PageTopButton

松尾潔“20世紀を代表する作曲家”バート・バカラックを偲ぶ

代表曲「世界は愛を求めている」などで知られる作曲家、バート・バカラックが2月8日に死去した。音楽プロデューサー・松尾潔さんは出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で、「20世紀を代表する」作曲家の軌跡について語った。    

名画から独立した名曲

2月8日に94歳で亡くなったバート・バカラックさんは、20世紀を代表する作曲家です。彼の長い音楽人生の中の、ほんのさわりだけでもお話できたらと思います。

 

代表曲の「雨に濡れても」は、皆さんどこかで耳にされたことがあると思います。これ日本語のものも「豚が3匹で…」とかいろんなバージョンが出ていますが、もともとは映画『明日に向かって撃て』の主題歌として世に出ました。それが、映画から独立して歌い継がれ、20世紀を代表するアメリカの映画音楽の一つになりました。

有名女優のお抱えピアニスト

バカラックさんは1928年、アメリカ・ミズーリ州のカンザスシティというところで生まれました。ただ、育ったのはニューヨークのクイーンズという地域なので「ニューヨークっ子」というふうに認識されています。

 

このファミリーネーム(苗字)から察する方がいらっしゃるかもしれませんが、ドイツ系ユダヤ人の血を引いています。1950年代当時、同じくドイツからアメリカに亡命してきたマレーネ・ディートリヒという有名な女優兼歌手がいました。彼はまず、そのマレーネ・ディートリヒのお抱えピアニストとして注目されます。

 

バカラックは分厚い自伝を出しています。そこにはマレーネ・ディートリヒに始まって、いろんな女性と浮名を流したプレイボーイだった自身のことが赤裸々に語られているんですが、このディートリヒさんについては「公私にわたって世に押し出してもらった」というようなことを語っています。

バカラックのすごさ

バカラックは活躍の時期も長い人なんです。1980年代に入ってからも、アレサ・フランクリンなどとヒット曲を出していたくらいです。

 

しかも、ただ長く活躍していただけでなく、メロディー、リズム、ハーモニー全てを兼ね備えた曲を作る人でした。クラシックの素養があって、学校も三つぐらい行っていますし、作曲も編曲も何でもできちゃう、プロデュースもできる。

 

その上、ジャズやボサノバといった、その時々の大衆音楽の一番かっこいいところを巧みに取り込みながら「バカラック調」とか「バカラック節」と言われるような、複雑なコード進行、コーラスにしたときに美しく聞こえるような和声、あとはリズム、変拍子。「プロミセス・プロミセス」でも顕著ですが、どヒット曲がたくさんあるのも頷けます。

バカラックと遭遇

2008年の正月、僕はバカラックと出くわしたことがあります。ハワイのホテルで朝ご飯を食べていたら、隣に大家族が座っていて、子供たちが走り回っているのを、おじいちゃんと母親らしき人が「はいはい、食事よ」みたいなことを言っていて、微笑ましいなと思って何気なく振り向いて、よくよく見たら、そのおじいちゃんがバカラックでした。

 

彼は私生活も大変華やかな人で、4回結婚しています。つまり、おじいちゃんに見えたんですが、4回結婚しているので、子供たちは孫ではなかった、ということです。一方で、僕が見かけたその1年前の2007年の頭には、2度目の結婚で誕生したニッキーというお嬢さんを自殺で失うという辛いこともありました。とにかく起伏に富んだ人生でした。

晩年にはヒップホップにも接近

晩年にはヒップホップにも接近して、ヒップホップ界では有名なプロデューサーであるドクター・ドレーとのコラボレーションもあります。アメリカの大衆音楽が豊かに育まれた20世紀の後半を、そのまんま生きた方なので、これからもいろんな人たちによって彼の偉業が検証されていくと思います。

椎名林檎に曲を提供

椎名林檎さんが、バカラックの大変なファンとして知られています。2008年のバカラック来日公演ときにも追っかけをしていて、最終的にはバカラックから曲が提供されました。「浮き名」というアルバムに入っている「IT WAS YOU」という曲が、バカラックさんからのプレゼントです。

ブッシュ政権を批判

  ヒット曲を世に出したバカラックは、お察しのとおり大金持ち、今で言うところのリア充の極みのような存在でした。でも、楽しいばかりの人生だったかっというと、そうではなく、ずっと怒りを持ち続けていた側面がありました。2005年に出した「At this Time」というアルバムには、当時のジョージ・ブッシュ政権に対しての怒りをぶちまけるような曲を収録していて、周囲を驚かせたこともありました。

 

さっきお話したヒップホッププロデューサーのドクター・ドレーと組んだアルバムなんですが、こんなに黒人音楽シーンで愛された白人作曲家もいなかったでしょう。政治的なスタンスとしてはアメリカ民主党の支持者としても知られた人です。

「What The World Needs Now Is Love」

彼の代表曲の一つで、最もカバーされているものとしても知られている「What The World Needs Now Is Love」(邦題「世界は愛を求めている」)は、60年代にバカラックと一緒に名曲を量産した作詞家のハル・デイヴィッドによる詞が素晴らしいのですが、バカラックは晩年に至るまで、自分のライブでは必ずと言っていいほど、この曲をやっていました。

 

この曲が世に出た1960年代半ばの、アメリカのベトナム戦争への本格介入が危惧されていたような時代と今の日本の状況は、ちょっと通じるとこもあるかなと僕は思います。詞を僕なりに日本語に訳してみました。

「いま私たちに欠けているものは」

作詞:ハル・デイヴィッド

作曲:バート・バカラック

 

いま私たちに欠けているものは 愛 やさしき愛

満たされた時代でも 足りないものはある

いま私たちに欠けているものは 愛 やさしき愛

誰かのためだけではなく みんなのために

 

神様、聞いてください もう山は要りません

登りたい山だって、丘だって、十分にあります

海だって、川だって、もうたくさんあるのです

この世がなくなるまで、ずっとあるはずです

 

いま私たちに欠けているものは 愛 やさしき愛

満たされた時代でも 足りないものはある

いま私たちに欠けているものは 愛 やさしき愛

誰かのためだけではなく みんなのために

 

神様、もう牧場(まきば)も要りません

とうもろこし畑だって、麦畑だって、十分にあります

まぶしい陽の光だって、かがやく月の光だってあるのですから

だから神様、どうか私の話を聞いてくださいませんか

 

いま私たちに欠けているものは 愛 やさしき愛

満たされた時代でも 足りないものはある

いま私たちに欠けているものは 愛 やさしき愛

誰かのためだけではなく みんなのために

 

いま私たちに欠けているものは 愛 やさしき愛

そう、愛と呼ぶもの

(日本語訳:松尾潔)
この曲はまず、ジャッキー・デシャノンが歌ってヒットしました。それをバカラック本人も後に取り上げています。僕はこの曲のタイトルを「いま私たちに欠けているものは」というふうに訳してみました。

 

ベトナム戦争の北爆は1965年ごろと言われていますけど、そういうものを予期して危惧したハル・デイヴィッドが手がけた歌詞は、残念ながら今の日本の状況を思い出さずにはいられません。

 

ですから、理想を言えばこの曲が必要なくなる「昔こういう曲があったね」って言えるような時代になるといいな、とバカラックの死のタイミングで考えました。

この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう