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例を見ぬ苛酷な判決と言わねばならぬ
(石垣島事件の判決関する意見)
(ロ)45名中(注・起訴時46名で1人分離)41名に対し絞首刑を宣告すると言うのは、この種、集団犯罪に対する刑罰としては、あまりにも不当である。その無茶であることについては言うべき言葉を持たない。集団犯罪の責任を論ずる時には、必ず人により、軽重の生ずることになるのは理の当然である。頭も手足も同一の責任を負い、教唆者も被教唆者も等しい刑を受けるという事は、量刑の初歩的法則をも無視するものと言わねばならぬ。前例に照らすも、例を見ぬ苛酷な判決と言わねばならぬ。ことに、本件は軍隊の組織を利用して行われたものである。刑責者であり教唆者である、上級者と教唆せられて実行した者との間に、大幅な、場合によれば段階的な差などが刑に付き、設けられねばならぬ事は自明の理である。前例に照らすも、本判決に類するものは存在しない。
金井弁護士は、石垣島事件の戦犯裁判は、ほかの裁判と比べても苛酷すぎると述べた。死刑を宣告された41人は、その後、2度行われた再審査によって34人が減刑され、最終的に藤中松雄ら7人が絞首刑を執行されたー。
(エピソード29に続く)
*本エピソードは第28話です。
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【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか
もっと見る1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。
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この記事を書いたひと
大村由紀子
RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞など受賞。