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安田菜津紀「日本人じゃないみたい」父に言った“後悔”とルーツ探る旅

フォトジャーナリスト・安田菜津紀さんは、父親の戸籍を見た時に衝撃を受けた。在日コリアンだった過去を娘に言わないまま死んだ父。安田さんは、自分の拠って立つアイデンティティを確かめていく旅に出た――。安田さんと親しい、RKB毎日放送の神戸金史解説委員長が、福岡県内での講演会を取材し、10月24日放送のRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で伝えた。

九州朝鮮中高級学校で安田菜津紀さんが講演

RKB神戸解説委員長と安田さん


私は日本史学をずっと学んできましたが、大陸・朝鮮半島と日本との関係は、僕ら日本人が思う以上に歴史の中で重要で、もっと意識しないとだめだな、とよく思うようになりました。
 

北九州市八幡西区折尾にある九州朝鮮中高級学校で10月8日、フォトジャーナリスト・安田菜津紀さんの講演会が開かれたので、行ってみました。生徒さんや保護者、一般の方で体育館がいっぱいになっていました。
 

体育館はいっぱいに

安田菜津紀
1987年神奈川県生まれ。フォトジャーナリスト。認定NPO法人Dialogue for People副代表。TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で、難民や貧困、災害の取材を進める。

現在の中東情勢や、改正された入管難民認定法がどれほど内容になってしまったのかなど、お話は多岐にわたりましたが、自分自身のルーツについても安田さんは語っています。

誰も知らない父の過去

16歳だった安田さんは、その当時まで全く思ってもみなかったことを知ることになります。安田さんが中学2年生のときに亡くなった父親が、在日コリアン2世だったことを初めて知るのです。

安田:パスポートを作るためには、戸籍を求められますね。「何が書いてあるんだろう?」と、何気ない気持ちで戸籍を見た時に、父親の欄に見慣れない文字を見つけました。

「韓国籍って書いてある…」

そこで私は、中学2年生の時に亡くなった父が在日コリアンだったことを、字面で初めて知ることになりました。思いもよらないことだったので、アイデンティティの前でフリーズしたまま、家に帰って恐る恐る「これって聞いていいことなのかな」と思いながら、母に尋ねてみました。母親は、知っている限りのことは全て話してくれたと思っています。

父が日本生まれの在日コリアンの2世代目であったこと。1948年生まれなので、まだ戦後の混乱を残していたころですよね。

「出自もあってか、とても複雑な家庭に生まれて、教育の機会にうまくつながることができない人だった。何かは具体的には言ってくれなかったけど、話ぶりからどうやら自分の出自によって嫌な思いをしたことがあるみたい。だから、日本人として生きよう、日本人になりきろう、それを徹底しようとした人だったんだよ。でもそれ以上のことは……。家族がどんな人で、どこからやってきて、いつやってきたのかは、私には一切を話してくれなかった」と。

母がどこかさびしそうに話してくれたのを覚えています。

衝撃だったでしょうね。それまで考えてもみなかったことだから。安田さんの著書『国籍と遺書、兄への手紙――ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ刊、税別1900円)に詳しく書かれています。今年5月に発売され、現在3刷となっています。

幼いころ父に言ってしまった言葉

父親との思い出に触れる安田さん


安田さんは、小さなころに父親に自分が言った言葉を忘れられないでいます。

安田:小学校に上がる前だったか、上がってすぐだったか、「お父さんお帰り!」と駆け寄って行って。自分が読んでいる絵本を、その日は父親に差し出して、「今日はお父さんが読んで」とお願いをしました。

仕事帰りだったので多分疲れていたと思いますが、父は嫌な顔一つせず、私を膝の上に乗せてくれて、その本を読み始めようとするんですが、スラスラと読むことができませんでした。

一つの文章の中で、何回も何回もつっかえる。「なんでそんなところでつかえるの? おかしいよ」というところで。私はその絵本を読み終える前にしびれを切らして「もう、いい!」とその絵本を突き返して、父にこう言いました。

