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ウォルト・ディズニー創立100年・松尾潔が「その功罪」を語る

今や世界中で愛される巨大エンターテイメント企業「ウォルト・ディズニー・カンパニー」が10月16日で創立100年を迎えた。しかしその歴史は光と影の両方がある。同日朝、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演した音楽プロデューサー・松尾潔さんが、まばゆいだけではないその功罪と、ディズニーが生み出した名曲たちを紹介した。

ウォルト・ディズニー・カンパニー創立100年

ウォルト・ディズニー・カンパニーが、まさに今日10月16日、創業100年です。創業者ウォルト・ディズニー氏の顔は覚えていますが? これは僕の持論ですが、ウォルト・ディズニーと、「ケンタッキーフライドチキン」のカーネル・サンダースの2人は、われわれが日常的に接しているものを作り出した人で、名前もよく知られていますが「動いているところ見たことがない」アメリカ人の筆頭だと思います。
 

1901年生まれのウォルト・ディズニー氏の人生は、20世紀の始まりとともにあったといえます。そして、亡くなったのは1966年です。僕は1968年生まれですが、子供の頃見たディズニー映画では、ディズニーさん自らが登場し、いろんな話をするシーンが入っていたのを記憶しています。考えてみると、没後の方が長くなっているんですよね。
 

ウォルト・ディズニー氏が亡くなった後に、この会社を引っ張ったのは、実兄のロイ・O・ディズニーです。さらにその家族や子供の配偶者とかがどんどん大きくしていきました。今われわれが認識しているような「一大エンタメ企業」という存在は1980年代以降に確立されていったと考えてよいでしょう。

文化系も体育会系も、あらゆるエンターテイメントを牛耳る巨大グループに

創業から100年経った今、われわれが「ディズニー」と呼んでいるものは、大きく分けて3つあります。ひとつは、みんな大好きなディズニーランド、いわゆるテーマパークです。ディズニーの名前を使ったホテルやリゾートはハワイや日本にもありますが、これを運営したりライセンスしたりしているのはディズニー・パークス・エクスペリエンス・アンド・プロダクツという会社。
 

あとはディズニー・エンターテイメント。映画を作ったり、配給したりするところですが、そもそもの成り立ちはこの会社からですね。


さらに、ESPNというスポーツ専門のテレビチャンネルもディズニーのグループ企業です。フットボールやアイスホッケーはもちろん、野球、バスケットボールといった、アメリカで人気のスポーツの試合を放送しているのがESPNです。
 

ディズニーって、どうしても日本ではミッキーマウスを始めとするキャラクターのイメージ、そしてテーマパークという感じかもしれませんが、文化系のホビーだけではなく、スポーツも牛耳っています。つまり、文化部と運動部のどちらも仕切っているという言い方もできますね。
 

ほかにも、アメリカの3大民間放送ネットワークの一つに数えられるABCもディズニー傘下ですし、あとはピクサー、マーベル、最近でいうとHuluも傘下になっていますね。映画会社の20世紀フォックスもそう。そもそもはウォルト・ディズニーさんが手作業でミッキーマウスを始めとするキャラクターを生み出したところから始まりました。それが、エンターテイメントって、こんなに拡大して事業を大きくできるんだという実例を作ったわけですね。

プロパガンダ映画で国威発揚

実はウォルト・ディズニー氏の人物像は、われわれ日本人からすると、要注意人物でもありました。政治的には共和党を支持していて、第二次世界大戦中には、国威を発揚するようなプロパガンダ映画も撮っています。
 

中でも有名なのは『空軍力の勝利』という作品ですが、これは「日本本土への攻撃を今こそやりましょう」と、爆撃を煽るような内容です。これは1943年に制作されました。日本への攻撃はその翌年1944年に本格化したわけですから、この映画の影響は今、歴史的にジャッジされるべきじゃないかという声もあります。
 

エンターテイメントを作る人の思想が、どれぐらい社会に影響を与えるのかと問われる話ですが、ディズニーがプロパガンダ映画を作ったということは、記憶しておいていいでしょう。

会社としては時代にフィットさせていく

政治的な姿勢だけに限らず、人種やジェンダーに対する姿勢も、今の価値観で言うと「いかがなものか」と首をかしげるものがありますね。黒人の描き方に関して、彼は人種差別主義者と言われても仕方がないような姿勢でした。
 

