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自分は見ていないと言ったのに
成迫の次に証人台に立ったのはG一等水兵だった。大分市出身で年齢は40歳過ぎだ。委員会の訊問に対して次のように答えた。
(G一等水兵の法廷での証言)
炭床兵曹長が現場にいるのは見たが、殴るのは見なかった。後ろの方で見ていたので、榎本中尉の突く気配は感じたが、実際に榎本中尉が突くのは見なかった。他の兵より遅れて現場に行ったので、その後ではよく見えなかった。榎本中尉は突いたと思う。前島少尉は現場では見ていない。
検事側から訊問を受けた時、調査官から「炭床兵曹長その他が殴ったと皆言っているのに、お前一人が知らぬはずはない」と言われ、炭床兵曹長が現場にきたのは間違いないので、「みんなが見たというなら殴ったのかも知れぬが、自分は見ていないから殴ったとは言えぬ」と答えたが、間違って掲載されている。昨年11月上旬、弁護士が巣鴨に来て読んでくれた時、すぐに「それは違う」と自分は言った。それまではどんなふうに書かれていたか知らなかった。
G一等水兵は、検事からの訊問に対し「それは弁護士から『違っているだろう』と言われたのではない」と答えて退席した。
調査官からだまされた
次に証言台に立ったのは、A二等水兵だ。熊本県出身で30代後半。委員会の訊問に対して次のように答えた。
(A二等水兵の法廷での証言)
榎本中尉、炭床兵曹長が突くのは見ない。K上等兵曹、藤中が突くのは見ないが、聞いた。成迫が突くのは見ない。
検事側が提出した自分の証拠で、突いたのを見た人の名が挙げてあるのは、自分が言ったのではなく、調査官が私に聞かせたもので、彼は「これらの者は現場に行っていたが、突いたか」と言うので、はっきり見た記憶がないので「いない」と答えたのが、私が見たと答えたようになっている。
調査官から暴力は使われなかったが、だまされた。「命令でやっているのだから罪にはならぬ、正直に言えば、許してやる」と言われた。
調べの間は箱に入れられた
次に沖縄出身のH二等水兵が証言台に立った。年齢は40歳前だ。
検事側からの質問に答えた。
(H二等水兵の法廷での証言)
沖縄で調べられた時は、通訳は沖縄語で話したのでよく分かった。小屋から引っ張り出されて今、自分を訊問している人のところへ来たので、通訳にこの人は誰かと聞いたら、通訳は弁護士だと言ったので、自分は訊問中、信じていた。自分は8日間、五尺、六尺、七尺くらいの箱の中に入れられ(注・5尺から7尺は約1・5メートルから2メートル)、沖縄の一番暑い時を、食事の時以外は外に出されず、小便も箱の中でせねばならず、夜は燈もなく、死にそうになっていた。その箱の周囲には機関銃が置かれ、又、調べられる時も拳銃を持つ人がいるので、驚いて何を言ったか憶えていない。
(証拠提出されている調書については)署名する前に内容を読んでもらったが何が何だかわからなかった。ガスリー検事からは暴行は受けぬ。初めは煙草をくれたりしたので良い人だと思ったが、後には水も呑ませず、ひどい人だと思った。今の弁護士には本当のことを述べた。検事側で作った自分の口述書は、東京で弁護士から訳してもらい内容を知ったが、突くのを見たとして名を挙げている人は全然見ていないので、名を書けと言われて訳が分からずに書いたものだ。
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この記事を書いたひと
大村由紀子
RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞など受賞。