PageTopButton

松雄の調書に書かれたメモ「私は命令によって行動したのです」~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#23

米兵の捕虜を銃剣で刺して殺害したとして、BC級戦犯に問われた藤中松雄。スガモプリズンに収監される前に、福岡で呼び出されてとられた松雄の調書には、小さなメモが書き込まれていた。そこには、「命令はあった」と書かれていたー。

「虚偽の自白」をさせられた二等兵曹の証拠

この陳述書の中で、藤中が捕虜をひどく殴ったと書いてある検察側証拠書類は、福岡で暴行を受け、「虚偽の処刑参加」を自白させられた二等兵曹のものだ。取り調べの状況から「松雄が捕虜をひどく殴った」ということも、虚偽の自白である可能性は高い。松雄は全くの事実無根だと言っている。さらに松雄の訴えは続く。

(藤中松雄の陳述書)
「起訴状で、俘虜を故意且つ不法にひどく虐待し、且つ殺害し、又、その遺体を毀損せりとありますが、私は榎本中尉の命令で行動し、一回刺突したのみで、故意且つ不法にひどく虐待し、且つ殺害し、又この遺体を毀損せりと云う事は、私には解せません」

松雄自身が語る事件の経緯

 

松雄は、陳述書の中で改めて、事件に至る経緯を書いている。

(藤中松雄の陳述書)
1,処刑当時、私の任務は本部付第二迫撃砲今村小隊員で、4月5日ごろ、今村兵曹長の命令で現地入隊した。新兵係を五月上旬頃までしていた。その間、ほとんど甲板士官の命令を受け、諸作業に従事した。
 

2,処刑当日も甲板士官、炭床兵曹長の命令を受け、護部隊飛行場近くの野原に士官室偽装用の草取りに行き、昼食に帰った時、飛行士がパラシュートで3名降りたと聞いた。午後も同作業に行き、4時頃帰り、飛行士が本部に連れられてきた事を聞き、今村隊兵舎下の流水にシャツを洗濯に行った時、馬蹄型の所で訊問されているのを初めて見ました。
 

3,処刑のあった夜、9時から10時の間、寝る支度していると(隊員は殆ど寝ていた)当直伝令が下士官兵当直室前集合の号令を聞き、私は当直将校か甲板士官の訓示か明日の作業の割り当て達示があると思い、今村隊長に行くのを報告すると、隊長は「行け」と命じたので、私はそのままの服装で当直室前に行きました。(巡検後遅く、度々日課割当てがあった)当直室前に行って処刑の事を初めて知りました。衛兵司令の前島中尉に命令されて、他隊の兵隊と整列し、トラックに乗り現場に行きました。私は兵舎を出る時、処刑の事など全く知らず、処刑の事を当直室前で聞いたが、どこでどのような事があるのか、全く知りませんでした。

命令され「トラック」に私が乗る前、すでに14,5名の兵隊が乗っていて、私達が20名程後ろから乗ったので、全部で34,5名位乗っていたと思います。トラックは、本部と第一照空隊の中間の草原に止まり、前島中尉の命令で現場に行き、全員、榎本中尉の指揮下に入り、行動しました。

「藤中兵曹、突け」

藤中松雄

(藤中松雄の陳述書)
4,現場で3人目の飛行士が、榎本中尉に指揮されて、作業員が柱に縛り終わると、榎本中尉は全員整列させてから、「司令の命令により下士官兵、突け」と命令し、軍刀で刺突の説明をした後、私に、「藤中兵曹」と名を呼び、軍刀で私を指して「突け」と命じられて、私は隣にいた兵隊から銃剣を借りて、無意志で、榎本中尉の命令に従いまして、当時、日本帝国海軍の軍紀は厳正で、私達下士官兵は、自由行動は絶対許されず、又、命令には如何なる違反も許されず、命令には直ちに服従しなくてはなりませんでした。榎本中尉は20数名の者にも同様、突かせた後、「止め」の命令をし、解散命令を下したので、私は兵舎に帰り、現場の出来事を今村隊長に報告しました。

“命令には如何なる違反も許されず”と松雄は述べている。「命令に従うのは当たり前」のことなので、捕虜殺害の取り調べを受けても、家族に「直ぐ帰ってくる」と伝えていた松雄。しかし、松雄がスガモプリズンから帰ることはなかったー。
(エピソード24に続く)

*本エピソードは第23話です。
ほかのエピソードは次のリンクからご覧頂けます。

【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか

もっと見る

1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。

この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう

この記事を書いたひと

大村由紀子

RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞など受賞。

【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか

もっと見る