「ねえ、お父さん、変だよ」

「お父さんはどうして、お母さんみたいに絵本が読めないの?」

「お父さん、日本人じゃないみたいだよ」

と、私が言い放った時の父親の顔。私は多分一生忘れないと思っています。私が言い放った一言が、父親にとってどれぐらい残酷な一言なのか、まだ知らないころでした。

この言葉に対して、いつものように父はにこやかに笑っているだけでしたが、安田さんはそれだけではない感情を父の目の中に読み取ったようで「何か変なこと言ったのかな?」と思い、覚えていたそうです。学ぶ機会を持てなかったことがあったんだろうと思われますね。

「日本人として生まれた」自分だからこそ言えることが

亡くなった父親が在日コリアンだったことを明らかにしている安田さんは、ネット上で「朝鮮半島に帰れ」など差別的な言葉を投げかけられるようになっています。あまりひどいので、このうち2件について裁判を起こしました。講演を聴いていて衝撃的だったのは、そのうち1人は福岡県に住む人だったことです。この方とは和解しましたが、もう1件は今年6月、相手方に30万円の賠償命令が下りています。

安田:地域の方々が声を上げ続けて2016年の5月に成立したのが、ヘイトスピーチ解消法でした。理念法ではあるんですけれども、私自身のヘイトスピーチの裁判の中でも引用されたこともあって、決して無駄な法律ではないと思っています。

そして2019年の12月、川崎というコミュニティの中ではとても大きなことだったんですが、全国に先駆けて初めてヘイトスピーチを刑事罰の対象にするというヘイトスピーチ禁止条例が、全会派一致で可決されます。川崎市議会にだって、いろいろな歴史認識の、いろいろなバックグラウンドの議員さんたちがいます。その中でも、「でもこれは許されないよね」という一点で議会が一致できることがあるんだ、という意味でも、川崎市議会の決定はとても希望的なものだと私自身は感じました。

ヘイトスピーチ禁止条例ができたところで、全てのヘイト行為が全部止むということでなくて、駅前では相変わらず突発的なヘイト街宣は繰り返されてはいるんですけれども、それでも一時期のあの大規模なデモは起こらなくなりました。

私自身は日本人、日本国籍者として生まれ,けれども父親のルーツは朝鮮半島にあるという私自身の立場だからこそ、もしかしたら届けられるものがあるかもしれないと考えています。

「ここにこんな問題がある。気がついていますか?」「気がついたあなたはどんなふうに感じますか」という投げかけを、写真と言葉で私自身も続けていきたいと思っています。

フラットにせず「違いは違いとして」

自分ならではの立場だからこそやることがあるのではないかと考えて、ジャーナリスト活動を続けている、と話していましたが、本の中で安田さんはこう書いていました。
 

語りかける安田菜津紀さん

この社会に存在する国籍や出自、ルーツや文化の「違い」は、「なくすもの」でも「乗り越える」ためのものでもない。だからこそ「皆、地球人」という、フラットに均してしまう語りにも違和感がある。違いが違いとして、ただそこに自然と存在することができる社会が、生き心地のいい場所なのだと、私は思う。(213ページ)

自分のアイデンティティにこだわって、いろいろなことを調べていく。祖父母が住んでいた場所では全く痕跡も残ってないとがっかりしながら、それでも安田さんは少しずつルーツを探っていく旅をしていった――。

私たちの社会を朝鮮半島と考えて見ると、合わせ鏡のように日本が見えるといつも思うのです。この本を読んでいくと、安田さんを助けようとするいろいろな人々の素顔、優しさが出てきます。一方で、本当にひどいヘイトが出てきます。これも合わせて日本の姿だなと思いながら読みました。

安田菜津紀書『国籍と遺書、兄への手紙――ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ刊、税別1900円)
 

「読んでみたいです」と放送後に安田さんの著書を持ち帰った橋本由紀アナウンサー



 

神戸金史・RKB解説委員長

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この記事を書いたひと

神戸金史

報道局解説委員長

1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。