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「裏金」なのに「還付」…自民党裏金問題巡って松尾潔がラジオで批判

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自民党の裏金問題調査チームの報告書では、「裏金」は「還付金」、「中抜き」は「留保」と言い換えられた。そしてNHKは報告書そのままの表現で報道した。音楽プロデューサー・松尾潔さんは2月19日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で、こうした言い換えに神経をとがらせ、思考を止めてはならないと呼びかけた。

「裏金」を「還付」と言い換え

僕は歌詞を書いたり本を書いたりという、言葉に携わる仕事をやっているので、今回は「政治と言葉」について考えてみたいと思っています。ここ数日、メディアをはじめ、一般でもいろんな方々がメッセージを発していることですが、自民党の裏金問題について「言葉の言い換え」が度を過ぎています。

これまで「裏金」とか「キックバック」といった言葉で報じられ、しかもその表現が定着していますが、ここにきて自民党が何食わぬ顔をして「還付金」と言い換えています。さらに、実態としては中抜きに他ならないものを「留保」とか「留保金」とも言っています。

NHKは自民党が言ったままの表現で報道

そういう言い換えをすればするほど、この問題を秘匿したいんだろうな、という意図がよく分かるんですが、そのことに気づくことができるのは、この問題に少なからず意識を持っている人たちだけで、普段あまり政治ニュースは見ないという人は気付きにくいでしょう。

例えばNHKのニュース。自民党の議員が「還付金」とか「留保方式」とか言っている言葉を、そのまま使って報じています。言葉を選ぶべきだと思うのですが、これは呆れますね。大げさかもしれませんが「批評精神のなさ」、少なくとも、公正さを欠いている伝え方ではないでしょうか。

テレビの特性として、トピックを視聴者にイメージで伝えるという機能が高いということがあります。アナウンサーやキャスターの表情ひとつをとってみてもそうですが、たとえば神妙な顔で、かつ低いトーンで伝えれば、それはシリアスな話だと受け止められます。

そういう神妙な感じで、僕に言わせると「すり替えられた言葉」を使われると、それがまるでオフィシャルであるかのように受け入れてしまうという事態が発生するのではないかと危惧しています。

「感性は思考なしにはありえない」

朝日新聞の朝刊1面に毎日連載されている「折々のことば」では、大阪大学元総長で哲学者の鷲田清一さんがそのとき気になる、もしくは時代にあった言葉をピックアップしています。昨日(2月18日)はドイツ在住の作家、多和田葉子さんのことばが紹介されていました。

朝日新聞「折々のことば」3002
https://www.asahi.com/articles/DA3S15866460.html

「感性は思考なしにはありえないのに、考えないことが感じることだと思っている人がたくさんいる」。多田さんのエッセイ集の中からの引用です。このことばを受けて鷲田清一先生は「思考もまたセンスや鮮度が問われる。周囲の微細な変化を感知するアンテナのような」と述べています。

まさに微細な変化、微細な言葉の置き換えです。こういったものを感じるためには、やはり普段から「ただ感じる」と思考を停止させるのではなく、思考をずっとアイドリングしておいて、考えることをやめないっていうことが求められます。

もちろん、ストレスフルな現代社会において、考えることのスイッチをオフにする瞬間もあって良いと思うんですが、社会、とりわけ政治のことに関しては、言葉に敏感になりすぎて困ることはないのではないでしょうか。今回のこの裏金をめぐる言葉の置き換えで僕は改めてそう思いましたね。

「きちんと考える人が一番クールです」

「(考えるのではなく)感じる」というのは、マッチョな気分とよくフィットしている言葉で「お前考えすぎだよ。感じるように動けばいいんだよ」みたいなことを言われると、考えるのがダサイみたいに思ってしまいます。僕も若いときにはそう思っていたときがあったんですが、いやいや、きちんと考える人が一番クールです。

そこを常時オフにしている人を見かけるときもあるし、むしろそれを誇りにして「俺は感じるままに生きてきた」と自慢げに語る方もいます。なんとなくロックアーティストっぽいかっこよさがあることは否定しませんが。

社会や、とりわけ政治に対して、僕が繰り返し言ってきている「フェアとは何か?」ということを考えるときには、その前提としての「think」という行為を日常化することが大前提です。そのことをここで改めて最後に言いたいです。

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