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悲惨な戦争下でも人は音楽を求めた…U2の伝説ライブ映画が伝える「人間」

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戦時下のユーゴスラビアにU2を招こうとした人々を描いた映画『キス・ザ・フューチャー』が9月26日から全国で上映が始まります。9月23日放送のRKBラジオ『田畑竜介Grooooow Up』で、日本での上映を企画した関根健次さんに話を聞きました。聞き手を務めたRKB毎日放送の神戸金史解説委員長は「戦火が絶えない現代だからこそ、観るべき映画だ」と評しています。

戦火で荒廃したサラエボで伝説のライブ

伝説のU2サラエボライブ©2023 FIFTH SEASON, LLC. ALL RIGHTS RESERVED

神戸金史解説委員長(以下、神戸): U2は、どんなグループですか?

田畑竜介アナウンサー: 1980年代からメジャーで活動を始め、貧困、宗教、政治、エイズなど、さまざまな社会問題を音楽作品によって問題提起した社会派ロックバンドで、グラミー賞も数多く獲得し商業的にも成功している、アイルランドのバンドですね。

神戸: アイルランド紛争が自分たちの音楽の背景にある、と言っていました。1990年代に起きたユーゴスラビア内戦で大変な被害が出た中で、U2がサラエボで伝説的なライブを開いています。それが1997年の9月23日。たまたま28年前の今日、伝説的なライブが開かれたのです。このライブの過程を追ったドキュメンタリー映画『キス・ザ・フューチャー』のロードショーが今週末、9月26日からキノシネマ新宿(東京)やキノシネマ天神(福岡市)など全国で順次始まります。

「人が人を殺さない日を」と配給

神戸: 今日は、映画配給会社「ユナイテッドピープル」代表の関根健次さんにお話をうかがいます。関根さんは福岡県糸島市に本拠を置きながら、世界の映画を日本に配給していく活動をしています。『キス・ザ・フューチャー』を日本で上映しようと考えた理由を聞かせてください。

関根健次氏(以下、関根): とにかく、戦争が終わらないんです。ロシアとウクライナ、今ではガザ地区がイスラエルの攻撃で、本当に危機また危機の地獄が続いています。人が人を殺さない日を、何とかして作らなければいけない。9月21日は国連が定めた「ピースデー」(平和の日)なんですが、こんな日も戦争が続いてしまっているんです。映画『キス・ザ・フューチャー』を日本に持ってきて間もなく公開させる理由は、少しでも多くの人たちに、戦争の無意味さを伝えたい。U2の素晴らしい歌を届けることによって、なぜ私たちは国境を越えて友達になれないのか、一緒にいい音楽を楽しんだり人生を楽しんだり、当たり前のことを思い出しながら、世界の人とつながる、興味を持つ。そんなきっかけを作りたい、と思いました。

「サラエボにU2を」あり得ない思いつき

U2サラエボライブを企画したアメリカ人のビル・カーター©2023 FIFTH SEASON, LLC. ALL RIGHTS RESERVED

神戸: 1990年代の悲惨な戦争、ユーゴスラビア内戦は、同じ国の中で民族が違うというだけで殺し合いになってしまいました。この戦争にU2がどう絡んだのでしょうか。

関根: 旧ユーゴスラビアのボスニアにあるサラエボは約4年間、セルビア軍に包囲され、歩くだけでもスナイパーに撃たれ、戦車がやってくる状況でした。今のウクライナのような状況ですが、日常生活があったのです。そんなサラエボに、アメリカ人の若い援助活動家がいました。彼が、平和の象徴、抵抗の象徴であるU2をここに呼びたい、と思いついたんです。本当に突拍子もないことです。しかも危険なサラエボに呼ぼうとする。それをずっと追いかけた映画です。本当の主人公は彼かもしれません。ヨーロッパツアー中のボノ(U2のギター・ボーカル)に、会いに行くんです。

神戸: 映画に、その映像もありましたね。

関根: U2と、実際にヨーロッパのコンサート会場で会えました。そしてボノは「サラエボに行くよ」と言ったのです。しかし、あまりにも危険なので、戦時中は無理でした。戦争が終わった1995年から2年後、1997年9月23日、ライブを行ったんですが、これが映画の最後のあたりに出てきます。ものすごく感動的な場面で、約5万人が集まって、なんと敵同士も集まったそうです。

