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関東大震災の朝鮮人虐殺…“ファクト”否定したい人たちを助長する都知事

関東大震災直後のデマによって、虐殺された朝鮮の人々がいる。震災100年の今年9月1日、RKB毎日放送の神戸金史(かんべ・かねぶみ)解説委員長は4年ぶりに朝鮮人犠牲者追悼式典の会場に足を運んだ。「虐殺はなかった」と主張する人々にも取材しRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で伝えるとともに、小池百合子都知事の責任に言及した。

関東大震災から100年

関東大震災の発生から100年の今年9月1日、東京都慰霊堂(墨田区)で追悼式典が開かれました。慰霊堂が立つ場所は、「火災旋風」で多くの方が亡くなった場所です。慰霊堂の隣には「朝鮮人犠牲者追悼碑」が建っていて、そこで「朝鮮人犠牲者追悼式典」が開かれました。
 

(多くの人が詰めかけた追悼式典)
 

(追悼碑に祈りをささげる人々)

大震災の後で、デマが流されました。「朝鮮人が暴動を起こした」とか、「朝鮮人が井戸に毒を入れ、火をつけた」とか。町々に、民間人の自警団が結成されました。在郷軍人も多くが参加した自警団は、「お前は朝鮮人か」と問い詰め、殺害していったという歴史的な事実があります。虐殺が起きたのは、東京だけではなくて、関東各地、私が生まれた群馬県でも起きています(藤岡事件)。

※藤岡事件 群馬県藤岡警察署を取り囲んだ群集が暴徒化、保護されていた朝鮮人17名が留置場から引きずり出され、虐殺された事件。

民間人だけでなく、陸軍が機関銃で射殺したのを目撃した日本人の証言もあります。警察も加担しています。朝鮮人だけではなく、なまりの強い地方出身者や障害のある人、中国人なども「言葉がおかしい」という理由で殺害されています。

今も正確な人数は分からないまま…

虐殺があったことは、目撃した多くの子供たちの作文にも残っています。遺体はその後移されるなどして、事件の隠ぺいも図られているので、虐殺犠牲者の正確な人数は分かりませんが「加害者が特定され、起訴された事件」に限って言えば、朝鮮人の被害者数は233人でした。
 

しかし、内閣府が事務局を務める中央防災会議(総理大臣をはじめとする全閣僚も入って構成されている国の公式な会議)の専門調査会は、2009年にまとめた報告書で、大震災の犠牲者約10万5,000人の「1~数パーセント」と推計しています。1パーセントなら、1,050人。殺害されたのは、数千人という規模となります。
 

報告書には、こうあります。

「武器を持った多数者が非武装の少数者に暴行を加えたあげくに殺害するという虐殺という表現が妥当する例が多かった。殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった。加害者の形態は官憲によるものから官憲が保護している被害者を官憲の抵抗を排除して民間人が殺害したものまで多様である」

「自然災害がこれほどの規模で人為的な殺傷行為を誘発した例は、日本の災害史上、他に確認できず、大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある」

植民地主義が虐殺の背景に

二度と起こしてはいけない、という意味で「今後の防災活動においても念頭に」と書かれています。どうしてこんなことになったのでしょうか――。

大震災が起きた1923年は、韓国を日本が併合してから13年後。日本人が朝鮮に持つ差別の意識、それに抑圧された朝鮮の人々が「いつか日本国内でも立ち上がるのではないか」という恐れなどが指摘されていて、植民地主義が背景にあったことは、否定できません。

震災100年の追悼式典では、静かに鐘が鳴らされ、「しめやか」と言う表現がふさわしかったのですが、実は近年はそうではありませんでした。

追悼メッセージを止めた小池百合子都知事

(小池百合子東京都知事)

2017年に、東京都の小池都知事は、朝鮮人犠牲者の追悼式典に追悼文を送るのを止めました。小池知事は「震災による極度の混乱下での事情で犠牲となった方を含め、犠牲となった全ての方に対し、慰霊する気持ちを改めて表すということで対応している」との見解です。
 

しかし、朝鮮人犠牲者は、災害で亡くなったわけではない。「災害を生き延びた人たち」が、人為的に殺されたのです。あの石原慎太郎さんでさえ送っていたメッセージを取り止めた小池都知事の姿勢には、強い批判が出ています。

朝鮮人追悼式典を騒音で妨害する日本人

2019年に、私は現場で取材しています。私が作ったドキュメンタリー『イントレランスの時代』から、一部をお聴きください。

虐殺の目撃者がまだ生きていた、大震災50年目の年に始まった追悼式典でしたが、数年前から追悼式典のすぐ隣で、「朝鮮人の虐殺はなかった」と主張する集会が開かれるようになりました。

