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上野万太郎の「この人がいるからここに行く」 久山町のイタリアンレストラン「BASE RADICE VERDE」の木曽敦士さんの不登校からの親孝行物語

2年前、久山町の郊外にオープンした「BASE RADICE VERDE」

僕が年に数回だが会いに行く「BASE RADICE VERDE」(バーゼ ラディーチェ ヴェルデ)というイタリアンレストランが久山町の郊外にある。オーナーシェフの木曽敦士さんは36歳。公共交通機関で行くには現実的ではない辺鄙な地区。木曽さんは、「ここは久山町の銀座ですよ!!」と意味不明なフレーズを毎回決めセリフにしているが未だに理解できない(笑)

BASE RADICE VERDE

では何故そんな場所にあるレストランに僕は行くのだろうか。それは彼の料理に対する真摯な取り組み方と周りの人に対する感謝の気持ちに共感しているからだ。そして、何より彼が手間暇かけて仕込み、そして調理する一皿一皿が大好きだからだ。カウンターの内側で調理をしながら10分おきにしょうもないダジャレを言う彼だが、それが聞きたくて通っているわけではないので念のため。

そんな木曽さんだが、高校時代は不登校でほとんど学校に行けなかったらしい。だから最終学歴は高校中退である。そういう彼がどうしてこんなに僕が傾倒するシェフになったのか、どんな想いで料理に取り組んでいるのか、そして彼が感謝している人とは誰なのか、その辺りの話をあらためてじっくり聞いてみた。

BASE RADICE VERDE

木曽さんとの出会い

元々この場所には「みどりの根っこ」という和カフェがあった。その店は僕の高校時代の同級生の女性がオーナーだったのだ。オープンして数年だったが、手作り料理やお弁当が好評でとても賑わっていた。人気のカフェだったが、オーナー宮本さんの家庭の事情により泣く泣く店を閉じることになったのだ。その後、その彼女から「料理人の青年がうちの店をそのまま使ってイタリアンのお店を始めることになったので良かったら行ってみて」と連絡があった。「そんなことなら行ってみるわ~」と顔を出したのが最初だった。そこで「BASE RADICE VERDE」に行ってみるとほぼ「みどりの根っこ」時代のインテリアそのまま。さすがに厨房は改造したらしいが。

当時34歳だった木曽さんがオーナーシェフを務める「BASE RADICE VERDE」は、地元の野菜を中心に素材を生かした料理を出してくれるコース料理専門店だった。

「特に同じ久山町にある農家の『里山サポリ』さんにはとてもお世話になっており、自社農場で栽培されているイタリアン野菜を仕入れさせてもらっています」とのこと。

「里山サポリ」とはピザのキッチンカー「サポリカー」や朝食イタリアン「キッキリッキー」を経営している城戸勇也さんのお店だ。同じ久山町から福岡の飲食業や農業を盛り上げようと活動している人だ。

他にも嘉穂郡桂川町にある合鴨農法「古野農場」の野菜、魚介類は九州産の旬の素材、肉は久山の豚や九州産和牛を使うなど、こだわりの産地素材が盛りだくさん。特に素材から出るような皮やヘタなども乾燥させてパウダー状にして出汁や隠し味として使用しているそうだ。
「せっかく生産者の方が一生懸命作っていただいているものなので、出来るだけ捨てることを減らして使っています」と木曽さん。

味付けは上品で優しい。一品一品丁寧に仕込みながら手間がかけられているが、あくまでも素材の味を楽しめるように仕上げてある。イメージで言えばガツンとした若者向け料理というより落ち着いた大人向けの塩加減。ワインは中央区今泉「I.N.U.wines」から仕入れているナチュールワインのみ。徐々に種類も増やしていきたいらしい。

BASE RADICE VERDE

ところで「BASE RADICE VERDE」という店名はどういう意味なのだろう。

「“BASE”は、僕の名前が“木曽”なので、BASE=基礎という意味から使いました。“RADICE VERDE”は、“緑の根”という意味なんですよ。前にここで営業されていた宮本さんの『みどりの根っこ」さんが本当はもっとお店を続けて行きたかったという話も聞いて、その想いも繋げていこうと思い、『BASE RADICE VERDE』にしました」とのこと。いい話だわ。

半個室のテーブル席もあるが、カウンターで木曽さんとお話しながらの食事をお勧め。現在はシェフ一人で切り盛りしているが、「そのうち妻と一緒に二人でやれたら良いなぁと思っています」とのこと。

BASE RADICE VERDE たまに手伝いに来てくれるという妻の麻衣さん

さて、一通りのお店の紹介はこんな感じだが、これからシェフ“木曽敦士”のひととなりを深掘りしていきたい。さあ、今回も長くなりそうな予感。

不登校で高校中退の少年時代

1989年1月3日生まれの木曽敦士さん。お父様が転勤族だったため千葉県我孫子市で生まれた。幼少期に親の地元である福岡に戻り、新宮町で育ったそうだ。その後、お父様は単身赴任が多く、お母様と姉弟で生活する時間が長かった。そして、今の木曽さんの明るく人懐っこい雰囲気からは想像もつかないが、前述したとおり、高校時代は不登校でほとんど学校には行かなかったそうだ。原因としては、いじめられたということもあったらしいが、団体行動に慣れない性格だったのも原因のようだ。

― 学校に行かずに何をしていたんですか?

「何もしていませんでした。家にじっとしていましたね。テレビゲームくらいはしてたかもしれません。たまに友達が来てくれたり、本当に何もしていませんでしたね」

―ご両親も心配されてたいでしょうね

「本当に両親には心配をかけたと思います。特に母には心労をかけたと思います。それでも強制的にあーしろ、こーしろとと言われた記憶はなくて、本当に優しく見守ってくれていたんですよね。今思い出しても本当に感謝しています」

調理師の道を選んだのは?

「さすがに18歳になる頃にはそんな自分の人生に焦りも出て来たのです。同級生だった友達が高校卒業するタイミングで自分も何かしようと思い、調理師専門学校に入学したんです」

― なぜそこで調理師の道を選ぼうと思ったんですか?

「1日3回美味しい料理が食べられるかもしれないと思っていたみたいです(笑)。卒業後の就職活動時の履歴書にもそんなことを書いていましたから、本気でそう思っていたみたいですね(笑)。その頃からポンコツだったみたいです(笑)」

― 結局、どこに就職したのですか?

「18歳で『マンマミーア』『福岡ガーデンパレス』、21歳で『スイートバジル』、22歳で『オステリアインクローチ』・『アサヒコールドバー」、24歳で『バルバビアンカ』、26歳で『カフェサリー』、28歳で『ちぇんとろ』、31歳で『バルバビアンカ』。他にも全く仕事が続かず、これ以外にも5店舗は働かせていただいたと思います。それだけ続かなかった理由は僕の甘さや弱さです」

― 逆にそれだけ転職してでも調理師の道を目指し続けたのはすごいですね。

「料理が好きだという思いはずっとありました。逆に良かった点は色々な職場やオープンに立ち合わせて頂き、たくさんの経験ができたのはとても財産になっていると自分に言い聞かせています」

本人は組織の中で働くのは向いてないとは感じながらも、料理に対する興味や想いは高まるばかりだったようだ。

― いろんな店で働いてみた中でも特に影響を受けたのはどちらでした?

「『バルバビアンカ』ではたくさんのことを教えてもらいました。大久保オーナーと上里(あがり)シェフには大変お世話になりました。大久保オーナーには技術的なとだけでなく飲食店で働く心構え的なこともしっかり教えてもらいました。そして上里シェフはとても厳しかったですね。調理師というのは料理が出来るのは当たり前で、会話することの重要性をしっかり叩き込まれました。『会話には原価はかからない』ということを何度も言われました。当時はよく理解できてなかったかもしれませんが、自分の店を開業してからハッキリと理解できた気がします。お二人には特に感謝しています」

BASE RADICE VERDE

独立開業へ

そもそも団体行動が苦手な木曽さんは独立のタイミングを探っていたそうだ。

「30歳過ぎた頃から、人生は一回しかないからやりたいことをやろう。子供の頃に両親に心配や迷惑をかけたのでそろそろその埋め合わせをしたい、と思うようになったんです。自信はまったくなかったけどそう思って決断しました」

― 場所は糟屋郡辺りで探していたのですか?

「育ってきた新宮町近くで探していたのですがなかなか見つからなくて・・・。そんな時に『里山サポリ』の城戸さんが、前オーナーの『みどりの根っ子』さんが閉店されるという情報をSNSで発信されていてそれを見て連絡してみたんです」

さらに「元々、都会の中心部と言うよりは少し田舎でゆっくりお食事を楽しんでいただきたいと思っていました。最初にここを見に来た時も小さい頃に育った新宮町の雰囲気にも似ていたのでここに決めました。家賃の安い場所でワンオペでお料理を提供できるようにした分、原価にお金をかけてしっかりとした料理でお客様に還元したいと思いました」と木曽さん。

働く原動力は感謝の気持ちと恩返し

― 木曽さんはいつも感謝の気持ちを話されているけど、具体的には誰にどのような気持ちを持たれているんでしょうか。

「まずは、お客様への感謝ですね。大切な食事の機会にうちの店を選んで前日までに予約をしていただき、交通の便が悪いこんな場所までわざわざ来ていただけること自体に感謝です」

「そして業界の師匠や先輩への感謝です。さらには野菜や肉や魚を提供してくださる生産者のみなさんへの感謝の気持ちは常に忘れずに調理をさせていただいています」

― 去年はお子さんも生れましたが何か変化はありましたか?

