1000人以上が犠牲に「福岡大空襲」から78年 戦時の子供の暮らしから“平和”考える
今から78年前、1945年の6月19日に起きた福岡大空襲。福岡市の中心部に大量の焼夷弾が落とされ、1000人以上の市民が犠牲となりました。当時の資料を通して戦争と平和について考えてもらおうと、福岡市博物館で企画展が開かれています。
◆紙芝居など約60点
RKB吉松真希「軍人をテーマにした“かるた”や“すごろく”など、戦争は子供たちの遊びにも大きな影響を与えていたようです」
福岡市博物館で開催中の企画展「戦争とわたしたちのくらし」。会場には、日中戦争や太平洋戦争に関わる資料や当時の暮らしで使われていたものなど、約60点が展示されています。
*紙芝居より「三輪車に乗った正次さんは、なに兵でしたか?・・・そう、戦車兵です。では、竹馬に乗っている正男さんは?そうです、騎兵です」
当時は、紙芝居を使って子供たちに兵隊の種類や名前、防空壕への避難方法などを教えていました。
宮崎誠夫さん(86)「空襲警報が鳴ると、避難するわけですね。こんなんかぶってね。先生が退避と言うと、通学路の田舎道から田んぼの中にみんなこう伏せてね、そういう訓練をしょっちゅうやらされていた。兵隊ごっこして遊んでたもん」
当時の記憶は今も鮮明に
太平洋戦争があった当時、小学3年生だった宮崎誠夫さん。その時の記憶は、今でも鮮明に残っています。
宮崎誠夫さん(86)「夜空が真っ赤に染まってね、さーっと焼夷弾が落ちるんですよ。お腹いつも減らしていた。悪いことなんだけど、田舎だと畑にトマトとかキュウリとかなるじゃん。それをちぎってね。親父は沖縄で戦死するし、母親の弟のおじさんはビルマで玉砕するし、みんな男は帰ってこなかった」
“戦争の悲惨さ”語り継ぐ
戦争は、子供たちの教育にも大きな影響を及ぼしました。軍事動員による労働力の不足を補おうと、中等学校の2年生以上は工場や農村に動員され、兵器や食糧を増産するために働くことが義務づけられました。
宮崎誠夫さん(86)「見せることは大事だと思う。あとは本人たちの感じ方で。今がいいなと思って生きていけりゃあ、それが一番じゃないかな」
今年で32回目となる企画展は、戦争と平和について考えてもらおうと、毎年、福岡大空襲があった6月19日にあわせて開かれていて、展示期間は7月9日までとなっています。
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