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百道ビッグファームプロジェクト

段ボールコンポストに取り組んだこれまでの2年間。1年目の楽しさと2年目のマンネリの先に見えてきたのは、希望に満ちた光景でした。その光景にまだ実体はなく、今はまだ僕の脳内にだけ存在している状態です。今の僕の頭の中を表現すると、まるで“カラフルなお花畑”です。コンポスト自体をやめようかと悩んでいた時期に比べると、想像できないほど明るい色の花々が咲いていて、太陽の光が燦燦(さんさん)と降り注いでいます。その太陽の光はおそらく、コンポストの先生であるたいら由以子さんであったり、この先一緒に活動していく仲間であったり、未来を支える方々のエネルギーであると確信しています。

なんだかスピリチュアル感満載の出だしになりましたが、今回のコラムでは僕の夢を語らせて頂きたいと思っています。

僕の夢はずばり『百道ももちビッグファームプロジェクト』です。簡単に言うと福岡のシンボルである福岡タワーの周りに30以上の木枠の畑を設置して、「百道(※)の百姓が百道産の野菜を作る」というプロジェクトです。その畑の肥料は全て、百道エリアに暮らす人々の家庭や営業する店舗でコンポストした生ごみ堆肥。RKBがある百道エリアで循環のモデルケースを確立したいと考えているのです。
畑の名前には2つの候補があります。1つは「200ツーハンドレッドファーム」。「百道」の「百姓」で「百が2つ」あるからです。もうひとつは、RKBの菜園である「るるるる~るるガーデン」。プロジェクトの中にいろんなブランド名があると混乱してしまうからどうしようかなあ…と、まだ何も始まっていないのに妄想ばかり膨らんでいきます。この楽しい妄想の時間が、やがてエネルギーへと転換されていくと信じています。

※百道=福岡市早良区にある地名。RKBがある百道浜と合わせて「百道エリア」と呼ばれている。「百道エリア」には福岡タワーがあるほか、福岡市博物館や図書館、さらには高級マンションが立ち並ぶ。徒歩10分圏内に、福岡市内で天神や中洲に次ぐ繁華街でもある西新もある。

初年度はRKBで循環を確立

福岡タワー周辺に木枠の畑を設置するのは3年後を目標にしています。そのためにも初年度のスタートとなる今年の4月からは、RKBというミニマムなエリアの中で、コンポストから野菜の栽培、収穫した野菜の納品先をしっかり確立することが大事になってくると思っています。今のところJR九州ファームさんの「八百屋の九ちゃん」での販売を継続しながら、RKBから徒歩10分ほどのところにある西新エリア商店街の飲食店にも格安で卸させて頂こうという計画です。青果店での販売も良いのですが、それでは購入した方がどのように調理して食べているか見られないし、僕が一番伝えたいと思っている“環境への配慮”が伝わっているかが分かりにくいからです。飲食店へ提供することで、お客さんとコミュニケーションを図りたいとも考えています。
それでは具体的にどうしていくのか。まずは収穫量を増やすことが先決! ということで、今ある8基の木枠を倍の16基に増やします。作業をする際は、できるだけ多くの社員にも参加してもらいたいと思っています。社員の意識改革も目標ですが、みんなでやると単純に楽しいからです。会社の屋上で、大勢が手を使って土を混ぜるなんて夢のような光景! この楽しさが伝染していけばいいなぁと思うのです。
そして、どんな野菜を栽培するのかも重要です。飲食店への提供を見据えてビーツやカラフルな人参などオシャレな野菜を増やす予定です。それと共に、百道産野菜の名物を「ねぎ」にしてみてはどうかというアイデアから、実験的にネギも栽培してみます。
なぜ「ねぎ」なのか?それは堆肥の成分に理由があります。僕たちがコンポストしている生ごみには野菜くずはもちろんですが、鶏肉や魚の骨など動物性の物も含まれています。僕の農業の師匠の1人である福寿寺の住職・平兮元祥ひらなげんしょうさんに教わったのですが、コンポストに動物性のものを混ぜると野菜を栽培する時にアブラムシが付きやすくなるそうです。(そのメカニズムは勉強中なので今はまだうまく説明できないのですが、ひとまずそういうことらしいです。)とはいえ、RKBの社員食堂から出る生ごみを植物性と動物性に分けることは、手間などの面から考えても不可能です。それなら植物性・動物性混合の生ごみ堆肥は何の栽培に向いているのか…ということで「ねぎ」にたどり着いたというわけです。野菜の栽培は基本的に年に1度しか試すことができません。3年後のスタートを考えると試せるチャンスは2回しかないので、そこにもしっかり向き合っていかねば…と思っています。
その作業をする時には、できるだけ多くの社員にも参加してもらいたいと思っています。社員の意識改革も目標ですが、みんなでやると単純に楽しいからです。楽しさが伝染していけばいいなぁ。会社の屋上で大勢で手を使って土を混ぜる。これは夢のような光景です。そしてどんな野菜を栽培するのかも重要で、飲食店への提供を見据えてビーツやカラフルな人参などオシャレな野菜を増やす予定です。それと共に、百道産野菜の名物を「ねぎ」にしてみてはどうかというアイデアもあり、実験的にネギも栽培してみます。なぜ「ねぎ」なのか? それは堆肥の成分に理由があります。僕たちがコンポストしている生ごみには野菜くずはもちろんですが、鶏肉や魚の骨など動物性の物も含まれています。僕の農業の師匠の1人である福寿寺の住職・平兮元祥さんに教わったのですが、コンポストに動物性のものを混ぜると野菜を栽培する時にアブラムシが付きやすくなるそうです。(そのメカニズムは勉強中なので説明できないのですが、とにかくそういうことらしいです。)とは言えRKBの社員食堂から出る生ごみを植物性と動物性に分けることは手間などの面から不可能です。じゃあ、それらが混ざっている生ごみ堆肥は何の栽培に向いているのかということで「ねぎ」にたどり着いたというわけです。野菜の栽培は基本的に年に1度しか試すことができません。3年後のスタートを考えると試せるチャンスは2回しかないのです。しっかり向き合っていかねば