「朝鮮人が、震災に乗じて、略奪・暴行・強姦などを頻発させた、軍隊の武器庫を襲撃したりして、日本人が虐殺されたのが真相です。犯人は、不逞朝鮮人、朝鮮人コリアンだったのです」

「また、テロもありました。朝鮮左翼により計画されてたんです。そして実行されたんです。それに対する、住民の自警行為もありました。しかしね、6,000人の大虐殺はなかった!」(RKB毎日放送2000年制作『イントレランスの時代』より)

(2019年9月1日、「そよ風」会場のスピーカーは追悼碑に向けられている)


この音は、本来の「朝鮮人犠牲者追悼式典」の会場で録りました。数十メートル離れたところで、式典に反対する人が集会を同じ時間に開いて、スピーカーを碑の方に向けていたのです。「虐殺はなかった」という罵声が聞こえ、日本人として居ても経ってもいられないような気持ちになり、非常に恥ずかしい状況でした。しめやかな雰囲気どころではありません。


朝鮮人虐殺否定派の市民団体「そよ風」は、「犠牲者6000人という数字には根拠がない」として、碑の撤去を求めています。


この時、「不逞鮮人」という差別用語を使っていましたが、この発言は東京都の人権尊重条例で「ヘイトスピーチ」と認定されました。こういう状況が、近年の式典でした。今年は静かに行われたのですが、実はこの後に大きな出来事が起きたのです。

虐殺された朝鮮人追悼碑の前で…

「虐殺がなかった」と言う人たちは、増えています。しかし、歴史的な事実の前では、ほとんど「妄想」、日本人がそんなことをしたのを認めたくないという「願望」ですね。否定しようがない、いろいろな証言や記録が残っているのに、「愛国者」であろうとするあまり、踏み出しすぎている状態かと思います。


虐殺否定派は2017年から、追悼式典(午前11時~)と同じ時間帯に集会を開き、スピーカーを追悼式典会場に向けて、静謐な祈りの場を妨害してきましたが、今年の9月1日は時間をずらしました。ところが「そよ風」は午後4時半から、追悼碑の前で「真実の慰霊祭」を開く、とブログで発表したのです。

半島から生活の糧を求めて上京した朝鮮人も震災に遭い多数の方が落命しました。特に二百数十人の方は自警団に殺されると言う非業の最後を遂げました。さぞ無念だったことでしょう。ここに真実の慰霊祭を粛々と催行致します。奮ってご参加下さい。

司法省の記録で、加害者が特定され起訴された事件に限った被害者数は、朝鮮人233人でした。この方々に限って追悼式典を開く。これが「真実」だという言い方なのです。記録に残らなかった人たちを消去しようとしているわけですね。ものすごく多くの虐殺された人は、今も名前が分からない人たちです。

「冒とく許せぬ」集まった人たち

現場でお会いしたのは、福岡市出身のマーケティング・ディレクター、金正則さんです。

金:100年ですけどね、こんなことになっちゃって。冒とくですよね、本当に。私は“宗教”の人間ではないけど、冒とくとか踏みにじられた感じ。

神戸:この後、トラブルが起きなければいいですけど。

金:そうですね。

神戸:両成敗になってしまったらまずいから、少し直接的な抗議をしにくいのではないかという声もありますが。

金:それは関係ないんじゃないかな。(抗議に集まってきた人たちは)組織体じゃないから、止められないですよ。止められない。

「これは冒とくで、多くの人が阻止するために集まってきているのだ」とおっしゃっていました。在日韓国・朝鮮人だけでなく、多くの日本人も集まっていました。数百人はいたと思います。

慰霊の日にふさわしくない罵り合い

碑から数十メートル先に、「そよ風」が集合している場所が見えます。喪章をつけた日の丸が掲げられていました。その間には警察が入り、柵も立てて、直接衝突が起きないようにスペースを空けていました。
 

(集合場所に待機する「そよ風」の人々)

開始時刻の30分前、午後4時過ぎには非常に緊迫した空気になってきました。「そよ風」の一団が、じりじりとゆっくり歩き始めました。警察官が取り巻いています。柵の向こう側から突然、「レイシスト(人種差別主義者)帰れ」というコールが始まりました。
 

(柵に詰めかけた抗議の人々)

抗議する人:レイシスト帰れ、レイシスト帰れ、レイシスト帰れ!

そよ風グループ:てめえに言われて帰るか、ばか! てめえは無力だ。文句があるなら、この中に入ってきてみろ、この野郎! 文句あるなら入って来いよ、ぶっ殺してやるぞ、この野郎! こっち来い!

