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少子化を背景に、男女別学高校の共学化が進んでいる。珍しい「県立の男子高校」出身、「男子校の伝統を守れ」と主張する生徒会長だったというRKB毎日放送の神戸金史解説委員長は、4月15日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で、複雑な気持ちを語った。
「公立」の男子校・女子校が集中する地域
4月12日、共学となった東福岡高校(福岡市、私立)には981人の新入生が入学し、うち4割余りが女子生徒でした。新入生がRKBの取材に「淡い恋とかしたいです」と言っていましたね。群馬県の男子校出身の私は、内心「いいなあ」と思っていました。
※中村学園三陽高校(福岡市、私立)は2026年度からの募集停止を決定、福岡県内から男子高校はなくなる。
母校の高崎高校は県立でした。公立の男子校は福岡県内にはありませんが、東日本の一部には、公立の男子校・女子校が並列している地域があります。私の育った群馬県(10校)と栃木県(8校)、そして埼玉県(12校)です。以前は宮城県や福島県などにもあったのですが、もうゼロになりました。

私が育ったころの群馬県には、約70校の公立高校のうち、4割弱にあたる26校が別学でした。戦後に出来た高校はもちろん共学ですが、戦前の旧制中学校・高等女学校の流れをくむ伝統校は、基本的にそのまま男女別学。「市の名前がついている県立高校」は、ほぼ全部男子校でした。高崎高校があれば、高崎女子高校もペアで存在します。さらに、高崎市立女子高のような市立女子高も各地にありました。
最高に面白かった男子校ライフ
進学志望だった私は高崎高校に進みました。当然、男ばかりです。先輩に「高校に来たら女子がいないのはおかしいじゃないですか」と言ったら、「人生で3年間、女性がいない生活があったっていいんだよ」と言われました。めちゃくちゃ格好よく見えました。3年生の時に私も、1年生から同じことを言われたので同じ言葉を返しました。
高崎高校は、自由度が高くて面白かったです。私は生徒会長をしていて「学校の伝統を守らないといけない」と思っていました。旧制中学時代から、高下駄を履いて通学する生徒がいました。私が通っていた頃は学年に1人か2人、細々残っていました。「伝統が途切れてしまう」と、私も高下駄で通いました。雪の日も素足。「生まれ変わっても高高生になる」といつも言っていたので、周りから呆れられていました。
ライバル校の前橋高校も男子校。夏の高校野球で当たった時には、生徒会報を配って、「授業に出ずに球場に集合しよう」と呼びかけたら、サボって来た生徒が60人くらいいました。先生からとやかく言われることはありませんでした。