「はい、1歳になりました。世の中全ての見え方が変わりました。僕がさらに両親に対する感謝の気持ちを考えるようになったのは、子供のおかげだと思います。料理に関しても三世代で喜んでももらえるような料理を作られる調理師になろうと思うようになりましたね」

― そして最後にはやはりご両親のことでしょうか。

「そうですね、子供の頃は、『この子はどうなるんだろう』と相当心配かけたと思うんですよ。だから両親に対しては単に感謝しているというか、これから自分の姿を見せていくことが恩返しだと思っています。子供の頃の時間は戻ってきませんが、両親に『この子を産んで良かった』と言ってもらえるように少し遅くなりましたが、これから“毎日が親孝行“という気持ちで頑張ります。直接両親に伝えるのは照れ臭いですけどね」

そんなご両親は今でも定期的に「BASE RADICE VERDE」に食事や差し入れに来てくれるらしい。その度に息子の頑張っている姿に心配しながらも安心されているのではないだろうか。
僕も一度木曽さんのご両親に会ったことがあるが、お父様は寡黙で控えめな方だったが、お母様はとても明るく優しく包んでくれそうな雰囲気だった。笑顔で「こんな息子ですけど、いつもお世話になってありがとうございます」と楽しく話されていたのが印象的だった。

BASE RADICE VERDE

料理の紹介

2年前、僕が最初にここに来たときは、ドギマギしながら変なテンションで年齢に見合わないダジャレを言う変わったお兄ちゃんだなぁと思ったが、彼の作った料理を食べれば食べるほど一皿一皿に込めた彼の真面目さと愛情を感じるようになってきた。

最後にそんな彼が作る「BASE RADICE VERDE」のコース料理の一部を見ていただいて締めたいと思う。

料理はコースのみ。季節やその日その日の仕入れ状況に合わせてメニューは変わり、前日から2週間前までの完全予約制となっている。久山町までわざわざ行ってもしっかり楽しめる皿の数々。是非ともご賞味あれ。

BASE RADICE VERDE 鐘崎産ポルポアフォガート(溺れダコ)夏野菜の炊いたん

BASE RADICE VERDE 天草産 ムサラキウニと「古野農場」の新玉ねぎのロースト 小長井のあさりのスープ仕立て

BASE RADICE VERDE BASE RADICE VERDE 左・長崎県産 本マグロ 夏野菜のタルタル / 右・北海道産 秋刀魚のコンフィとリエット

BASE RADICE VERDE 北海道産 鱈の白子のポアレ 「古野農場」のレンコンのリゾット

BASE RADICE VERDE スパゲッティ 壱岐産 鮑  「里山サポリ」のチーマディラーパ

スパゲッティ 久山やよい豚のラグー 「里山サポリ」の色々なチコリ スパゲッティ 久山やよい豚のラグー 「里山サポリ」の色々なチコリ

BASE RADICE VERDE 佐賀牛イチボの炭火焼き 「里山サポリ」と「古野農場」のご馳走野菜

BASE RADICE VERDE 博多一番鶏のインボルティーニ 「里山サポリ」の菊芋のピュレルシア

BASE RADICE VERDE デザートは、「みどりの根っこ」に感謝の気持ちを込めて植木鉢スタイルで提供。ローズマリー香るハチミツのジェラートマスカルポーネムースのティラミス

BASE RADICE VERDE 「お待ちしております!!」

店名 : BASE RADICE VERDE(バーゼ ラディーチェ ヴェルデ)
住所 : 福岡県糟屋郡久山町久原2009-4
電話 : 080-7981-0831
時間 : 11:30~LO 13:30/18:00~21:00
店休日 :不定休(前日までの完全予約制)
席数:カウンター4、テーブル4
駐車場:2台
メニュー: コース料理のみ(6,600円、8,800円、12,000円、15,000円、18,000円、24,000円、36,000円)
URL:https://www.instagram.com/base.radice_verde

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この記事を書いたひと

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