(虐殺は233人だと主張する「そよ風」の人々)

こんな、すさまじい応酬となりました。

「虐殺」の事実を認められない人たち

(衝突を避けるため制止する警察)

警察に制止され、慰霊碑の前まで「そよ風」は進むことができなくて、最初の集合場所に戻って短い集会をし、公園を出ていきました。1時間程度、慰霊の日にはふさわしくない、騒然とした雰囲気が続きました。「そよ風」のメンバーに話を聞きました。

神戸:慰霊祭をしようとしているんですよね?

女性:慰霊祭です。慰霊祭を妨害するというのは、どういう話なんでしょうか。どうして邪魔するのですか。

神戸:でも今までは…(「そよ風」がスピーカーで妨害していたのでは、と言おうとして遮られる)

女性:お寺でも何でも、人を慰霊している時に、こうやって邪魔するというのは、いろんな考え方があってもいいかもしれませんけども、おかしくないですか?

別の女性:双方、亡くなった人を慰霊しに来ました。それで、来たのに通してくれないんだよ、警察が。あいつら(抗議する人)の批判っていうのは、私ら街宣やってもいつも一緒だから。

神戸:「(虐殺された朝鮮人)6000人」が多すぎるというのはわかるのですけど、230人というのは少なすぎませんか?

女性:あの災害なら、どんだけでも亡くなっているでしょ。日本人だって何万人も死んでるし。

神戸:虐殺された人が…。

女性:虐殺してませんて。「そんな事実ない」って聞いていますよ、日本人側としてはね。なんで虐殺しなきゃいけないんですか?

神戸:虐殺は歴史的な事実だ、とはお考えになっていない?

横から割り込む男性:虐殺はあるよ。今でも北朝鮮で虐殺起きてるじゃん。今でも起きてるじゃん! その虐殺は問題にしないのか、お前らは!?

「虐殺はなかった」と、はっきり言っていましたね。死んだ朝鮮人230人あまりの方々は、日本に対するテロを起こそうとして、それを日本人が抑えるために殺害したのだ、というスタンスなのです。


この団体「そよ風」は元々トラブルになることを厭わないので、「政治的な対立が持ち込まれるのは困る」と東京都などが「両方の追悼式典を中止させるのではないか」という懸念が広まっています。


「そよ風」の関係者は、「両方の追悼式典をなくすのが目的だ」という表現をし、碑の撤去を求めています。自分たちの追悼式典ごと、本来の追悼式典をなくしたい、という意思があるのだろうと思います。

「どっちもどっち」論に立ってはいけない

抗議する側にも、人格攻撃のような罵声がありました。傍から観ていると、「なんでこんなひどいケンカをしているんだ?」とも見えるのです。
 

しかし、注意しておかなければいけないのは、「どっちもどっち」と言ってはいけない、ということです。「虐殺があった」といいうファクト(事実)、「なかった」というフェイクを並べて、「2つの意見がある」という言い方はできないと思うのです。
 

例えば、「人を殺してもいい」という意見と、「人を殺してはいけない」という意見があって、「意見が対立しているから両論併記すべきだ」と言う人がいたら、おかしいでしょう。「差別をしてもいい」「差別はいけない」も、「どちらかに偏ってはいけない」という言い方はできないですよね。

「歴史修正主義」の怖さ

虐殺があったか、なかったか。結論がはっきりしている話なのです。みなさんの身の周りでもし「朝鮮人の虐殺って、本当はなかったんでしょ」と言っている人がいたら、その人は信用できないと考えていいです。思い込みに惑わされてしまっている方です。


「虐殺は事実だった」と「なかった」を両論併記し、「いろいろな意見があります」とは決して言ってはいけません。事実が相対化されて、「一つの意見にすぎない」と矮小化されてしまいます。これは本当に、亡くなった方に対する冒とくなんです。これが「歴史修正主義」の怖さで、虐殺や戦争は防げなくなるのです。


私たちメディアも、両論併記することは避けなければなりません。2つの意見があったらきちんと採り上げるのは僕らの原則なんですが、「フェイクとファクトを並列することは、職業倫理に反する」と思っています。

小池百合子都知事に大きな責任

こうした風潮を助長したのは、小池百合子都知事が追悼メッセージを取り止めたことです。そして「震災100年」の当日、碑の撤去を求めている人たちの集会を、東京都が碑の前で許したことです。混乱の責任は、一義的に東京都にあると私は思います。
 

こうした混乱を繰り返さないために、きちんと事実は認めていかなければいけない。これは「反日」とかそういう話じゃないのです。日本を愛すれば愛するほど、将来にわたって日本がきちんとありたいと考えるならば、過去のことをきちんと認めること。
 

それは歴史に恥じることでも、国を愛する気持ちに恥じることでもないと思います。気持ちが先んじて、「願望」を事実と思い込んでいる人が増えていることは非常に危険だ、と私は現場に行って思いました。

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この記事を書いたひと

神戸金史

報道局解説委員長

1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。