だけど会社としてのディズニー・カンパニーは時代に対してフィットさせていく努力を行っています。わかりやすいところでいうと、今年の実写版『リトル・マーメイド』ですね。主人公アリエルをアフリカンアメリカンが演じるということで新しいディズニーを打ち出そうとしています。
 

僕のような、エンターテイメント業界の端っこにいる人間としては、たった1人で「こんなコンテンツがあれば面白いな」と思って作ったミッキーマウスが、ここまで事業として拡大できるんだということに驚きます。しかも、1980年代以降どんどん本格化していきました。
 

僕も青春時代と重なっていますし、ディズニーのアルバムをプロデュースしたこともあります。改めてディズニーとともに生きる時代というものを、今日考える1日にしてもいいんじゃないかなと思います。

ピノキオ「星に願いを」

ここからは、ディズニー映画が生み出した名曲をいくつか紹介します。まずは「星に願いを」。これは1940年の映画『ピノキオ』の主題歌ですね。戦前ですよ! 日本の映画で、戦前の作品の主題歌はぱっと思い浮かばないと思います。しかも映画を離れてクリスマスソングとしても定番化しています。その年のアカデミー賞の作曲賞、歌曲賞も受賞して、もう掛け値なしにスタンダードと言ってもいいと思います。

アラジン「ア・ホール・ニュー・ワールド」

続いては「ア・ホール・ニュー・ワールド」、『アラジン』の主題歌ですね。1980年代以降のディズニーの大躍進ぶりを象徴する90年代の名曲ですが、ピーポ・ブライソン&レジーナ・ベルのデュエットで、ビルボードのNo.1になっています。今日本でも、ヒットチャートの上位をアニメ映画やテレビアニメの主題歌が占めることは珍しくありません。
 

この曲に関していうと、われわれが一般的にイメージするアニメの主題歌である「子供たちが夢中になるものね」ではなく、「大人が聴く曲」ですよね。

ライオンキング「愛を感じて」

そしてポップスの世界で「ジャイアンツ」と呼ばれる大物アーティストたちも、ディズニーの呼びかけに応じていろんな名曲を提供しています。エルトン・ジョンさんの「愛を感じて」。『ライオンキング』の主題歌です。1994年、もう30年近く前です。これもアカデミー歌曲賞を受賞しています。
 

『ライオンキング』は映画史上最も観客動員数が多かったアニメ長編映画といわれています。この映画、手塚治虫の『ジャングル大帝』のパクリじゃないかと言われています。ディズニーって功罪あって、こういうダークな噂もずっとついて回るんですが、その圧倒的なエンタメ力で、世界中のいろんな童話や伝承されてきた物語をディズニー流儀で作り直してきました。
 

アダプテーションしてディズニー仕様に作り直すことで、それがグローバルな人気を獲得する、ということを繰り返していました。そして、仕上げに使われるのはいつも圧倒的な名曲。音楽って怖い気もするんですが、ただやっぱりこういう名曲を前に抗うのは相当難しいと思います。
 

僕も10年ぐらい前、ディズニーの企画のアルバムをプロデュースしました。「ディズニーやるんだけど、曲貸してくれないかな?」とか、「一緒に歌ってくれないかな」って、平井堅さんとか東方神起とかMay J.さんとか、いろんな人たちに声かけたんですけど、みんな引き受けてくれますね。
 

そこまでディズニーに思い入れがないアーティストでも、「ディズニーの仕事やると家族が喜ぶんです」みたいなことおっしゃる方もいました。日本でも矢沢永吉さんのようなビッグネームもディズニーの仕事やっていますね。

アナと雪の女王「Let It Go」

ディズニーの作品で、日本語で歌われたものとして近年最も評判になったのは「Let It Go」ではないでしょうか。松たか子さんは有名な梨園のご出身であるということから、ある人は「この曲を介してウォルト・ディズニーと日本の梨園、歌舞伎が繋がった歴史的な瞬間だ」と言いました。
 

古き伝統、新しき伝統、新しい革新。いろんなことを考えるヒントを与えてくれるのがディズニーの文化だと思います。人を幸せにしてくれる企業であり、一方でその裏にはいろんなドラマ、美しいだけではない過去もあったという、ディズニー自体に対しても意識を傾けてみるのもいいと思います。もちろんそうすることによって、エンターテイメントの価値が薄れることはないでしょう。

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