石川県「志賀町」と福岡県の「志賀島」1300年前に分かれた“同じ民族”~苦難の時に支え合う
能登半島地震で震度7を観測した石川県志賀町は、約1300年前に海の民・阿曇族の一部が福岡市東区志賀島から移り住んだのがはじまりとされています。阿曇族の氏神を祀る志賀海神社は縁のある被災地を支援しようと義援金を募っています。
かつては“同じ民族”いまも続く交流
志賀町を支援しようと志賀海神社は本殿の前に義援金箱を設置しました。
女性「志賀島も前に地震がありましたので大変だなと思って。人ごとじゃないっていう感じですよね」
「子供食堂に洋服とかおむつを持って行ったら被災地に送ってくれたりとかしたので、何かしら自分たちがちょっとできることをするようにして、一日でも早く被災地のみなさんが少しでも心穏やかに過ごされたらいいなと思って祈っております」
義援金箱設置の発起人は、志賀海神社の氏子たちです。
志賀海神社の氏子 小林出さん「志賀町との交流とか聞いていたもんですから、何かお役に立てればいいかなと」
2005年に発生した福岡県西方沖地震。最大震度6弱を観測し、志賀島では約750戸の建物が被害を受けたほか、志賀海神社も灯籠や狛犬が倒れたり、鳥居の一部が折れたりしました。
志賀海神社の氏子 坂本明さん「福岡の西方沖地震がありましたよね。石川県の志賀町から『疾風太鼓』って覚えてますけどね、来ていただいて、勇気づけてもらいましたよね」
石川県志賀町の住民らが披露してくれた無形文化財「志賀疾風太鼓」は、復興の支えとなりました。「その時の恩返しがしたい」、志賀島から志賀町への心からの思いです。
志賀海神社 阿曇幸興禰宜「被災地が少し落ち着いた頃に災害復興も含めて志賀島の方何人かと一緒に赴いて義援金を直接お渡しに伺おうかなと思っております。日常を取り戻して、また笑顔が絶えない日々を取り戻すことを願っております」
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この記事を書いたひと
三浦良介
1999年入社、テレビ営業部、大阪支社勤務を経て2011年から情報番組のディレクターを務める。2016年から報道記者として政治・経済を中心に取材奮闘中。