「冗談じゃない、描くよ!」人間や自然の本質を問うた洋画家・野見山暁治さん、“戦争体験”に影響された生涯
102歳で亡くなった福岡県飯塚市出身の洋画家・野見山暁治さん。人間や自然の「本質」を問い、100歳を超えてもなお精力的に絵筆を握り続けた生涯でした。
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東京と福岡の2つのアトリエで制作「絵を描く以外考えたことがない」
野見山さん「絵というものはやっぱり純真なものですよね。子供のときからいたずら書きやるでしょう。道路に描いたりふすまに描いたり怒られたり、ただ、描いていると楽しい。だから描いていれば楽しいという無邪気な人がずっと続けるのが絵じゃないでしょうかね」
色鮮やかでスケールの大きな作品群。画家・野見山暁治さんの描きだす独特の世界は多くの人を魅了してきました。100歳を超えてなお、東京と福岡の2つのアトリエで精力的に絵を描き続けてきました。
野見山さん「気障な言い方をすると、生まれた時から、絵を描く以外、なんにもダメなの。考えたことがない」
箱の中にいるように感じた“戦場”の経験
野見山さんは1920年、現在の福岡県飯塚市に生まれました。東京美術学校で油絵を学んでいた頃、太平洋戦争が始まります。卒業を早めて満州に渡ります。
野見山さん「(戦場への印象)もうね、2,300メートル先は、ソ連というところでした。色は何にもない、もう、灰色の雪の世界で、平坦でね。風景というよりもここはなんだか広い棺桶のように見えていたの。つまりこの箱の中をね、動いて動いて動いているうちに、箱の中で死ぬんだなと」
この戦争体験が、野見山さんに大きな影響を与えます。戦争が終わり、フランスへ私費留学生として渡った野見山さん。精力的に絵を描く傍らこんな思いにとらわれます。
野見山さん「生きてる僕は戦争が終わって、ちょっとパリ行ってきますとかいって……なんかね、少し傲慢じゃないかという。やっぱりああゆう人たちが死んだという、犠牲の上でこの安逸な生活ができるんじゃないかという、そういう後ろめたさですね」
志半ばで命を落とした仲間たちの思い
長野県上田市にある私設美術館「無言館」。ここには戦争で命を落とした画学生たちの作品が集められています。館主の窪島さんとともに遺族を訪ね、これらの作品を集めたのが野見山さんでした。
「兵役が待ち構えている卒業までの、与えられたいわば執行猶予の日々に、若者はどう生きてきたかというアカシを、ぼくは何としてもみんなに見てもらいたい」(うつろうかたちP96)
野見山さん「どんなにか死にきれなかったろうという、ぼくはそのやりきれなさ、とてもかわいそうでならんですね。亡くなった無言館のひとたち。……あれはつらかったろうと思う」
志半ばで命を落とした仲間たちの思いを、野見山さんは忘れることはありませんでした。野見山さんは、自身の原点であるふるさと飯塚にも思いを寄せ、母校でもたびたび特別授業を行っていました。
「コロナがもう描かせないぞと、冗談じゃない描くよ!」
野見山さん「絵は上手になってはいけないんです。下手は下手でいいの。絵に上手とかヘタというのはないんです。……世の中には美しい、自然は美しいとか、自然を真似してつくった美術というものは美しいという、美しいものを感じる目をもってもらったら、これはまた嬉しいなと思っています。ありがとう。ありがとうございました。寿命もつきてきたと、どっかでバタっと行き倒れても、悲しむことはないよと、周囲の人に言ってた、十分に生きたんだから、だけどコロナがきたらね、あいつにやられてたまるかとそういう気持ちになりましたね。敵が現れたから。おまえを殺すぞと、もう絵を描かせないぞと言ってきたから、冗談じゃないよ、描くよと」
描いて、描いて、描き続けた野見山暁治さん102歳の生涯でした。
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