。籠に乗っていて、賊から襲撃されてしまいます。

ナレーション:翻すや否や、銃声一発。ああ!
御付きの武士セリフ:やや、こ奴、短筒を持っておるぞ!

ナレーション:さあ、退屈男に従うりりしき美少年の小姓。彼が構えたのは、小柄(こづか、小刀のこと)…。
賊のセリフ:ははは、そのようなものでこの短筒に勝とうなどとは笑止、笑止。
ナレーション:だが、次の瞬間!
小姓:それ!
:ああ、しまった!
ナレーション:武道の技は賊に勝り、流れるような手さばきで、最後は当て身で仕留めます。

小姓:あ、殿様! 殿、殿! なんと、ご無事でしたか!?
退屈男:ははは、このようなことで参る旗本退屈男ではない。や、これは面白うなってきよったな。

スクリーンにモノクロ映画を上映して、背景音は後からつけています。そこに弁士が独特のリズムをつけて、映像に合わせながらしゃべっていく。まさに「話芸」です。

戦前の「喜劇王」バスター・キートン


もう一つ紹介したいんですが、今度はアメリカの無声映画です。喜劇王と言われたバスター・キートンの『探偵学入門』。1924年公開ですから、100年近く前です。探偵の青年が、キャサリンにプレゼントを贈ります。

探偵:キャサリン!
キャサリン:え? あら、もしかして指輪? 私に? ダイヤ……かしら。
探偵:はい、探偵の七つ道具、虫眼鏡。
キャサリン:うれしいわ。

ナレーション:質屋から出てきたのは、色男(ゴードン)。おとぎ話はいつもでも、内気な青年を色男が脅かすのである。あろうことか、この男、盗んだ時計を質に、その金でプレゼントを買ったのだ。少女もまた、青年の純朴さに強く惹かれていた。しかし、同時にどこかもの足りなさも感じていた。

ゴードン:これ、君に。
キャサリン:まあ、いいの?
ゴードン:さあ、こっちへ。
キャサリン:中身が気になるわ。

色男が争って贈り物を届けに行くわけです。映像に合わせているから、少しずつ間があって、何となく絵が浮かぶんじゃないかと思います。ほとんどのお客さんは初めて活弁を見たようで、大喜びでした。モノクロの映像が、声によって初めて立体的になっていく。それが当時の映画の見方だったんですね。

「活弁はぜひナマで見てほしい!」


神戸:大変お疲れさまでした。反響はいかがでしたか?
尾田:初めてご覧になるという方がいらして、責任重大だなと思ったんですが、とても喜んでいただけたので本当にうれしいです。生の声でご感想を言っていただけるのは励みになりますし、これから頑張りたいなと思いました。
尾田:活弁はやはり生で見ることに意味があるな、と僕は思っているんですね。今はサブスクなどで映画を見られると思うのですが、活弁は肌で感じて感動することができるのが魅力だと思います。

神戸:たった十数人しかいない活弁の世界で、最年少ですが。
尾田:名だたる先輩方が立ちはだかってらっしゃるので、少しでもその芸に近づきたいなと思います。自分が最初に活弁を見てやりたいと思ったきっかけの澤登翠師匠に、このほど弟子入りをようやくお許しいただけたのです。「澤登師匠のような活弁ができるようになりたい」という思いで勉強しています。芸の技を少しでも盗んで、後世に伝えていけたら。若い人にどうしても見ていただきたいですね。自分は若いので、もっと自覚をもってみなさんに発信できたらと思います。

現役最年少、なかなか初々しいですね。「芸の技」とか「弟子入り」とか、23歳でこういう世界に入っていったのかと思うと、すごいなあと思います。

もしフィルムが家に残っていたらご連絡を!


尾田さんをこの居酒屋に呼んだのは、無声映画を活弁付きで見る「博多活弁パラダイス」の実行委員会。2020年から、定期的にイベントを福岡で開いています。

次回は7月2日(日)午後に福岡市美術館で、活動弁士界の第一人者、坂本頼光さんの独演会があります。戦前を代表する時代劇スターの大河内傳次郎主演、「忠次郎旅日記」(1927年、100分)と「血煙荒神山」(1929年、20分)の2作を上演します。詳しくは「博多活弁パラダイス」で検索してください。

昔は、村の集会所などにフィルムを持ってきて上映していました。今残っているフィルムは、本当に少ないんです。もしかすると、おたくの古い納屋や倉庫に残っている場合があるんじゃないでしょうか。博多活弁パラダイスでは「もしあったらぜひ教えてほしい」と話しています。
実際に、そうやって復活する映画が時々あるのだそうです。もし「家にフィルムがあった!」という方がいらっしゃったら、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』までご一報ください(メールgu@rkbr.jp)。

神戸金史(かんべ・かねぶみ)

 

1967年生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。

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この記事を書いたひと

神戸金史

報道局解説委員長

1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。