「原爆の子の像」モデルの少女 親指の先にのるほどの小さな折り鶴に込めた願い そして兄の思い
広島に原爆が投下されてから10年後に、白血病により12歳でこの世を去った少女がいました。福岡市の劇団は毎年少女の体験を元にした朗読劇を上演しています。今年初めて少女の兄が劇を鑑賞しました。
被爆後12歳で亡くなった少女
8月6日から8月9日までの4日間、福岡市で毎年上演される朗読劇があります。
朗読劇「折り鶴の少女~サダコ~」は、芸能事務所の「アクティブハカタ」が公演し今年で20回目を迎えました。
劇場に朗読が響きます。
「のろわしい原爆のつめあとは、またも10年前に被ばくしたいち中学生の生命を奪い、今年で十四人目の犠牲者を出した。この中学生は佐々木禎子さん、12歳」
朗読劇の主人公・佐々木禎子さんは、広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルになった少女です。2歳の時に被爆し、10年後に白血病を発症。12歳の若さでこの世を去りました。
禎子さんは「鶴を折れば願いが叶う」と信じて白血病と闘いました。
朗読劇
「鶴を千羽折ると、願いごとがかなうんじゃと」「えっ、ほんま?」「そんならうち、千羽折ろう!」
少女の人生を朗読劇に
朗読劇は、禎子さんの生涯を描いた絵本をもとに作られました。代表を務める伊集院さんは、終戦後も続いた市民の苦しみを伝えたいと公演を続けています。
アクティブハカタ 伊集院晃生さん
「使命感ということではなく、ただ禎子さんの話を伝えたい。何も力のない人間が死んでいくという禎子みたいな人の死というものは人間にとって強烈じゃないかなという意識があって」
福岡に移り住んだ少女の家族
8月7日の公演。客席には禎子さんの兄、佐々木雅弘さん(82)の姿がありました。雅弘さんは、福岡県那珂川市で約60年美容院を営んでいます。禎子さんが亡くなった後、両親やきょうだいとともに福岡へ移り住みました。禎子さんの同級生たちが募金活動を行い「原爆の子の像」が建った時には、家族に対して誹謗中傷もあったといいます。
禎子さんの兄 佐々木雅弘さん(82)
「『佐々木っていうのは、禎子を売り物にして金を稼ぎよるげな』って。売り物にして金を稼いでいるって言われたわけよ。これだけ苦労しているのに、なんにも分かってもらっていないということを、そこでまざまざと父は現実を見たわけね」
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この記事を書いたひと
町田有平
2010年RKB入社。報道記者、情報番組ディレクター、ラジオプロデューサーなどを担当。2女の父で趣味はキャンプと筋トレ。