「ひとつの星でありたい」マイノリティ自覚する大学生の願いを朗読
目次
「今の社会は立方体」―――。マイノリティを自覚する大学生が、講師に宛てた講義の感想でそう表現した。講師を務めたのは、RKB毎日放送の神戸金史解説委員長。その言葉の描く美しさに魅了された神戸委員長は、11月28日に出演したRKBラジオ『田畑竜介Grooooow UP』で一部を紹介した。
マイノリティを自覚する大学生の「言葉」
西南学院大学法学部で「TVドキュメンタリー実践論」という講義を担当しました。13回の講義が終わった7月末、受講生の一人が感想を寄せてくれました。ドキュメンタリーにはマイノリティが出てくることが多いです。それは、私たちの目には映りにくい社会の一面を見せてくれるからです。
自らをマイノリティだと自覚するこの学生さんが書いた文章は、私がこれまであまり目にしたことのない、美しい文章でした。本人の許可を受けて、ラジオで橋本由紀アナウンサーに一部を朗読してもらいました。以下、インターネットでは全文を紹介します。
高校を中退した私
金曜5限の「TVドキュメンタリー実践論」受講生です。最終講義での神戸先生のお話を聞いて、社会的弱者の人権やマイノリティの人権について思うところがあり、感想文を書きました。
最近、朝井リョウ氏の著書「正欲」という本を読んだこと、タレントであるりゅうちぇる氏の訃報を受けて感じたことなどに基づいて、社会的弱者やマイノリティについて本講義の感想を含めて、述べたいと思います。
りゅうちぇるへの誹謗中傷に激しい憤り
私自身、思春期の成長過程で男女二元的な制服のどちらにも適合できなかったことや性的嗜好、周りと違うことへの不安感から精神病を患い、高校2年次に中退しました。学生という肩書きを失った16歳の私はあまりに無力で、社会的弱者であり、マイノリティでした。
私は、りゅうちぇるがYouTubeに投稿する人生相談や雑談の動画を見るのが好きでした。普段、社会の隅っこでか細く息をする人間がひと息つける居場所が、そこにはありました。でも、それすらも社会は許容しませんでした。彼の訃報を聞いたとき、表面上は多様性を謳いながらも、彼に誹謗中傷を与え続けたこの社会に激しい憤りを感じました。
たとえ令和に年号が変わっても、結局はマジョリティの価値観に基づいて作られたルールが絶対的に支配する社会であることを嫌でも思い知らされたことが、酷く悲しく、胸が詰まる思いでした。
「宇宙の外に何があるのか」知らないのに
宇宙は広くて、形がありません。それなのに、マジョリティは世界を無理やり立方体として認識しているようなものです。潔癖で几帳面で神経質な人たちがやっていることなのでしょうか。自らが形作った社会の範囲外にあるものはブラックアウトして彼らには見えません。私たちが宇宙の外に何があるのかを知らないのと同じです。
一般的価値観の是とするもの、非とするもの。その是非の判断基準もまた一般的価値観によって体系化され、そのことを信じて疑わない人たちによって運用されています。でも、宇宙の果てから見れば誤認であるかもしれないその価値観を、誤認であるかもしれないと考える想像力も懐疑心もこの社会には形成されていないのです。
あと何回傷つけられるのか
何にでも名前を付けないと気が済まないこの社会で、名前の付いていないものに社会的価値は与えられません。この世の中のほとんどのものに名前を付けてしまったつもりでいて、名前のないものに無関心を貫き、正義のような顔をして説教を垂れる人に、私たちはあと何回傷つけられればよいのでしょうか。私たちはあと何回傷ついて、生きていかなければならないのでしょうか。
周りの友達が好きなジャニーズや韓流アイドルの話で盛り上がっている中、YouTubeで動物の遠吠え動画や交尾動画を見漁っていた小学生の私に、多様性を謳う令和の社会はどんな手を差し伸べ、何と名前を付けてくれるのでしょうか。ジェンダー理解を推進すると声高に叫んだ法案のどこを探しても、探していたものは見つかりませんでした。
誰もが自由だったネットコミュニティ
小学生の私は、当時その探し物をネットの世界で見つけました。(ニンテンドー)3DSというネット接続が可能なゲーム機を通じて作られたコミュニティの中で、自分と年の変わらない子たちも大学生も社会人も、自分と似通った趣味嗜好を当たり前のように自由に表現していました。学校では理解されないことでも、そこにいる人たちは共感して、対等に話をしてくれました。
高校生になってからは、SNSというもっと大きな世界で、私はとても自由に息をすることができました。その一方で、母親は勝手に入った私の部屋で見つけたスケッチブックを見て、泣いていました。
“立方体”の社会 どこにもない居場所
生きづらい、生きづらい、生きづらい。そう思いながらずっとずっと、生きてきました。はやく誰か私に名前を付けて、一括りに束ねてほしいと何度も思いました。LGBTという言葉が一般化してからは、周りの大人は、お前はそのどれに属するのか、としきりに尋ねてきました。
セーラー服が嫌だと言えば、学ランを持ってくる大人と向き合うことが、社会と向き合うことが、自分と向き合うことが、自分という存在を全て否定されているようで苦しかった。立方体の社会のどこを探しても、自分の居場所は見つかりませんでした。
一般化されたネットは“生き地獄”のよう
マイノリティが唯一自由に息をできていたネットの世界ですら、今や立方体の中です。マイノリティの住処だったネットは一般化され、誰もが土足で踏み込んでくる生き地獄のようです。多様性を謳う正義感の強い人間に、求めてもいないのに勝手に名前を付けられて勝手に肯定されて、あなたはあなたらしくいていいのよ、という耳触りがいいだけで中身など何もない言葉をかけられて、彼らの妄想する理想の世界観に付き合わされるようになりました。
「今の素直な気持ちを言葉に」
この授業を通じて、多種多様な人々の人生、そして自己表現をする様子に、ドキュメンタリーを通じて触れることができました。人には皆、それぞれの正義があり、信条があり、そのことに自信や誇りがあるように見えました。
私は10代で高校中退や鬱病を経験して、社会に対して言いたいことや鬱屈とした想いは人一倍ありましたが、その思いを言葉にすることや発信することに強い恐怖感があり、今まで素直な自己表現を出来ずにいました。しかし、ドキュメンタリーの中で出会った力強く生きている人々の姿に、私は勇気をもらいました。こんな風に自分の信条に自信を持って、自己表現がしてみたい、その思いが毎週の授業を通じて少しずつ強くなっていきました。そして、最後の授業を終えて、今の素直な気持ちを言葉にしてみようと思ったのです。
長くなってしまいましたが、この文章を通じて、私はひとつ大きな一歩を踏み出せた気持ちでいます。神戸先生、大変貴重な講義をありがとうございました。また、機会があれば色々なお話が聞きたいです。
「ひとつの星でありたい」と願うだけ
私たちは、あなたたちの立方体の中に取り込んでほしいとは思っていません。ただ、その外にある広い宇宙で、それぞれの銀河系の中で、ひとつの星でありたいと願うだけです。立方体を抜け出して、宇宙で星になろうと決めた人たちを、頼んでもいないのに立方体の中の倫理に照らし合わせて否定し、ひとつの星の輝きを消してしまった社会を、どうしても憎んでしまいます。
願わくば、いつか、立方体が破壊されて、囚われていたたくさんの星たちが宇宙に広がって、誰よりも美しく、綺麗に輝いていく未来が訪れますように。
先に星になってしまった人たちと、そこでまた、巡り会えますように。
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この記事を書いたひと
神戸金史
報道局解説委員長
1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。