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真珠湾攻撃から82年…マンガ『風太郎不戦日記』で戦争中の日常を知る

「いまだすべてを信ぜず」と、敗戦を迎えた23歳の医学生は日記に書いた。戦後、娯楽作家として名を成した山田風太郎の日記を原作としたマンガ『風太郎不戦日記』(講談社)。「真珠湾攻撃が起きた12月にこのマンガを勧めたい」と話すのはRKB毎日放送の神戸金史解説委員長だ。12月12日に出演したRKBラジオ『田畑竜介Grooooow Up』で語った。

真珠湾攻撃の起きた月に読むマンガ

「8月ジャーナリズム」の話を、夏に何度かしました。平和の話、戦争の話をきちんと報道することが大事なのですが、「8月しかしないじゃないか」といつも怒られます。「戦争も平和も、8月だけじゃなく、いつも考えるべきじゃないか」と言われれば、その通りだと思っています。

 

12月8日は82年前、真珠湾攻撃で日米が開戦した日です。なので、毎年12月にも戦争の話をラジオでしています。今回は『風太郞不戦日記』(講談社、全3巻)というマンガを家から持ってきました。

戦後娯楽小説の巨匠・山田風太郎

作家・山田風太郎(1922~2001)は、娯楽小説の第一人者です。生きていれば101歳ですから、今の人が知らないのは当然ですが、有名な作品は『魔界転生』。映画になって、沢田研二さんや千葉真一さんが出ていました。

 

『くノ一忍法帖』『甲賀忍法帖』など忍法帖シリーズでは、忍者が超能力を使ったりします。全く史実に囚われないフィクション、大胆な発想と言えば大胆、とんでもないストーリーが結構多いんです。

 

中学生の時、おばあちゃんの本棚にあったので読みました。「くノ一」ですから、内容はけっこうエッチで。それ以来、あまり山田風太郎さんを読む機会はなく、高校時代に映画で観て原作を読んだ『魔界転生』が多分最後です。

山田風太郎青年が描いた日記

『風太郎不戦日記』、主人公は風太郎さん自身で、講談社文庫などから出ている原作の本があります。

 

『新装版 戦中派不戦日記」(講談社文庫、2002年、1430円)
『戦中派不戦日記 山田風太郎ベストコレクション』(角川文庫、Kindle版、931円)

 

この原作をあまりよく知らなかったので、「不戦日記」と言うから戦争に反対したのかな、「戦わないぞという大学生だったのか?」なんて思ったのですが、そうではなくて、肋膜炎を起こし徴兵検査に不合格になっていました。1944(昭和19)年のことだそうです。

 

山田さんは今の兵庫県養父市に生まれ、両親が早く亡くなって、父の弟に育てられましたが、あまり関係がよくなく、家を飛び出して働き始めました。元々、父もおじも医者で、東京医学専門学校(現・東京医科大学)に浪人して入学します。

 

マンガの表紙にも、角帽をかぶった青年が出ています。複雑な生育環境で、どこかニヒルな厭世家の青年です。3年生の先輩が病院で教授から「君達も診察してごらん」と指示され、1年生だった患者の風太郎に「はい失礼いたします」「お喉を拝見」と先輩が言う場面を「いつもえらそうな3年もざまぁないな」と笑う。そういう感じの人です(1巻41ページ)。
 

日記をつけ始めたのは上京した年の冬だ。
暗い田舎を抜け出して
あの時は 心のうちから
明かりが灯り始めていたのを確かに感じた
しかし 今の自分はどうだ
毎日読書ばかり
戦地にもゆかず
ただ傍観している(1巻17ページ)

厭世家の医学生が見た「昭和20年」

赤紙(召集令状)を受け取って戦っている人たちがいっぱいいる中、自分はただ傍観して東京で暮らしている。戦争マンガなのに、戦地じゃなく日本国内でのことばかり。暮らしは、貧しい中にどんどん物資が少なくなって、食も困っていく中、兄のように仲良くなっている先輩の夫婦の家に下宿する暮らしが静かに描かれています。

 

大根の輪切二寸ずつ、その値三銭なりしと。
かくて日本に不機嫌と不親切と不平とイヤミ充満す。
みずから怒り、みずから悲しみつつ、国民はみずから如何ともする能わず。人間は、実に馬鹿なり。(1巻86ページ)

自分の日記ですから、少しひねくれている様子がそのまま書かれています。そして、だんだん戦争が激しくなってきます。空襲が来てもそのまま布団をかぶって寝ていたことも。

 

多分、当時はこんな感じだったと思うんですね。空襲が始まったばかりの頃はもう大騒ぎしていても、「またか」という感覚で「もういいや」「疲れているし、寝ちゃおう」と。本当にそういう日常生活だったんだろうな、とすごくリアルに感じられます。

 

僕らもそうじゃないですか。同じ状況が続くと「まあ、いつものことだ」と。新型コロナの時もそんな感じがあったでしょう。初めの頃は非常に敏感だったのに、だんだん麻痺してきて、「毎回やっててもねえ」なんて思ったりして。マンガにはそういう「人間らしさ」が現れている気がします。

戦争の熱狂に巻き込まれ

ところが厭世家でニヒルな青年が、だんだん戦争に心の中で参加していこうとします。それは多分、ただ傍観していることの「申し訳なさ」みたいなものがあったのかなと思います。
 

この未曾有の国難に際し
諸君にはそれぞれ煩悶があろう
私も 夜眠られないことがある
今 学問するのに 何の意味があるのか

しかし 私は思うのです
学問こそが愛国の道と……!!

日本をこの惨苦に追いこんだものは何か?
それは頭だ この頭なのだ!

我らは学問しよう 研究しよう
飯田が焼かれたら さらに山に入ろう
私はどこの果てまでも 諸君とともにゆく

どんなことがあろうと 日本を忘れるな
日本を挽回するのは諸君の外に誰があろう!

みんな身動き一つせず。
校長、実に偉大なり。
(2巻136ページ)

 

そして、校長先生はマンガの中で続いて「断言しておきますが、日本は近い将来、恐ろしい変化が起こります。大転回が参ります。その時に頼りになるのは自分自身だけですよ」と言うのです。風太郎青年は大きな影響を受け、書き残しているわけです。
 

傍観者はいかにして戦争に巻き込まれていったか

原爆投下という情報を聞いてみんなが動揺する中、ニヒルなはずの山田青年は、何としても勝たねばならぬと鼓舞します。そして8月15日を迎えます。ここまでがマンガの第2巻です。

 

第3巻は、戦後のことを書いています。戦争に負ける直前の彼の気持ちの「盛り上がり」は、なかなか激しい表現です。このマンガでは、戦争のすごさ、恐ろしさをいっぱい描いておりました。傍観していた人間がどうやって巻き込まれていってしまうのか、がよくわかります。

 

書籍の「まえがき」には、こうあるそうです。

 

私の見た「昭和20年」の記録である。満23歳の医学生で、戦争にさえ参加しなかった。「戦中派不戦日記」と題したのはそのためだ。

 

※ラジオでは時間が尽きてしまったので、読めませんでしたが、マンガの最後はこんな言葉で締めくくられています。

 

運命の年暮るる。

日本は亡国として存在す。
われもまた
ほとんど虚脱せる魂を抱きたるまま
年を送らんとす。

いまだすべてを信ぜず。
(3巻168ページ)

 

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この記事を書いたひと

神戸金史

報道局解説委員長

1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。