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「もっと成長したい」東京五輪“銀”女子バスケ・林咲希選手の新挑戦 パリまで1年

パリオリンピック・パラリンピックの開幕は1年後の2024年7月26日。前回の東京オリンピックで、日本バスケットボール史上初となる銀メダル獲得に大きく貢献した福岡県糸島市出身の林咲希選手(28歳)は今シーズン、バスケットボール人生の大きな転機を迎えています。

「女子バスケ」五輪史上初の銀メダルに貢献


東京オリンピック準々決勝のベルギー戦で、決勝のスリーポイントを決めた林咲希選手。代表チームの躍進を支え、日本バスケットボール史上初の銀メダル獲得に大きく貢献しました。

Q.オリンピックはどんな舞台?
林咲希選手「自分の世界を広げてくれた。オリンピックに出ていなかったら、私は誰にも影響力を与えられる存在ではなかったと思うので、すごい影響力のある大会だったんだなと振り返って思いますね」

負傷で離脱 長期リハビリの末に復帰


東京オリンピック終了後には日本代表のキャプテンに就任。所属チームでも代表でも「大黒柱」としての活躍が期待されていた中…。2022年4月、右足首を疲労骨折。約半年間に及ぶ離脱を余儀なくされました。

これまで経験したことのない長期のリハビリ生活を経て復帰した昨シーズン。リーグ優勝という最高の形で終えたにもかかわらず、林選手の心は揺れていました。

林咲希選手「もっともっと周りを見て、バスケだけでなく、人間的にももっと成長したいなと率直に思ったのと、プレーオフ終わってから来シーズンのことを考えた時にもっと成長できる1年だったなって。違う環境になっても伸びる部分があるんじゃないかなって」

「まだ成長したい」移籍を決意


プロ入りから6年間プレーしたENEOSを離れ、富士通に移籍する道を選択したのです。決断を後押ししたのは「まだ成長したい」という思いです。

林咲希選手「本当にけっこう揺らいでいたんですけど、最後は自分のこと、自分の人生のことを考えた時に、移籍するのが自分にとっても新しい経験もできて、いろんな人と関われるチャンスなんじゃないかな、と思ったので」

ただ、新天地での挑戦は様々な苦労もあるようで……。

林咲希選手「(練習場まで)近いんですけど、ちょっと逆方向に行ったりとかしてて。方向音痴なんですよ、地図を見ても逆に1回行っちゃって」

「方向音痴」と言いながら、シュートの精度は抜群。代名詞のスリーポイントをはじめ、ボールは美しい弧を描き次々とリングへ吸い込まれます。

林選手を迎えた東京五輪メンバーたち


さらに林選手には心強い味方が。移籍先のチームにも東京オリンピックでともに戦った頼れるメンバーたちがいます。

Q.林選手の加入を知った時は?
宮澤夕貴選手(30歳)「ウェルカムって感じでした。ずっとENEOSでもオリンピックでも代表でも一緒だったので、すごい来てほしかったです」
Q.対戦相手の時の印象は?
町田瑠唯選手(30歳)「何もしてなくてもディフェンスを引きつける存在だなと思っていたので、すごく嫌な存在でした」

そんな先輩2人に、林選手からあるお願いが…

林咲希選手「おいしいお店に連れてってください! 全然おいしいところ知らないし、やっぱオフの日は満喫したいなって思うし、2人の家に行って料理をふるまってほしいなと思います」
宮澤夕貴選手「料理振る舞う?」
町田瑠唯選手「(逆に)料理作ってください!」

「足りないことをしっかり見直して」パリ五輪目指す


オンとオフを切り替えながら、新天地で日々成長を目指す林選手。女子バスケットボール日本代表がパリ五輪出場するための条件は――。

2024年2月に行われる世界最終予選では、16か国が4チームずつ4つのグループに分かれ、各グループの上位3チームがパリオリンピックへの切符を手にすることができます。オリンピックへの思いを聞きました。

林咲希選手「オリンピックって、誰もが出られるところじゃないので、今回は本当に自分でつかみに行かなきゃいけないので、本当に危機感は感じています。ただこうやって新しい環境になって、いろんなことを学べる、本当に成長できる年になるんじゃないかな。この1年で、自分の足りないことを最初からしっかり見直して、オリンピックにいい形で臨めたらいいかなと思っています」

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