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松雄の調書に書かれたメモ「私は命令によって行動したのです」~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#23

米兵の捕虜を銃剣で刺して殺害したとして、BC級戦犯に問われた藤中松雄。スガモプリズンに収監される前に、福岡で呼び出されてとられた松雄の調書には、小さなメモが書き込まれていた。そこには、「命令はあった」と書かれていたー。

松雄の調書も誘導された?

松雄は取り調べの際に、暴行を受けたりはしていないようだが、それは米軍の取り調べ官の誘導に素直に乗ったからという可能性もある。メモの内容を見れば、これだけ不本意で、事実と違う調書を取られたということを主張しているわけだから、取り調べ室の雰囲気にのまれて、調査官の言う通りに署名してしまったのかもしれない。

藤中松雄が問われた罪状


不本意に取られた調書をもとに、松雄は横浜軍事法廷の被告となった。国立公文書館の資料の中には、松雄の起訴状もあった。松雄が罪に問われた項目は次の通りだ。

(罪状項目)
被告人、藤中松雄は昭和20年4月15日前後、沖縄県八重山郡石垣島に於いて、日本軍軍人共、及びその姓名不詳なる日本軍軍人兵と共同の上、合同し、共同意志をもって、米軍俘虜ワレン・エイチ・ロイド(Warren H.LOYD)をひどく殴り、且つ銃剣をもって突き刺したることによって、この俘虜を故意、かつ不法にひどく虐待し、且つ殺害し、又、遺体を毀損せり

この起訴状についても、これを否認し反論する、松雄の陳述書があった。松雄は、捕虜を「ひどく殴り」という部分を「全く事実無根」と述べている。

「私は殴るなど全くしません」

横浜軍事法廷がひらかれた横浜地裁

(藤中松雄の陳述書)
「起訴状に書いてある、共同の上、合同し共同意志を以て米軍俘虜、ワレン・エイチ・ロイドをひどく殴ったとありますが、私は殴るなど全くしません。多くの人が知っております。検察官側証拠書類、二等兵曹の口述書で、藤中は数名の者と後車の俘虜をひどく殴り、最後の俘虜も現場で、棒か手で打ったとあります。また、榎本中尉の口述書と、上等水兵の口述書に殴った様にありますが、全く事実無根です。」 

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この記事を書いたひと

大村由紀子

RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞など受賞。

【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか

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