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なぜ久留米にゴム産業が始まったのか? ゴムのまち・久留米の意外な新事実!

福岡の「なぜ」をジョナサン・シガーが外国人目線で探る「ジョナサンのWhy Fukuoka People!?」今回はゴムのまち久留米の意外な新事実が解明されます⁉

「上靴」の製造で有名な”ゴムのまち”はどこ?

さあ、まずは天神の街頭インタビューで「上靴」がどこで作られているのか?聞いたところ…ほとんどの若い世代は「中国」・「分からない」という答えが多く、久留米で作られているということを知らない人が多数。
しかし、年齢層が高くなるとその正解率も上昇。地名だけなく「ムーンスター」という会社名を答えてくれる人も。
 

1873年にムーンスターが久留米の地で創業以来、久留米は「ものづくりの街」として成長します。
そして日本のゴム産業の発展と技術革新に貢献。久留米から世界へ!「ゴム産業発祥の地」と言われています。しかし、福岡市内でアンケートをとってみると全体のおよそ30%しか浸透していない!これはまさに久留米の大ピンチなのでは⁉

なぜ久留米でゴム産業が始まった?

「ゴム産業の発祥の地」と言われる久留米市。ゴム3社と呼ばれる「ブリヂストン」「ムーンスター」「アサヒシューズ」があります。いずれも長年この地で久留米市の中心産業として発展しました。
 

「なぜ久留米でゴム産業がはじまったのか?」久留米市民に聞いたところ、やはり1位は「ブリヂストンがあるから」という結果に。そんな中、3位には「地下足袋づくりがきっかけ」という意見も。
土木産業の現場やお祭り、農作業にはかかせない「地下足袋」。炭鉱で働く人たちが地下で履く足袋なので「地下足袋」と呼ばれるようになったという説もあります。
果たして本当にそうなのか?

ゴム産業は「足袋」がきっかけ⁉

アンケート3位に入った「地下足袋づくりがきっかけ」が本当にゴム産業の始まりなのか?「上靴」の製造販売会社ムーンスターを訪ねました。
工場には大量の天然ゴム!「パラゴムノキ」という木の樹液がゴムの原料。元々はアメリカ大陸しか原生していなかったのですが、18世紀後半、マレー半島にゴム園が開かれ、現在は東南アジアが世界最大のゴムの産地となっています。

「上靴」誕生の記録は残っていないそうなんですが、1957年にはじめて「上履き」という言葉が販促冊子に登場。現在は子供靴からメンズビジネス、レディースコンフォートまでおよそ50ブランド、600型もの靴を製造。欧米やアジアにも輸出しています。

そしていよいよ本題。ゴム産業の始まりは…?
今から150年前の1873年、創業者の倉田雲平(くらたうんぺい)が「足袋」の生産を始めました。最初は、家の中で履く「座敷足袋」と言われるものだったそうです。
その後、第一次世界大戦当時、久留米に収容されていたドイツ兵たちが西欧の工業技術などを伝え、産業の近代化に重要な役割を果たしました。その中にはゴムに詳しい技術者もいたそうで、3代目社長の時代に一緒に商品開発をし、1922年(大正11年)第一号の地下足袋が生まれました。当時、画期的な商品として、近くの炭鉱で働く人たちの作業用の地下足袋として爆発的に売れたということ。
 

タイヤメーカーで有名な「ブリヂストン」も現在の「アサヒシューズ」の座敷足袋の製造からスタートし、そこからタイヤ部門が誕生。「座敷足袋」から「地下足袋」。そして「タイヤ」へ。時代の流れと共に、ゴム加工技術が培われ、久留米はゴム産業の一大産地となっていきました。

◎ジョナサン・シガー
RKB毎日放送「タダイマ!」では「ジョナサン・シガーのWhy Fukuoka people!?」のレギュラーリポーターとして、県外の人が福岡に来た時、不思議に感じる“福岡あるある”について調査する特集を担当。「ジョナサン・シガーのWhy Fukuoka people!?」は、情報ニュースバラエティ「タダイマ!」の人気特集である。

放送:2023年11月21日(RKB毎日放送 ごご3時40分 タダイマ!内)

おことわり:掲載内容は放送当時のものです

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