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新生児集中治療室から在宅へ 孤立する親子が「これが息子の世界」と思えるまで 

1月、全国各地で行われた成人式。この日を、「これまでよく生きてくれた」と特別な思いで迎えた家族がいる。障害のある息子と歩んだ20年は決して平坦な道のりではなかった。何が、悲しみの中にあった家族を笑顔に変えたのか。

あれから20年、家族は・・・


あれから20年。友喜さんは1歳でNICUを退院して福岡県北九州市で暮らしていた。自宅を訪れると、リビングに敷いたマットの上で、機嫌よくお気に入りのおもちゃで遊んでいた。母・由美さんと父・学さんも一緒だ。学さんは、友喜さんが3歳の時に転職して福岡に帰ってきた。そして去年から再び夢だった小学校の教壇に立っている。

村岡学さん(50)
「教師に戻るなら50歳になる前に、って決めていました」

3歳だった姉の水葵さんは大学生になった。そして弟の大生くん(11)も生まれ、家族5人になった。じゃれあい、冗談を言い合いながら、姉の水葵さんと弟の大生くんが、友喜さんの顔を拭いたり痰の吸引をしたり、3人姉弟は、とても仲が良い。夕食の準備をしながら、由美さんは3人を愛おしそうに見つめた。

村岡由美さん
「めちゃくちゃかわいいです。3人はいつもこんな感じ。友さんがずっとへらへら笑っている。仲がいいですよ」

自宅で行う医療的ケア


友喜さんは退院後、何度かの手術を経て、10歳で気管切開した。それまでは入退院を繰り返していたが、その後少しづつ安定した。日中は自発呼吸しているが、夜間は人工呼吸器を装着している。また、胃に穴をあけて(胃ろう)直接栄養を届けている。午前5時、午前11時、午後5時、午後11時の1日4回。1回に2時間程度かかるため、夜は由美さん、早朝は学さんが担当している。たんの吸引など医療的ケアが欠かせず、ゆっくり寝ることはできない。睡眠不足のはずなのに由美さんの表情は、穏やかだ。

村岡由美さん(50)
「こうして私が知らん顔しててもひとりで遊んでいるでしょう。成長したな、と思って。前はもうつきっきりだったから」
 

転機になった3つのこと


苦しみの中にあった由美さんに聞くと、転機が3回あったという。
ひとつは、気管切開をして友喜さんの体の調子が安定したこと。由美さんがつきっきりで介護する時間が少なくなった。そして弟が生まれたこと。姉や弟とのかかわりを通して友喜さんの成長が感じられた。もうひとつは、由美さんが仕事を始めたことだ。
 

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