義務を果たさなければ人権はない!?徳田靖之弁護士の新聞記事から考える
目次
「義務を果たさなければ、人権はない」と勘違いしている人が増えているそうだ。この現状を危惧しているというRKB報道局の神戸金史解説委員長が、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で、人権問題に長年取り組んできた弁護士へのインタビューが掲載された新聞記事を題材にコメントした。
「義務を果たさなければ人権はない」と思い込んでいる学生たち
数日前、ある大学の先生がネット上にこんなことを投稿していました。「法学部に入ってきた新入生に対して、人権について説明をしなければならない」と。義務を果たしてない人に人権はないと思っている学生が、結構いるからなのだそうです。
人権というのは元々誰でも持っているもので「義務を果たしてないから人権がない」という考え方はないのですが、親や教員からそう言われてきた学生たちがあまりに多く、法律を学ぶにあたってはその考えを改めることから始めなければいけない、と。
「はー…これはかなり問題だな」と思いました。基本的なことを一から教えないと、法律の勉強に入れないというのです。
旧優生保護法に基づく障害者への不妊手術の強制
7月17日と18日の毎日新聞朝刊(福岡版)に徳田靖之弁護士のインタビュー記事が掲載されていました。ハンセン病国賠訴訟や薬害エイズ裁判など人権問題に正面から取り組んできた徳田弁護士にしっかり話を聞こう、という企画です。
連載 語る―弁護士・徳田靖之(毎日新聞)
びっくりしたのは「1回目はこれを取り上げます」と上・下に分けて朝刊に掲載されていたことです。つまり、このインタビュー記事はこれからも連載されていくということです。今回取り上げられていたのは「旧優生保護法」でした。
旧優生保護法(1948~96年)下で障害者らに対し強制的に行われた不妊手術を巡っては、6月2日現在で38人が提訴し、6月16日までに地裁・高裁で16件の判決が言い渡された。
国の法律として長い間、障害者に対して強制的に不妊手術を行っていた――。これはまさに人権の問題で、「子孫を残してはいけない」と国が決め、不妊手術をしてしまうという法律がありました。
信じられないようなことですが、その人たちに特に説明もしないケースもかなりあったとされています。この法律が廃止になったのは1996年、27年前のことです。
「憲政史上最悪の人権侵害」
被害者は少なくとも2万5,000人。国はこのうち約1万2,000人が生存していると推計しているそうです。徳田さんはこの問題に正面から取り組んできて、この連載で「憲政史上最悪の人権侵害」と話しています。
国は法律を廃止し、2019年に被害者に一時金320万円を支給する法律を成立させています。徳田さんは、この「法律自体には大きな意味があり、法成立に尽力した国会議員の皆さんの努力は評価されるべきであることはまず指摘しておきたい」とした上で「被害に比べ一時金の額は低すぎる」とも話しています。
裁判では札幌高裁で1,650万円、東京高裁では1,500万円の支払いを国に命じています。しかし、320万円という一時金とはかなりの開きがあります。
「優生思想の根絶を進めるしかない」
提訴しているのは38人だけで、圧倒的多数の人は裁判を起こしていません。理由は「障害のある方が多い」からで、自分が何をされたのかもよく分かっていない方もいます。しかも子供の頃に、という方も多いのです。
最大の争点は、不法行為から20年を経過すると請求できなくなる民法の「除斥期間」でした。長い間続いてきたこと、大人になってから分かったこともあって、2022年2月に大阪高裁が「除斥期間の適用を認めることは著しく正義・公平の理念に反する」と、初めて国の賠償責任を認めたのだそうです。
このインタビュー記事の一部を紹介します。徳田さんは「一番感じるのは人間としての尊厳を奪われたことへの怒り。自分がそういう目(強制的な不妊手術)に遭わされたことを知らされないまま放置されてきたことへの怒り」でもある。この2つを強く感じるんだそうです。
裁判になっても実名を明かしていない方が多く、これ自体が深刻な偏見や再差別が残っている証拠だと思う、と徳田さんはインタビューに答えています。全面解決するには、この優生保護法の根底にあった「優生思想の根絶を進めるしかない」と。
取材した記者のパッション
優良な人間の遺伝子をきちんと残し、そうでない人の遺伝子を排除していくという「優生思想」は、ナチスのユダヤ人虐殺の論理です。優生保護法という名前自体、とんでもない法律だったと分かります。
1948年から1996年までそんな法律が生きていたわけですから、日本の戦後はどれほどひどい状況だったか。せめて存命していると思われる、名簿にある3,400人の被害者には、国がきちんと聞き取り調査すべきじゃないか、と徳田さんは強く訴えています。
この記事を紹介したのは、取材した小林直記者の、徳田さんへの強い共感のようなものを、記事を読んでいて感じたからです。私もよく知っている記者ですが、記者としてのスタートが大分支局で、その頃から徳田さんと出会っているんです。
30年近くにわたって徳田さんとお付き合いする中で、シリーズとして改めて取り上げていこうと。そのパッションが静かな原稿の中に感じられたので、紹介しました。他のテーマで次回以降も、徳田さんのお話を小林記者は伝えていくそうです。
◎神戸金史(かんべ・かねぶみ)
1967年生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。
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この記事を書いたひと
神戸金史
報道局解説委員長
1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。