「うまい人は、話すように歌い、歌うように話すものだよ」。かつて先輩アナウンサーにそう教わった。正直、分かるようで分からない。
このほど、諫早湾干拓事業の功罪を問うテレビドキュメンタリー「誰のための公共事業~ギロチンが宝の海を壊した~」(26日25時20分放送)のナレーションを担当した。その際、まるで器楽演奏のように声を操る感覚があった。
ナレーション録音は番組制作の最終段階。画竜点睛を欠いてはならぬと、精神集中してマイクに向かうのだが、理想のナレーションに明確な形はない。そこで心がけていることは、(できているかどうかはともかく)制作スタッフの思いを酌んで、関係者と当事者が納得するように語ること。録音ブースで映像に目を凝らし、音声に耳を傾け、台本の奥にある思いに心身を添わせたいと集中して声を発する。その声で「私はこう解釈して、このような表現になりました」と提案するのだ。
一発OKになるとハッピーだが、制作者の理想像との間にずれがあるとやり直しとなる。この補正作業が難しい。声は感情の発露なので、感情の動きを上書きし、制作者の理想像に寄せて声の出し方をコントロールする。そうだ、これはきっと指揮者から指導を受ける演奏家と同じだ。「歌うように話す」とはこの感覚かもしれない。
5月25日(土)毎日新聞掲載
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