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「調査官からだまされた」法廷での証言に共通していたこと~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#26

30代後半で終戦の前年に召集

石垣島


成迫上等兵曹以外の、G一等水兵、A二等水兵、H二等水兵の3人は、いずれも30代後半で終戦の前年1944年に召集された者ばかりだ。それぞれ職業は、石膏細工の職人、食堂経営、理髪師と、軍隊とは縁遠い市井の人たちが、戦況が悪化していく中で召集され、石垣島にいた。そうした中で起きた米軍機搭乗員の処刑は、規律正しく統率された軍隊で行われたものではないと米軍はみていたのかもしれない。

それぞれの被告たちの証言に共通しているのは、事実とは違う調書をとられたということだ。現場で見ていない人を見たことにされ、軍律では許されない「自発的」な行為で、搭乗員を刺したことにされていたー。

(エピソード27に続く)

*本エピソードは第26話です。
ほかのエピソードは次のリンクからご覧頂けます。

【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか

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1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。

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この記事を書いたひと

大村由紀子

RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞など受賞。

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