PageTopButton

「裁判の型式を借りた報復」弁護人が判決に対して意見したこと~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#27

1948年3月16日。横浜軍事法廷で、石垣島事件でBC級戦犯に問われた元日本兵たちに、判決が宣告された。結果は41人に死刑。弁護人のうち、アメリカ人の女性弁護士は泣き伏したという。この状況を日本人の弁護人はどうみたのか。金井重夫弁護士が意見書を遺していた―。

事実を誤認され、重刑に

石垣島事件の横浜軍事法廷(米国立公文書館所蔵 髙澤弘明氏提供)

 

金井弁護士は、裁判には到底納得できないとし、「裁判の型式を借りた報復である」と強く非難している。このあとも項目を分けて指摘が続く。

(石垣島事件の判決関する意見)
1,認定について
(イ)実際に於いて、自ら犯行を担当していない者で、犯行者として事実を誤認せられ、重刑に処せられた者が十数名いる。彼らは無実の罪に問われ、家族と共に悲嘆に暮れている。いやしくも裁判である以上、一人でも無実の罪で泣かしてはならない。

上官の命令なのに・・・甚だしい誤認

死刑になった藤中松雄

(石垣島事件の判決関する意見)
(ロ)本犯行は、上官の意思が命令の形式で部下に表示、伝達されて行われたものであり、部下はその上官の意思を批判することも、拒むこともできない命令と考え、自己の自由意志に基づかずして、換言すれば教唆に基づき、犯行に加担したものである。然るにこの事実を認定せず、すべての関係者を対等の立場において考え、共通意思を共同して遂行したものと認定している。これは甚だしい誤認であると言わねばならない。

彼らの行為の違法性を認識していない

殺害現場近くの松の木

(石垣島事件の判決関する意見)
(ハ)判決は全被告人に犯意があったと認定している。しかし、犯意があるとするには、犯罪事実の認識の外に、その事実の違法性につき、認識がなければならない。少なくともその認識の無いことにつき、過失がなければならない。しかるに被告人の中の大部分は犯行当時においては、彼らの行為の違法性を認識してはいない。かつ、これを認識しないことにつき、過失があるとして責める訳にはいかない。

彼らは当時、敵軍を粉々にすることのみを考えており、かつ、国際法に関する知識は持っていなかった。敵軍の構成員を殺害することについて、戦闘中は合法的であるが、生け捕りした後は不法であると区別して考えるに、彼らは余りに無知であった。士官でさえ、即成教育を受けた若年者は俘虜の処理について、何らの教育も受けていなかった事は、彼らの証言する通りである。いわんや被告人中の過半数を占める下士官及び兵において、彼らが戦争末期に召集されたということから、知力の点で劣っていたということを考慮に入れねばならない。

更に、「上官の命令は天皇の命令と心得よ」と教育されていた日本軍人は、上官が違法の命令を下すとは絶対に考えてはいなかったのである。以上の如く、被告人は少なくともその大部分に犯意の無かった事は明瞭であって、このことは、終戦後になって、証拠隠滅をした事実のみによって覆すことはできない。

この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう

この記事を書いたひと

大村由紀子

RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞など受賞。

【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか

もっと見る