目次
飛行士は柱に縛られ、殴られた
次に、松雄は取り調べに対して、処刑の現場に到着したあとの行動について述べている。
問 処刑場へ着いてから暴行が行われる時まで見たことを、憶えている限り述べなさい。
答 処刑場へ到着する前、現場から50ヤード(約46メートル)ばかりの所にトラックが1台止まって多勢の者が集まっているのを見た。この時、1人の飛行士がトラックから連れ出されるのを見た。田口隊の兵が飛行士を処刑場へ率いて行くのを見た。自分は飛行士と衛兵の後ろから歩いて行った。田口隊のK兵曹は、前もって、地面に差し込んであった柱の所へ飛行士を連れて行った。そして柱に綱で縛り付けた。この柱は銃剣刺殺の杭に他ならない。彼は胸、腰、及び足に綱を巻き付けられて、身体を杭にしっかりくくりつけられて居た。その杭は、飛行士の頭より1尺(約30センチ)ばかり高かった。
問 飛行士が杭にしっかり縛り付けられた後、何が始まるか見たか。
答 はい。自分の記憶では、飛行士が縛り付けられた時に、1人の兵が手で彼の顔を殴った。飛行士がしっかり縛られた後、K兵曹が飛行士のところへ行って、平手で4,5回顔をなぐった。そして「俺の仲間を殺した仇討ちだ」と言った。自分は又、K兵曹が飛行士の足の辺りを蹴るのを見た。次に飛行士のところへ行ったのは、北田兵曹長だと思います。杖か剣を持って飛行士の胸を3回ばかり殴るのを見た。
松雄はなぜ“命令なしに”刺した?
そして、陳述書は松雄が飛行士(捕虜)を刺した場面に至る。
問 次に何が起こったか
答 飛行士の顔が苦でゆがみ、鼻から血を流し、惨めな有り様を見て、この時、自分には耐えられない。彼の運命に否応なしにつきあって、自分は傍らに立っていた兵の小銃と附剣(銃に装着する剣)とをつかみとって、士官または下士官の命令を待たず、5ヤード(約4.6メートル)ばかり右前に立っている飛行士に駆け寄り、素早い突きをくれた。胸の左側、心臓部に。そして急いで引き抜いた。自分が憶えているのは、飛行士の頭が垂れ下がり、人事不省に陥ったことである。
問 どういう理由で貴方は急に銃剣を奪って、突きを飛行士の身体にくれることが出来たか。
答 飛行士は殺されることになっており、逃れられないのに殴るのは悪いことだと自分は思った。その残酷な有様を見るに耐えなくなったので、飛行士を苦から救いだしてやるのが一番よいと考えた。考えるとすぐ、自分は何もかも忘れて、乱暴に銃剣を奪って、刃先を六寸(約18センチメートル)ばかり飛行士の胸に突き刺し、神経質になって、自分の元いた位置に帰り、全く目がくらみ、気が遠くなった。
焦点は、「命令なのか、自由意志なのか」
松雄は、暴行される飛行士を見て、「苦から救いだしてやるために刺した」と供述している。命令があったのか、なかったのか。ここが重要部分で、さらに念入りに聞かれている。
問 貴方は士官又は下士官から飛行士を刺殺せよと直接命令を下されたか、又は、自分の自由意志でやったか。
答 何も直接命令を受けない。自分は自発的に責任を負った。
問 貴方が刺殺をやる前に榎本大尉によって刺殺行為について何かの命令、又は指示を聞かなかったということは確かか。
答 はい。榎本中尉から何も命令または指示を聞かなかった。しかし、飛行士が杭に縛られている時、榎本中尉が話していたけれども、自分は彼が何を言ったか聞き取ることができなかった。自分の周りの兵がものを言い、その場は昂奮と混乱とで一杯だったから。
この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう
この記事を書いたひと
大村由紀子
RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞など受賞。