1945年、米軍機搭乗員3人の殺害を部下に命令した石垣島警備隊の司令、井上乙彦大佐。GHQへの告発を受けて、BC級戦犯に問われることになった井上大佐は、当初、調べに対して「自分は陣地を回っていたので知らなかった」と述べていた。しかし、裁判直前、方向転換し、「命令したこと」を認めた。裁判が始まって2ヶ月後、井上大佐は法廷の証言台に立った。その結果はー。
「私が命令」弁護団と打ち合わせ
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国立公文書館には、法務省が収集した戦犯に関する資料が収蔵されている。この中に、弁護人の手元に残されていたとみられる、井上司令に関する裁判資料があった。石垣島事件について米軍が裁いた横浜裁判は、1947年の11月から始まっている。1月15日の日付が入った「司令処刑命令陳述骨子」という文書には、井上司令が幕田大尉や田口少尉に斬首の命令をしたことが記されていた。
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さらに、弁護人宛とみられる「尾畑様 1月22日提出」と日付が入った文書が、続けて綴じられていて、こちらはより詳しい「命令要旨」となっている。
<司令の命令要旨>
処刑は18時30分頃(夕食ー時間後位)決意した
1,幕田大尉
斬首を命令した 夕食後電話でバンナ本部に呼び出し、直接命令した(電話19時頃)
2,田口少尉
斬首の命令した バンナ本部の士官室で日没頃(副長より伝達)
3,榎本(炭床)下士官兵
沖縄を支える作戦を受けることを予期し、この上陸決戦の準備訓練(海軍に入り一ヶ月経たない者、兵のために主として)及び、士気鼓舞の為を兼ねて刺殺を命じた
4,前島少尉
処刑場の準備を命ず(18時30分頃)榎本中尉をして補助せしむ 警戒及び捕らえた俘虜の護送を命ず
不本意ながら涙を呑んで発令した
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そして、次のページからは「処刑決意の理由」が書かれていた。
<処刑決意の理由>
1,該当する飛行機は(米軍機)は、無差別爆撃の攻撃を行った
当日、集団で来襲したあと、1機のみ残り、海岸付近を攻撃、漁をしていたカヌーを銃撃して男女の漁民が死亡す
次いで市街を爆撃、付近に軍備施設は皆無なり 爆撃にて死者がでている
2,昭和17年(1942年)ドーリットル東京空襲後、同年10月、防衛総司令の布告と、同前例及び大西中将より受けた秘密命令による
3,当時、戦況極度に逼迫し、正規の俘虜として取り扱いをすることが出来ず、
・島内海軍陸軍(憲兵隊とも)俘虜の収容能力なし
・空襲激甚にして無差別攻撃を受け、小型漁船ですら台湾との交通は途絶す
・食料が極度に欠乏し、捕虜に与える余裕なし
隊内の影響失調と患者は隊員の三分の一に達し、補給の見込み全然無く、給食の定量700グラムを250グラムに減らしていた
・マラリアが蔓延し、俘虜として留め置けば、マラリア又は栄養失調で死亡は必然なり
当時、隊内の患者は三分の一で、毎日、数名の病死者が続出す
・米軍の石垣島上陸作戦が近いと判断し、人員物資、総じて戦闘準備に備えていた為、俘虜を置いておくための番兵をあてる人員の余裕も全くないので、もし俘虜を置けば、食料不足及び病人頻発となり、兵が過労に瀕して戦うことができない
以上を考察の上、処刑はやむなきものと考え、不本意ながら涙を呑んで発令した
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この記事を書いたひと
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大村由紀子
RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞など受賞。