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女児を殺したのは本当に死刑囚だった?映画『正義の行方』の“真実”

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山中での殺人事件をめぐり、関係者の語る「真実」が全く違う――。黒澤明監督の映画『羅生門』(1950年)が採用した映像表現の手法だが、1992年に起きた事件をめぐり、同じような対立が現実のものとなっている。死刑が執行された男は本当に犯人だったのか。警察、弁護団、報道機関それぞれの目に映った“真実”を描いた映画『正義の行方』を、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で、神戸金史RKB解説委員長が紹介した。

被害者は少学1年生の2女児

福岡県飯塚市で小学1年生の女の子2人が殺害された「飯塚事件」を題材にしたドキュメンタリー映画『正義の行方』(制作:ビジュアルオフィス・善、158分)の上映が始まりました。2022年にNHK BS1で放送された『正義の行方~飯塚事件30年後の迷宮~』は大変な評判になり、文化庁芸術祭賞で大賞を受けています。今回はその番組の映画化です。

2女児が最後に目撃されたとされる三叉路©NHK

飯塚事件とは、1992年に福岡県飯塚市で登校中の小学校1年生の女児2人が行方不明になり、翌日30キロ離れた山林で遺体が見つかった事件です。その山林で紺色のワゴン車が止まっていたという情報があり、同じような車を所有していた久間三千年さんが容疑者として浮上。事件から2年7か月後、警察がDNA鑑定の結果を踏まえ、容疑者として逮捕しました。久間死刑囚は一貫して否認していましたが、2006年に最高裁で死刑が確定し、2008年に死刑が執行されています。

事件直後の現場©NHK

しかし弁護団は、死刑になった後も再審請求を続けています。実は、当時のDNA鑑定はかなり精度の低いものだったことが明らかになっています。同じ鑑定方法が用いられた足利事件、これも女の子が殺害された事件ですが、無期懲役刑が確定した男性がいました。再審で「DNA鑑定自体の証拠能力がない」と2010年に無罪判決が出ているのですが、同じ鑑定方法の飯塚事件では死刑が執行されてしまっているのです。飯塚事件は、こういう事件なので、どう捉えたらいいかいろいろな意見が出ています。死刑制度そのもののあり方にも関わる問題でもあるわけです。

警察、弁護側、報道機関「三者三様」の正義

監督の木寺一孝さんは2023年にNHKを退職し、福岡市の映像プロダクション「ビジュアルオフィス・善」で制作を続けています。4月28日、福岡市の映画館でトークショーがありました。

監督と出演者が参加したトークショー

木寺監督:東京だと、ほとんど飯塚事件は報じられていません。しかも、死刑が執行された後の再審請求が行われている。本当にびっくりしまして、「こんなことがあるのか?」と。それで福岡の岩田務(飯塚事件弁護団)主任弁護人のところに行って取材が開始された、という流れです。その時に「自分たちが再審をもっと早く準備していたら、もしかしたら久間さんの執行はなかったかもしれない。自分たちが久間さんを殺したんだ」という強い言葉を聞いて、ショックと言いますか、「弁護士はこんなことを感じながら弁護をやってらっしゃるんだ」と。それがまず1つです。

木寺監督:しかしNHKがなかなか提案を通してくれなくて。死刑執行されたケースを取り上げるという、やはりハードルが。上司から言われたことは今でも覚えているのですが、「この提案が何を意味するか、わかってんのか」「日本という国が揺らぐんだぞ、法治国家が揺らぐ話なんだぞ」「お前、ちゃんとわかって覚悟を持って提案しているのか」と言われました。

木寺監督:その後出会ったのが西日本新聞の方々で、自分たちのスクープを検証し、正しかったのだろうかという議論の様子も連載に書いてらっしゃって、「メディアも葛藤をもって飯塚事件に向き合ってらっしゃるんだな」と。

「日本という国が揺らぐ」ということを考えて作らなければいけなかった映画です。弁護団は「自分たちが久間さんを殺したのではないか」という自責の念を持っているわけですね。

一方で、刑事たちも殺された子供たちの無念を晴らすため、必死で捜査に取り組んでいます。この映画の中では、初めて見るような刑事たちの言葉がいっぱい出てきます。異例のインタビューと言っていいでしょう。さまざまな状況証拠から、かつての刑事たちは今も「久間元死刑囚が犯人だ」と言い切ります。

