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85歳の黒田征太郎「クレヨンで人を撃つんだ」生き方の原点に戦争体験

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イラストレーター、黒田征太郎。1970年代からグラフィックデザインの先端を走ってきた85歳は今、北九州市にアトリエを構え創作を続けている。3月22日に福岡市で開かれたトークイベントのもようを、RKBラジオ『田畑竜介 Groooow Up』に出演したRKBの神戸金史解説委員長が紹介した。

85歳の黒田征太郎「クレヨンで人を撃つんだ」生き方の原点に戦争体験 2024.03.26 up ニュース/天気/交通 アナウンサー 提供:RKBラジオ この番組をラジコで聴く イラストレーター、黒田征太郎。1970年代からグラフィックデザインの先端を走ってきた85歳は今、北九州市にアトリエを構え捜索を続けている。3月22日に福岡市で開かれたトークイベントのもようを、RKBラジオ『田畑竜介 Groooow Up』に出演したRKBの神戸金史解説委員長が紹介した。 「絵のようなものを描いて生きてきた」 高級化粧品のCMキャラクターに採用 海外放浪から帰ると有名人になっていた 原点にある「戦争」 「苦労してやってませーん!」 「絵のようなものを描いて生きてきた」

黒田征太郎さんをご存知でしょうか。デザイナー、イラストレーターで、有名なアーティストです。盟友だった故・長友啓典さんと組んだデザインユニット「K2」で、とても強い存在感を放ってきました。

その場で描いた絵を見せる黒田さん

北九州市・門司港にアトリエがあり、ライブ・ペインティングや壁画制作など、幅広く活動を続けています。3月22日、福岡市東区の書店「ブックスキューブリック箱崎店」で開かれた、黒田さんのトークイベントを取材しました。

黒田征太郎さん:黒田といいます。85歳。気ついたら、85年間生きてきたんかなあと。気がついたら、「絵のようなもの」を描いてきました。今、僕は「絵のようなもの」と言いましたけど、ややこしい言い方かもわからないんですけども、いまだに絵が何なのかわかってない。聞き方によったら、嫌らしい言い方だというのはよく分かっています。でも、絵のようなものを描いて、食っていられるんですよね、僕。すごいなと思います。あの、威張っている意味でも何でもなくて、飯もちゃんと食えていますし。

黒田征太郎さん:家が欲しいとか高い自動車が欲しいとか、どうもそういう物欲はあんまりなくて。3年ぐらい前に死んだ弟が、「兄貴、家とか建てろよ」とか言うから「要らんねん」。建てたら掃除するのは大変でしょう。守らなあかんのが僕は嫌なんですよ。守らなあかんのは嫌で、3回離婚もしているんですけどね。

私の父とほぼ同世代です。とても自由な方だと思いました。

門司港にある黒田征太郎さんのアトリエ(2022年6月、神戸撮影)

高級化粧品のCMキャラクターに採用

1939年、大阪の生まれ。滋賀県の高校を中退して、米国船の乗組員になったり、ボーイをしたり、アメリカやカナダを放浪して様々な職業を経てきました。なのに、いつの間にか有名になってしまいました。資生堂の化粧品「ヴィンテージ」のキャラクターとしてCMやポスターにも採用され、1979年にはこんなCMに出ていました。ナレーションを読んでみます。

(ナレーション)
落書した絵をほめられて イラストをやる気になった。
おだてられて のせられて その気になれば 本気になれる。
黒田征太郎は 自分をためしにアメリカへ 英語もできずに飛び立った。
28才の春であった。

(テロップ)
出会いは人生の香り。

(ナレーション)
熱いこころを満たす 資生堂ヴィンテージ

当時の仲間には、俳優の松田優作さん、原田芳雄さん、漫画家の赤塚不二夫さん…あがってくる名前はキラ星のような人たちばかりで、黒田さん自身もどれだけ有名だったか推し量れます。

海外放浪から帰ると有名人になっていた

黒田さんを有名人にしたスタート地点は、海外を放浪していた時代。雑誌『話の特集』で始まった連載でした。

トークイベントで黒田さんと司会の大井実さん

ブックスキューブリック店長・大井実さん:1980年代に物心ついた人間からすると、黒田さんはもう“超有名人”でしたね。

黒田征太郎さん:僕は面白いもの、変なものを見たら、人に「ねえねえねえ、見た?」という癖があるんです。その癖が出たのは、カナダを放浪している時。僕は今も、肉声でしゃべるのは、ちょっと恥ずかしい。じゃ手紙だったら。それで、カナダで見たものを、下手な絵と、文章とも言えないようなカタカナで、漢字もほとんど知らないですから、書いては投書しているんですね。