自分の口に入れるものがどうやって作られているのかを知る

都会で育つ子どもたちは、野菜がどうやって育つのか見たことがないまま食べている可能性が高いです。自分が口にするものが、どこでどうやって作られているのかを知るには、自分で作ることが一番。このプロジェクトには百道エリアに住む方々に参加して頂きたいと思っている理由はそこにあります。自分で種をまき、水をやり、世話をして食べる。そうすることで街の中でも野菜の栽培を体験できるだけでなく、食べ物のありがたみが分かると思います。僕もそうでした。農家さんがどんな天候でも毎日、いかに大変な作業を行っているのかを実感しました。そして野菜の栽培に水を大量に使うことも改めて実感したことのひとつです。今は大量消費・大量廃棄の時代と言われています。きっと野菜だけではなく物のありがたみも感じられるような子どもに育つと思います。

さらに狙いは、エリアのコミュニティを育む場としての活用ということにも及びます。野菜の栽培という行為はもちろん、採れた野菜を近所の方にお裾分けすることで、昭和の時代にあったような近所づきあいも生まれるのではないでしょうか。

自分の口に入れるものがどうやって作られているのかを知る

都会で育つ子どもたちは、野菜がどうやって育つのか見たことがないまま、その野菜を食べている可能性が高いと思います。自分が口にするものが、どこでどうやって作られているのかを知るには、自分で作ることが一番です。百道エリアに住む方々に、このプロジェクトに参加して頂きたいと思っている理由はそこにあります。
自分で種をまき、水をやり、世話をして食べる。そうすることで街の中でも野菜の栽培を体験できるだけでなく、食べ物のありがたみが分かると思います。実際に僕もそうでした。自分で野菜を作ってみることで、農家さんが天候にかかわらずいかに大変な作業を日々行っているかを実感しました。そして、野菜の栽培には大量の水が必要であることも改めて知りました。野菜作りを通して子どもたちは、野菜だけではなく物のありがたみも感じられるようになるのではないかと思うのです。
さらに、この取り組みがエリアのコミュニティを育む場にもなればとも考えています。野菜の栽培という行為はもちろん、採れた野菜を近所の方にお裾分けすることで、昭和の時代にあったような近所づきあいも生まれるのではないでしょうか。

大量消費・大量廃棄の時代に思うこと

大量生産大量消費。極端な話になりますが、物をたくさん作って売ったり、買ったりすることで満たされる時代は終わったと思っています。家電はかつて三種の神器と言われるほど貴重な物だったのに、今では一家にテレビが2台以上あることも不思議ではなく、核家族化することでテレビ以外にも家具や家電が売れていきました。さらに携帯電話も普及し、これ以上我々は何を持つ必要があるのかと思うほどです。物で満たされるとその現状に慣れてしまい、物で満たされることでしか喜びを感じなかった我々には不平不満が生まれるのではないしょうか。そんな今こそ農業を通して「豊かな暮らし」とは何か、「本当に大切なもの」は何かを考え直すことができればと思っています。いまキャンプが流行っているのもこのような背景があるのではないでしょうか? 考えすぎかな(笑)。
今は大量消費・大量廃棄の時代と言われています。しかし僕は極端な話、「物をたくさん作って売ったり、買ったりすることで満たされる時代は終わった」と思っています。
かつて家電は三種の神器と言われるほど貴重な物でした。それなのに今は、一家にテレビが2台以上あることもめずらしくありません。核家族化することでテレビ以外の家具や家電も大量に売れていきました。さらに携帯電話も普及し、これ以上何を持つ必要があるのかと思うほどです。我々は、物で満たされた現状に慣れ、物で満たされることでしか喜びを感じなくなり、物が満たされていないと不平不満を感じるようになっているのではないしょうか。
そんな今こそ、農業を通して「豊かな暮らし」とは何か、「本当に大切なもの」は何かを考え直すことができればと思っています。最近のキャンプブームの背景にも、このような「物質的豊かさより自然的豊かさへの回帰」という志向があるように感じているのですが、考えすぎでしょうか(笑)。

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