取材に応じる元捜査幹部

そして、西日本新聞は当時、警察の動向をいち早くスクープし続けました。しかし、DNA鑑定が揺らでしまった中、かつての自分たちの報道そのものについての再取材も始めています。弁護団、警察、報道。この三者のそれぞれの正義が映画で示されます。

十字架を背負ったスクープ

映画に登場して、苦渋の表情を浮かべている西日本新聞の当時の事件担当、傍示文昭さん(現・テレビ九州専務取締役)もトークショーに出席していました。傍示さんは「十字架を背負い続けてきた」と話しました。

木寺一孝監督(中)と傍示文昭さん(右)

傍示文昭さん:1992年8月16日の朝刊で、「重要参考人浮かぶ」というスクープを放って以降、言うなれば“重い十字架”を背負い続けてきた。誤報ではないんですけれども、今振り返っても、あのタイミングで打つべきではなかった記事を書いて、それ以降裁判が進み、死刑が確定し執行されても、十字架が常に背中に乗っているわけですね。

スクープを苦い思いで振り返る記者

いち早くスクープを打つのは、警察担当記者の宿命です。西日本新聞で特ダネを取ってきた記者・宮崎昌治さん(現・テレビ西日本取締役)はこう話します。

宮崎さんの話に聞き入る木寺一孝監督(左から2人目)

宮崎さん:(1994年9月、逮捕の直前に)「新証拠 裏づけ終わる」という原稿を書いた日のことは、克明に覚えています。サツ回りで警察の情報をいち早く取って、他社に先駆けてスクープすることを最上の価値観として、長く記者をやってきました。

宮崎さん:だけど一方で長く記者をやってきて、いろいろな取材を進める中で、一つの正義に寄りかかるのではなく、正義を相対化する作業こそがジャーナリズムだ、と。まだなかなかうまく実践はできてないかもしれませんけど、一つのゴールとしてはそういうことだったんだろうなと思えるようになった。それを、改めてこの映画を作っていただいて再認識できた。非常に木寺さんに感謝しています。

「警察という一つの正義に寄りかかるのではなく、正義を相対化する作業こそがジャーナリズムだった」ということを今、自分のゴールとして受け止めている、と宮崎さんは話していました。やっとこういう時代になってきたなという気がしました。

過去の報道を洗い直す©NHK

警察発表に肉薄するのは記者の宿命だし、役割なのですが、それだけでは本当に正しいものかどうかという検証はできません。西日本新聞さんの素晴らしいところは、そうやってスクープを取り続けてきた自分たちをも、取材の対象として検証作業を続けてきたことです。

たどり着いた“自分にとっての正義”

関係者が「それぞれの正義」を抱えていく中で、木寺監督は今どう思っているのでしょうか。

木寺監督:三者にそれぞれ向き合って、ある種公平に、先入観を持たずに、しかもできるだけ等距離に向き合う。それぞれとちゃんと向き合うことを課してやったんですね。本当にその立場に立つと「なるほど」ということもありますし、疑問を持ったら聞き直す。そういうのを繰り返していった取材でした。できるだけ一方的にならずに、全てはご覧になる方々が自分の目で情報を判断できるよう提供する。判断するのはご自身たちがそれぞれの価値観で判断すればいい。ぜひそうやってほしいという思いで作った形です。

木寺監督:正義はそれぞれの立場で違う。あるいは時代を追って変わっていくかもしれない。その正義を見るんだ。裁判の行方を追って、「これが真実なのか」「真犯人は誰か」という目線でそれを見ていくと、やっぱり泥沼に入っていくんです。ずっと提案が通らなかったあの頃に戻って、あがいていく。でも今回出会った人たちの強い思い、正義を掘り下げることは僕にだってできるかもしれない。そこには何かがあるんじゃないかな、と。「三者をぶつけてみたい」というのが、自分のたどり着いた“自分にとっての正義”ですね、それが。

宮崎さんが言っていた「正義を相対化する作業」。この映画自体がそういう作業になっている気がします。それぞれの証言が食い違って、本当の事実が何なのかわからなくなるのは、黒澤明監督の映画『羅生門』とも重なります。監督自身も意識していた、とパンフレットのインタビューに答えています。この映画には「これは私たちの『羅生門』」というコピーが付けられています。

遺体が遺棄されていた森©NHK

映画『正義の行方』は、福岡市ではKBCシネマで上映中。北九州市の小倉昭和館では5月4日(土)から、初日は午後1時45分の回の後に、木寺監督と宮崎昌治さんのトークショーもあります。

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この記事を書いたひと

神戸金史

報道局解説委員長

1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。