スポーツが盛んで、ラグビー部は花園に出場したので、3年生の1月までスポーツをしているのです。みんな、好きなことを好きなようにやっていたので、前橋高校も高崎高校も、現役での大学合格率は3割程度。「現役で大学に行くのは、高校時代を楽しんでいない証拠だ」なんてほざいていました。男子校が面白かったので、将来もし共学化が議論されたら、「後輩だけがいい思いをすることは許さない」なんて言っていました。
異性観には問題が
一方で、女性との関わりが少なすぎてマイナス面もあったとは思います。女子高の文化祭に行った時は、ガチガチに緊張しました。「3年間、女子と付き合いがなかったことなどすぐに取り戻せる」と思っていたのですが、浪人すると、予備校で女子と一緒になります。もう、恋の花が咲いてしまって、勉強どころではありません。「浪人して大学に行けばいい」と言っていたのに。
一番問題だったのは、女性の美しさをどこかで偶像化してしまっていたことです。僕自身の気持ちで言えば、相手を「女性として」見ていて、深いところで「一人の人間として」見ていないのでは、と自覚したのは、40代になってからでした。男子校出身だったせいだけではありませんが、影響が全くない、ということはないでしょう。
伝統校だけが別学で残ることに
「別学王国」群馬でも共学化が進んでいます。女子校が共学化したケースが5校。女子校と男子校・共学校が統合した、共学の新高校も増えています。2025年4月に沼田女子と沼田(男子)が統合したので、10校まで減りました。
【女子高の共学化】
前橋市立女子 →市立前橋
高崎市立女子 →市立高崎経済大学附属
伊勢崎市立女子 →市立四ツ葉学園中等教育学校
伊勢崎女子 →伊勢崎清明
太田西女子 →太田フレックス
【統合して新高校に】
沼田女子・沼田(男子) →沼田
富岡東(女子)・富岡(男子)→富岡
藤岡女子・藤岡(男子) →藤岡中央
境(女子)・伊勢崎東(男子)→伊勢崎
桐生女子・桐生(共学) →桐生
吾妻(女子)・中之条(共学)→吾妻中央
前橋東商(女子)・前橋商(共学)→前橋商
残ったのは、どれも市の名前が付いている、旧制中学校・高等女学校の流れの高校ばかりです。
【男女別学のまま】
前橋女子、前橋(男子)
高崎女子、高崎(男子)
太田女子、太田(男子)
館林女子、館林(男子)
渋川女子、渋川(男子)
共学化を打ち出した県教委
私立高校も共学化が進んでいますが、「教育の独自性」から別学も十分ありだと思います。でも、公立にはいろいろな意見があります。群馬県教育委員会が2021年3月にまとめた「第2期高校教育改革推進計画」を見ると、「男女共学の推進」と明記されていて、びっくりしました。
【基本的な考え方】
男女が共に学ぶことの意義や、性差による制限のない学校選択の保障という観点に加え、性同一性障害や性的指向・性自認に係る生徒への対応の必要性などからも、男女共学化を推進していく必要があります。
https://www.pref.gunma.jp/uploaded/attachment/13716.pdf
ただし、卒業生もいっぱいいますから、「県民の理解を得ながら」と、ちょっと配慮をにじませています。
群馬県同様、共学化を方針とする埼玉県の教育委員会も2025年7~8月に、中学生・高校生・保護者それぞれを対象として「共学化に関する意見交換会」を集中的に開きます。埼玉県でも、別学は戦前からの伝統校・進学校です。
【埼玉県の別学12校】
浦和第一女子、浦和(男子)
春日部女子、春日部(男子)
川越女子、川越(男子)
熊谷女子、熊谷(男子)
松山女子、松山(男子)
鴻巣女子、久喜(女子)
浦和高校の同窓会は「別学維持」を求める意見書を県知事あてに出しています。気持ちはよく分かります。
「健児」「乙女」…校歌・応援歌はどうなる?
別学出身者として、「共学化の障害になるのでは」と思っているのが、伝統ある校歌や応援歌です。高崎高校の応援歌『翠巒(すいらん)』には、「鍛えし腕を君見よや」「進む健児の意気高し」という歌詞があります。女性が入学したら、「健児」と歌わせるのでしょうか。
よい例が福岡県にあります。黒田藩藩校からの歴史を持つ、1784年創立の福岡県立中学修猷館。戦後に共学となった修猷館高校で、校歌に当たる「館歌」には「集へる健児一千人」という歌詞があります。修猷館の卒業生は「何も考えずに、男子も女子もみな歌っていますよ」と言っていました。
では、女子校を見てみると――。
群馬県立館林女子高校の校歌には、「少女(おとめ)われらは春の草」。埼玉県の浦和第一女子高校は「清らかな空に 乙女子のゆめははてなし」。これを共学化した時に、男子が歌えるか…。ちょっと歌いにくいですね。
でも、男子には「乙女」と歌わせられないのに、女子に「健児」を歌わせるのは、よいのかどうか…。私たちの感覚、実はちょっと変なのではないでしょうか。考えてみると、奥が深い気がします。この理不尽さは、別学に潜む男性優位の思想、私たちの社会が持っている考えの現れかもしれません。こんなことを私はこの数年間考えてきました。
将来の共学化を否定しなくなった
私にとっての高校生活は、男子校以外にはありません。とても楽しくてかけがえのないものです。でも、時代が変わると、同じ校名でも中身はかなり変わっています。高崎高校では、私のころは現役合格率が30%だったのに、今は90%を超えています。少子化で、1学年405人いたのが、今では280人。間違いなく、部活動の数も、参加する生徒数も減っているでしょう。
私たちの時代にはなかった家庭科も始まっています。「私が行っていたころの高崎高校」は、もうないのです。今、私が母校で学んだら、別の学校のように感じると思います。悲しいですが、「そう思うしかない」「そう思うってよいのでは」という気がしています。
「僕らの時代が楽しかったから、同じようにそのままにしておけ」というのも、どうだろうかと思うのです。私の記憶の中には、男子校だった高崎高校の姿がしっかり残っていますが、「後輩が男子でなければ、母校ではない」とは考えていません。「裏切り者」と圧倒的多数の卒業生から言われるのは間違いないと思いますが。
でも、同世代で、私たち生徒会メンバーほど高崎高校に愛着を感じて活動していた生徒たちは他にいません。その一人が今はこう考えている、とお伝えしたかったのです。
心の奥底にずっとある「男ばかりの母校」
戦後、旧制中学・高等女学校から共学の新制高校に変わった時、当時の人たちも同じ悲しさを感じたはずです。でも、共学化しても母校。誰にでもかけがえのない高校時代、これまでに共学化した高校の関係者も複雑な思いを持ちつつ、母校が共学化するのを見守った訳です。別学がゼロになった福島県、秋田県、宮城県でも同じだと思います。「伝統校、進学校だから、別学のままで」というのは、私自身のことも考えて、「理由になっていないのでは」と思っています。
東福岡高校では、中庭で昼食をとる1年生女子を、在校生が教室からずらりと並んで見ていました。「チクショー」「なんで後輩だけ!?」と思っていたのでしょう。映像でその光景を見て、なかなか良かったです。いずれ母校が共学化して、後輩がいい思いをしてもいいですよ。
でも、私の大事な高崎高校は、心の深いところにそのままあります。それはいつまでも男子校のままです。
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この記事を書いたひと

神戸金史
報道局解説委員長
1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。