今回は広い広い鴻臚館跡を歩きます。
大宰府の水城西門に通じているのが、かつて福岡市の平和台球場があった場所にあった鴻臚館東門です。
ここから大宰府水城西門に通じ、さらに大宰府政庁に通じていました。
従って、中国や朝鮮半島からのお客様は鴻臚館からこの道を通って大宰府政庁へと向かっていました。
元球場があった場所は広い原っぱがあって、見た目は何もありません。
しかし、ここを歩いてみると赤黒い線が見えます。
直線で50メートル程の線と70メートル程の線がありました。
これはかつての北館と南館の跡を印したものでした。
そして、北館と南館との間に少し低くなった部分があります。これが間の壕の跡。
橋もかかっていたのです。
詳しい地図は広場奥の鴻臚館跡展示館にいくとあります。
そして、館内では発掘した状態の礎石や土器類もそのままの状態で見学できます。
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希少な国産の線香花火。
なかでもわらの軸に火薬が付いた「スボ手牡丹」を作れる唯一の会社が、みやま市の「筒井時正玩具花火製造所」。
西日本はスボ手(わら)、東日本は長手牡丹(紙のコヨリ)ということの理由、さらに遊び方の違い。
職人の作った線香花火は4つの表情が楽しめること。
そして何十年も使えること!など驚きの線香花火情報を、筒井今日子さんに教えてもらいました。

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