ミャンマー軍事クーデターから3年 隣国タイに避難した人たちを支える日本人
東南アジアのミャンマーで起きた軍事クーデターから1日で3年。軍による厳しい弾圧、抵抗勢力との激しい戦闘で住まいを追われた多くの避難民を支援しようと、日本人たちが立ち上がっています。
今も続く必死の抵抗
2021年2月1日にミャンマーで起きた軍事クーデター。一度は民主化が実現したはずのミャンマーに大きな混乱をもたらし、ミャンマー軍は、抗議の声を上げる市民に銃口を向け、武力で徹底的に抑え込みました。軍の暴走は、若者たちを武装闘争へと駆り立てました。
ミャンマー東部に支配拠点を構える武装勢力のキャンプを訪ねてみると――。
クーデターが起きたときにはまだ学生だったという人たちもものものしい武器を手にしていました。
RKBバンコク支局 村橋佑一郎「彼を見てください。これはロケットランチャーのような武器ですかね。彼の背中、かなりの重装備ですね」
民主派が作った武装組織は、国内各地でそれぞれの支配拠点を持つ少数民族の武装勢力とも共闘しながら、必死の抵抗を続けています。
国際人権団体によりますと、ミャンマー軍による無差別攻撃などで4000人以上の民間人が犠牲となりました。また、住まいや土地を奪われた避難民は、国内・国外で合わせて200万人を超えています。
農業で「雇用の創出」を
多くのミャンマー人が逃れてきた隣国タイの国境地帯。私たちはここで、ミャンマー避難民の支援に奔走する日本のNPO法人と出会いました。支援活動の先頭に立つのは、副理事の井本勝幸さん。福岡県朝倉市出身で、太宰府市にある日本経済大学の特命教授も務めています。
NPOグレーターメコンセンター井本勝幸副理事「人々が生きていくためのニーズは何かと言った時に、やはり農業だと。農業を通した雇用の創出だ、と」
生活基盤を失ったミャンマー避難民が農業を通じて自立できるよう、タイ政府などの理解も得ながら800人近くを支援してきました。
命を狙われタイに避難
国境地帯できのこの生産に取り組むミャンマー人のヘンテットさん(仮名)も、支援を受けた1人です。クーデター前は、民主派政党で活動していましたが、軍に命を狙われて国内を転々とし、2年前にタイ側へと逃れました。親族のひとりは、軍に殺害されたといいます。
ミャンマー避難民のヘンテットさん「仕事も住む家もなくなり、持っていた土地も軍に奪われ、私はすべてを失いました。クーデターのせいで私の人生は台無しになったのです」
きのこの生産に必要な土地や設備は、井本さんのNPOが支援しました。
RKBバンコク支局 村橋佑一郎「日光を遮ったこちらの小屋で、温度などを管理しながらきのこを栽培していまして、たくさんの菌床が並んでいます」
多いときで1日に約60キロを出荷し、収入は日本円で月に15万円以上。地元住民から家を借り、子供たちを学校に通わせることもできるようになったといいます。
ミャンマー避難民 ヘンテットさん「最初の4~5か月は、どうしたらいいか分からずとても不安で大変でした。井本さんたちが資金などを援助してくれたおかげで、今は安定した生活を送ることができます。本当に感謝しています」
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