石川県「志賀町」と福岡県の「志賀島」1300年前に分かれた“同じ民族”~苦難の時に支え合う
能登半島地震で震度7を観測した石川県志賀町は、約1300年前に海の民・阿曇族の一部が福岡市東区志賀島から移り住んだのがはじまりとされています。阿曇族の氏神を祀る志賀海神社は縁のある被災地を支援しようと義援金を募っています。
海の民“阿曇族”1300年前に能登半島に渡った人々
今月11日、福岡市東区の志賀海神社では建国記念の日を祝う祭りが行われ、参拝客に紅白の餅がまかれました。志賀海神社は「龍の都」「海神の総本社」と称えられ、古代より海上交通の要である博多湾の総鎮守として信仰されてきました。宮司を務めるのは志賀島を本拠地として海運に携わってきた海の民、阿曇族の血を引く男性でなければなりません。現在は空席ですが、先代の甥にあたる幸興さんが継ぐことになっています。
志賀海神社 阿曇幸興禰宜「被災地の一日でも早い復興を強く願って玉串を納めさせていただきました。志賀島から旅立っていった阿曇族が拠点としていたのが志賀町と言われておりまして、志賀海神社の鹿角庫の中にも、加賀藩の戦国大名からも鹿の角の奉納があったという古文書が残っていたりして、とてもご縁のある地なのかなと感じております」
元日に発生した能登半島地震では、石川県志賀町でも震度7を観測、家屋が倒壊するなど大きな被害を受けました。先月末にようやくボランティアの受け入れが始まり、被災した住宅から壊れた家具などが運び出されました。志賀町は阿曇族と縁のある地です。約1300年前、一部の阿曇族が福岡の志賀島から対馬海流に乗って北上し、能登半島に定住したとされています。
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この記事を書いたひと
三浦良介
1999年入社、テレビ営業部、大阪支社勤務を経て2011年から情報番組のディレクターを務める。2016年から報道記者として政治・経済を中心に取材奮闘中。