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新生児集中治療室から在宅へ 孤立する親子が「これが息子の世界」と思えるまで 

1月、全国各地で行われた成人式。この日を、「これまでよく生きてくれた」と特別な思いで迎えた家族がいる。障害のある息子と歩んだ20年は決して平坦な道のりではなかった。何が、悲しみの中にあった家族を笑顔に変えたのか。

紫色の特注の袴で「ド派手」成人式に参加


「ド派手」で知られる福岡県北九州市の成人式。1月7日式典会場には、村岡由美さん(50)と夫の学さん(50)の姿があった。二十歳を迎えた息子の友喜(ゆうき)さんと一緒に参加するためだ。由美さんはこの日のために、寝たままでも着せられる特注の袴をあつらえた。紫色。髪も今風にセットした。由美さん「北九州なんで。にぎやかに」と笑う。私たちが村岡さん一家に初めて会ったのは2004年。高度な医療を行うNICU新生児集中治療室の中。当時の由美さんに、今のようなはじけるような笑顔はほとんどなかった。

2004年 NICUに入院 家族は離れ離れに


友喜さん(20)の病名は多発奇形症候群。呼吸が弱く生まれてすぐに産業医科大学のNICU新生児集中治療室に入院。家に帰れない日々が続いていた。当時9か月だった友喜さんはとても苦しそうで、その様子を見守る母親の由美さん(当時30)もつらそうだった。由美さんは、里帰り出産のため夫と暮らしていた北海道から実家のある福岡に戻っていたものの、出産後も帰れない状況が続いていた。

村岡由美さん(当時30)
「夫が北海道にいるんですよ。この子と3歳の娘と4人で住みたい。前みたいに」

夫の学さんは、北海道浦河町で小学校の先生をしていた。当時この町には、友喜さんをみることができる病院はなく、家族が離れて暮らす状況がもう1年近く続いていた。一番最後に学校を出て1人分の夕食をつくる毎日だった学さん(当時31)
 

村岡学さん(当時31)
「こんなこと言ったら怒られちゃうかもしれないけど、1年離れると慣れちゃうところあるんですよね。慣れちゃったって思わないと、逆につらい」

「行っちゃ嫌だ」泣く姉の水葵ちゃん(当時3歳)

感染防止のためNICUには両親しか入れない。由美さんは、当時3歳だった上の娘を母に預け毎日1人でNICUに通っていた。

「どうしてもほかの子供と比べてしまう」


村岡由美さん(当時30)「どうしても比べちゃうんですよね。9か月ぐらいの子供がいると見ちゃうし。『本当だったらこうなのかな』とか。『もっと元気に生まれてくれたらこうだったのかな』とか。そう思うことが街にあふれているじゃないですか。そんな時にNICUに戻ると、悲しい気持ちはでてきますよね」
由美さんは、NICUでの友喜さんの様子を撮影した映像を実家で流していた。すると3歳のお姉ちゃんが、「ゆうきだ!ゆうきだ!」と画面をみて楽しそうに笑う。

村岡由美さん(当時30)
「はずかしい話、3歳のお姉ちゃんが、『ゆうき、大好きだよ』ってすごくかわいがる。その様子をみて、はじめて『ああ生まれてくれてよかった』って思うんです。お姉ちゃんがいなかったら、そんなふうに思えなかったかもしれない。北海道に帰れないでしょう。みんなばらばらになっているでしょう。自分からは、実はそんなには思えない」

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