大井実さん:それが、『話の特集』だった…。

黒田征太郎さん:『話の特集』にいた和田誠さんが「この馬鹿みたいな黒田が面白い」と思ってピックアップしてくれていて。僕は何年かウロウロして日本に帰ってきたら、“イラストレーター・黒田征太郎”になっていて、びっくりした。わかんないもんですよ。

大井実さん:和田さんに認められた。

黒田征太郎さん:そう、それでこれ(絵本)ができたんですよ。

日本に帰ってきたら「イラストレーター・黒田征太郎」になっていた。人生は面白いですね。イラストレーターの和田誠さんは恩人ですね。

※和田 誠(1936~2019)
グラフィックデザイナー、イラストレーター。1977年より「週刊文春」の表紙を担当。映画「麻雀放浪記」など4本の監督作品がある。89年ブルーリボン賞、94年菊池寛賞、97年毎日デザイン賞、15年日本漫画家協会賞特別賞ほか、受賞多数。出版した書籍は200冊を超える。
https://wadamakoto.jp/

原点にある「戦争」

お話の最後に「これ」と指した絵本は、2月に出版されたばかりです。

『もしもねこがそらをとべたら』
[絵] 黒田 征太郎 [文] 西島 三重子
NHK出版、税込1980円
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000361532024.html

「絵の正式な勉強はしていない」と言う黒田さん。1年生の算数で、「1足す1、なんでやらなきゃいけないの?」と先生に質問したら「馬鹿」と言われ、それから勉強をやめたのだそうです。滋賀県の高校に通う時に、東京行きの列車に乗っていましたが、ある日そのまま誰にも言わずに家出をしてしまいました。だから「漢字も知らない」とも言っているわけです。

ほかにトークで語っていたのは、幼いころに経験した戦争でした。1939年生まれで「戦争を知る最後の世代」です。兵庫県西宮市の自宅も空襲で焼けていて、黒田さんは2004年から「ピカドンプロジェクト」というアクションを始めました。

黒田さんがイメージする戦争と平和(2022年6月、神戸撮影)

世界各地でアーティストが即興で絵や音楽で表現しています。黒田さんが絵を描くと、人が集まってきて「何を描いているのか?」と聞かれるそうです。原爆のキノコ雲と、平和を表すメッセージの絵を会場でも描いてくれました。絵を見ればみんな通じると話していました。

米兵のライフル弾入れに入れたクレヨン

ブックスキューブリックに、黒田さんはクレヨンを持ってきていました。しゃべりながら、即興でどんどん絵を描いてくれました。そのクレヨンは沖縄の米軍兵からもらったもので、自動小銃の銃弾入れに入れています。黒田さんは、「僕は、このクレヨンで人の心を撃つんだ」と言っています。

トークイベントの中で描いた多くの絵

「苦労してやってませーん!」

黒田征太郎さん:絵と音楽は人にとってすごく大事なものだ、と勝手に思っています。両方とも、自然が人間に教えてくれたコミュニケーションのツール、道具だと思っています。

黒田征太郎さん:なぜ絵があるのか。最初からミケランジェロさんが世の中にいて「諸君、絵を見ろ」じゃないと思うんですね。虹を最初に観た生き物って、みんなびっくりしたと思うんです。特に人間は、驚いて「ほしい」と思ったと思うんですね。自分の体の中にも赤い色もあったりするわけですけども、黄色はなかなかない。悪戦苦闘しながら砂を削ったり、花の汁を取ってきたりして、絵の具ができたと思う。絵の具が一番最初の絵だと思う。じゃ、音楽、歌はどうか。これは空気が動いたら、音が出ますよね。風の音、ビューン、ヒューン。すごい作詞だと思うんですよ。

黒田征太郎さん:「これ、描いてくれへんか」と言われて、(『もしもねこがそらをとべたら』の著者)西島さんの文章を見た時、描く時も、「ビューン、ヒューン」と言いながら描いているんですよ。すごく嫌な言い方になるんですけども「描いてる」のではなく「描かされている」という気持ちで描いていると、けっこう面白いから、すごく楽しんで描いています。これは、苦労してやってませーん!

85歳、すてきですね。お話はとても面白かったです。いろいろな活動をしていますし、本もいっぱい出しているので、注目してみてください。

黒田さんと神戸解説委員長

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この記事を書いたひと

神戸金史

報道局解説委員長

1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。