「サラエボでライブをしたい」とビルに語るボノ©2023 FIFTH SEASON, LLC. ALL RIGHTS RESERVED

神戸: 今まで、民族・宗教が違うことで殺し合いをしなければいけない状況に追い込まれていた人たちが、集まって1つの会場でボノの歌を聞いたわけですね。

関根: そうなんですよ。僕はネナド・チチン=サイン監督にインタビューしたのですが、監督は旧ユーゴスラビアのクロアチア出身。お父さんがクロアチア人、お母さんがセルビア人、なんと戦った民族同士なのです。そして今の妻はアルバニア人。彼は生まれた瞬間から「何人でも平等なんだ」「人は人である」と教わって育った、というのです。監督が今住むアメリカでも分断が広がる中、人々をつなぐ音楽のかつてコンサートを伝えたかったので、2023年に映画が完成したのです。

ネナド・チチン=サイン監督©2023 FIFTH SEASON, LLC. ALL RIGHTS RESERVED

ネナド・チチン=サイン監督 プロフィール 旧ユーゴスラビアのクロアチア出身。1980年にアメリカに移住。父がクロアチアに戻り、1992年からアメリカとクロアチアを行き来し、クロアチアで戦争の一部を経験。短編映画『Samuel David』(2018年)がローマ映画祭で最優秀短編賞、長編『The Time Being』(2012年)はトロント映画祭で最優秀撮影賞。最新作『キス・ザ・フューチャー』は、2023年ベルリン国際映画祭で初上映され、サラエボ映画祭で観客賞を受賞した。

ネナド・チチン=サイン監督インタビュー https://unitedpeople.jp/kiss/archives/15567

普通の日常を送ることで戦争に抵抗

戦時下での結婚©2023 FIFTH SEASON, LLC. ALL RIGHTS RESERVED

神戸: 戦時下で結婚式をやり、ミスコンテストまで開催している映像もありました。「戦争の真っ只中で、ミスコンを開催することほど強い抵抗はないだろう」という言葉も映画に出てきました。これだけの殺害が続いている中でも、日常生活を普通にやって見せてやる、という民衆の意思が感じられました。音楽もとても大きな役割を果たしていて、ライブもやっていたんですね、戦争中に。

関根: 驚くべきことです。本当の地下バンドですよね。鉄の一枚板を剥がして地下に降りていって、安全なのでそこでライブができるわけです。若者たちが集って、こんな極限な状態だけど人生を謳歌しようと。その生きることこそ、生き抜くことこそ抵抗なんだ、というシーンも出てきますよね。

神戸: 文字通り、命がけでライブ会場に行って音楽を聞いて、また命がけで帰る様子も出ていました。非常に印象的だったのは、「人生が残り5分だと言われたら、一番好きなことをするよな」という言葉が出てきたことです。自分が好きな音楽をこんな中でも聞くのだ、という強い意志を感じました。「いつの世にも、政治家に扮した弱い者いじめの悪党がいる」という言葉も出てきましたが、憎悪を煽って、敵を悪者に仕立て上げて、「彼らを我々が倒す約束すればいいのだ」という態度の政治家たちが出てきます。この人たちが戦争を起こし、日常生活がどんどん圧迫されていくのがよく分かるのは、かなり驚きでした。

「芸術は人を人間として認識させる」

関根: 監督は、「私たちはこうあるべきだ」ということをインタビューで答えてくれました。私たちは基本的に皆一緒なんだ。戦争は無意味だということを本当に伝えたい、ということでした。

関根: 「音楽や芸術の平和に貢献する役割は何ですか?」と聞いてみたんです。監督はシンプルに答えました。

芸術ができることは、人々を人間として認識させることなんだ。たとえ敵だと思われる人が作った音楽でも、いい音楽を聴いた時に「この音楽を作ったのは何人か」と想像しないじゃないか。ただ単純に、「なんて素晴らしい音楽なんだ」「なんて素晴らしい絵なんだ」と思うのが、芸術の力だと思う。芸術は人と人との関係性を豊かにして、近づけて人間同士だと感じさせてくれる。

関根: 「この力によって平和を作りたい」と監督は言っています。

神戸: 映画の公開が始まります。

関根: もちろんU2のファンの皆さんには観ていただきたいですが、U2を知らなくても、かなりいろんなポイントで感動できる映画だと思います。一人一人が極限の中で力強く生きている姿を見ることで、私たちも勇気がもらえると思うんですよね。日々をもっと頑張ろうぜ、と思うポイントがたくさんあると思います。

神戸: ユーゴスラビア紛争については知らない方も増えているかと思いますが、私が読んだ本の中では、柴宜弘さんの岩波新書『ユーゴスラヴィア現代史』(新版)があります。新書なので、手に取りやすいかと思いますので、もし関心がありましたら読んでみてください。そして、この映画『キス・ザ・フューチャー』をご覧いただければと思います。

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この記事を書いたひと

神戸金史

報道局解説委員長

1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。