「敵味方を分ける」靖国神社に集団参拝した陸自幹部の意識
陸上自衛隊の幹部が靖国神社を集団参拝したことが報じられた。元々、賊軍を倒した明治政府が造った靖国。「賊軍側」を自認するというRKB神戸金史解説委員長は、今回の公然と行われた集団参拝に抵抗感を抱いたという。1月16日に出演したRKBラジオ『田畑竜介Grooooow Up』でコメントした。
「年表に載るかもしれない」ニュース
日々のニュースを僕らは報じては伝えて、伝えては報じて…それを毎日繰り返しています。その繰り返しの中で、僕は歴史学をずっとやってきたので、「これは年表に載るんじゃないかな」とか考えながら新聞を読む癖があります。
けさ(1月16日)の朝刊には、前週から毎日新聞がスクープしている陸上自衛隊の靖国神社参拝の件が出ていたのですが「これは、もしかしたら50年後の日本史年表に載るかもしれない」と見ていました。
陸上自衛隊の「航空事故調査委員会」の幹部らが靖国神社を集団参拝した、と最初に報じられたのは1月11日でした。
陸自幹部らが集団で靖国参拝 通達違反の可能性、防衛省が調査開始
(毎日新聞1月11日朝刊)
https://mainichi.jp/articles/20240111/k00/00m/010/228000c
16日の朝刊には、「参拝の流れや注意事項をまとめた実施計画が、陸上幕僚監部の航空機課を中心に作成されていた」ことがわかった、という続報が出ていました。「組織として参拝が行われた疑いが強まっている」という指摘です。
航空機課を中心に靖国計画 陸自参拝 分単位で作成
(毎日新聞1月16日朝刊)
https://mainichi.jp/articles/20240116/ddm/012/010/051000c
靖国神社とは
この問題は、靖国神社は特殊な場所だということが一番大きいです。単なる宗教法人ではないわけです。
元々、1869年(明治2年)に戊辰戦争などで命を落とした人たちを祀るために造られた「招魂社」がスタートで、これが靖国神社になっています。戦争に進む道を国家が歩んでいく時に、靖国神社は軍国主義の推進装置として使われた経緯があります。だからこそ戦後は、国から切り離されて宗教法人となりました。
A級戦犯が合祀されたことが明らかになった1978年以降、昭和天皇は靖国神社の参拝を止めています。残された昭和天皇の肉声メモには「親の心子知らず」と書かれていました。合祀は、靖国神社の意思で行われたものでした。
※富田朝彦宮内庁長官が1988年に残した天皇の発言(冨田メモ)
私は或る時に、A級が合祀され
その上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と
松平は平和に強い考えがあったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない
それが私の心だ
靖国は、国の歩みと切り離すことができないものです。単に「信仰の自由だから参拝する」ということだけではなく、考えなければいけない問題がいっぱいあります。
1974年当時の防衛庁事務次官の通達では、宗教施設に部隊で参拝することや、隊員に参加強要することを慎むよう求めています。今回、通達に抵触するのではという指摘が出ています。
「自衛官が参拝するのは当たり前」
「靖国に参拝して、何が悪いんだ」と言う人もいます。毎日新聞の報道翌日には産経新聞に、自民党の山田宏参院議員が「国のために尊い命をささげられた英霊を、自衛官が参拝するのは当たり前だ」と書いています。
そして「現在の日本の安全保障環境に合わせて、自衛官の靖国参拝のあり方も他国の軍隊のあり方と同様に国際標準にすべきだろう。そして現在の日本の安全保障環境に合わせて自衛隊自衛官の靖国参拝のあり方も、他国の軍隊のあり方と同様に国際標準にすべきだろう」という主張を寄せていました。
陸自幹部らの靖国参拝巡り「時代遅れの通達こそ見直すべき」自民・山田宏氏
(産経新聞1月12日ネット版)
https://www.sankei.com/article/20240112-476JJVJLXRFNFGPNIY4UQ6AJUU/
しかし先に述べた通り、靖国神社は単なる宗教団体ではないということ、戦争で亡くなった人を祀るのに本当にこの神社がふさわしいのかという問題を根底に抱えています。
戊辰の戦い「賊軍」の側にいた私
私自身のことを言うと、関東の生まれなので、戊辰戦争の「賊軍」なんです。靖国は、戊辰戦争で亡くなった官軍を祀る神社なので、西郷隆盛はもともと官軍でしたが、亡くなる時は西南戦争で国に対して弓を引いた側、すなわち賊軍の大将であるので祀られていません。
私の「祖父の祖父」が遺した日記を読んでいたら、明治維新から20年も経っているのに、「維新(一新)」という言葉はひとつも使われていませんでした。代わりに「御公儀瓦解の折」と書いていました。つまり江戸幕府側だった、ということです。
小学生の僕は維新の志士たちが好きで、歴史に興味を持つようになったのですが、日本史学を勉強していた大学生になってこの日記を読み、「やられた側だったんだ」とはっきり認識しました。
靖国神社は、国民の統合にならないのではないでしょうか。それを無理に明治国家の統合の象徴としようとしたのです。軍国主義の破綻=大日本帝国の滅亡とともに、靖国神社の果たした役割も非常に問題視されました。
参拝した自衛隊幹部の意識
その場所に自衛隊幹部が集団で参拝する…。自衛官の中に「もういいんじゃないか」と思っている方々が多くなっているのかもしれません。そして「もし報じられたとしても、それはそれでいい」という、何となく覚悟みたいなものも感じるのです。
自衛隊は、戦前からの帝国陸軍・海軍の流れを引いて、国を滅ぼしてしまった軍国主義に対する国民の強い反発を受けていましたから、非常に自重していました。それが、「集団として参拝をする」さらに「報じられても仕方がない」、いやむしろ「構わない」という感じもちょっとしています。
だから、もしかすると50年後の日本史の年表には載っているのではないか、という気がしたのです。私たちが報じている日々のニュースの中でも、ちょっと質の違うものなのじゃないか、とも思いました。
「私的な行事の計画を行政文書で定めることはないはずで、参拝のスケジュールなどを行政文書で細かく定めている以上、陸自の組織として参拝を行ったものとみざるを得ない」という識者のコメントも、朝刊には載っていました(田近肇・近畿大教授、毎日新聞1月16日)
もちろん信教の自由はありますが、「組織として動いたのではないか」ということについて防衛省がどう調査するのか、注目しておきたいと思います。
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この記事を書いたひと
神戸金史
報道局解説委員長
1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。