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細い土の道を進むとひっそりと佇む平屋の住宅が見えてきた。まだ外にいるというのに動物の匂いが漂っている。何十匹もの生命が混ざり合う独特の騒音が、静かな郊外に響く。世話できないほどのペットを飼う人は昔からいる。過剰な愛護意識や収集嗜好、孤独の緩和を求めるためなどとされている。多くの場合、不衛生な環境によりペットの命は軽んじられる。エスカレートすると、飼い主は自分では手に負えないという現実と向き合うことも困難になる。行き着く先は、私たちが想像する「ペットとの共同生活」とはかけ離れた特異な世界だった―。
小屋で暮らす女性、「野生化」した猫
「猫ちゃんおいで、おいで!」無造作に置かれた材木の間に三毛猫を認めるや、くしゃっと顔をほころばせたのは、佐賀県に住む84歳の女性だ。取材カメラをかつぐ私たちに何度も頭を下げ「ごくろうさんです」とねぎらった。この日、私たちは犬や猫の保護活動を行うNPO法人「アニマルライブ」と一緒に女性の自宅を訪ねた。
アニマルライブ・岩崎さん「多頭崩壊のところはみんな野生化してしまい、人慣れしていない猫がすごく多い。それだけ手をかけられないのです」
「猫は人の声と足音がすると逃げてしまう」と話す女性は、小屋に住んでいる。母屋が火事で全焼したからだという。年金生活で母屋を建て直す経済的な余裕がなかったのだ。部屋に上げてもらうと、いつでも猫が食べられるように餌が置かれていた。この餌は、全国から寄付され、NPOの岩崎さんたちが定期的に届けているものだ。
84歳の女性「餌を持ってきてもらったときはびっくりした!もらってもお返しもできずに気の毒ですよ。猫は人間よりかわいい、人間はやぐらしか(面倒、わずらわしいの意味)。私がまだ達者ならいいけど、弱っているから。我がごとより猫が心配」
家族は“小屋”に近寄らない。女性は「孤独に過ごしている」と吐露する。そして“我がごとより心配な”猫は増え続けている。居間には段ボールやスーパーの袋が積み上がり、床が見えない場所も多い。棚状になった一角から、黒い子猫がカメラのレンズを見つめていた。最近生まれたのだろう。NPOの岩崎さんは子猫の数が気がかりだ。
岩崎さん「子猫が何匹産まれているかまだわからない。少なくとも25、6匹います。今のうちに減らすなり避妊・去勢の手術をするなりしておばあちゃんの負担をできるだけ軽くしていかないといけない」
驚くほどの猫の繁殖力、3年で1→2000匹に増えることも
環境省によると、猫は1年に2~4回出産し1回に4匹~8匹の子猫を産む。ほぼ100パーセントの確率で妊娠するため、1匹のメス猫が1年後には20匹以上、2年後には80匹以上、そして3年後には2000匹以上になると言われている。猫の避妊手術は地域や獣医師によってまちまちだが、おおむね2万~3万円ほどが相場だ。決して安くはない金額だが、避妊手術がある意味「岐路」になる。
岩崎「飼い主さんによっては避妊・去勢の手術代が出せないとか、お金を使うのがもったいないという人もいて、そのままの状態でどんどん増えてしまう」
取材した佐賀県のNPOにはこの2か月間で「多頭飼育崩壊」の相談が10件寄せられた。いずれもひとり暮らしの高齢者からだ。経済的な困窮が原因とみられている。これまで団体は、山などに捨てられていた犬や猫を保護して里親を探して譲渡したり、高齢で介護が必要な場合は積極的に受け入れたりしてきた。しかし、ここ数年は「多頭飼育崩壊」で保護した犬や猫だけで150匹を超える。
岩崎さん「結局、手に負えなくなった時に保護団体に連絡してきて助けてくれということなんですけど、飼い主さんの尻拭いをずっとさせられている状態」
飼い主に対する“怒り”や“悲しみ”はもちろんある。それよりも、放置されるペットが不憫だ。ペットの命の重みとは、ペットの幸せとは何なのだろうか、自問しない日はない。そう説明する岩崎さんの腕に抱かれた犬もまた「多頭飼育崩壊」の現場から保護された犬だった―。
汚物が放つ悪臭の家にいた84匹の犬
飼っていたのはひとり暮らしの80代の男性だった。保護した時は「瀕死」の状態だったことを岩崎さんは鮮明に覚えている。
岩崎さん「この子はフィラリア(寄生虫が起こす病気)の予防薬を全然飲ませられてなかったので、病気が末期でお腹がパンパンに膨れていて、腹水がたまっていた。そこからレスキューして病院で治療した。飼い主のおじいちゃんは寂しいから飼われていましたが、ただそれが犬たちにとって本当に幸せかということですね」
“囚われの動物たち”悪臭の家に84匹の犬、現実と向き合えない「多頭飼育崩壊」
適正に飼育ができない「多頭飼育崩壊」。保健所には近隣からの苦情が相次ぎ、犬たちは「殺処分」の対象になっていた。岩崎さんが福岡県内の民家で2019年に撮影された“衝撃的”な映像を見せてくれた。そこには何かを訴えるようにカメラを見つめる白い犬が何匹も写っている。絞り出すようなかぼそい鳴き声も聞こえる。悪臭がひどく汚物が放置されたこの民家で飼われていた犬は全部で84匹。60代の女性が1人で飼育していた。
1人あたりの頭数制限で“保護”はもう限界に来ている
佐賀県有田町の木々に囲まれた場所にNPOアニマルライブの本拠地がある。ここで保護された計167匹の犬と猫が“余生”を暮らしている。悪臭が漂う家にいた白い犬たちも、一旦はここに引き取られた。多くはその後、全国のボランティア団体に渡ったが、高齢のものは譲渡会に出してもなかなか引き取り先が見つからない。どうしても子犬や小型犬を飼いたがる人が多いからだ。アニマルライブはそんな高齢の動物たちも最期まで幸せに暮らせるように飼育し続けることにしている。ただ、2022年から段階的に適用されている改正動物愛護法によって、1人のスタッフが扱える頭数は厳しく制限され始めた。
岩崎さん「“保護”はどこでも限界にきている。飼った以上は命をもっと真剣に考えてもらいたい。最後の最後まで飼ってほしい。最低限、避妊・去勢手術はしてほしい」
ペットとの共生は、動物の生命を尊重しないことには成り立たない。ペットは、人間を一方的に癒やしてくれる便利な存在ではない。岩崎さんは「寂しさゆえに飼わないでほしい」と力を込める。増え続ける猫、腹水がたまった犬、カメラを見つめて声を絞り出した84匹の犬。ペットが置かれた不幸な現実に向き合えなくなるところに飼育崩壊の悲哀がある。
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