アジア太平洋戦争の末期、ソ連が中立条約を破棄して満州(中国東北部)・千島列島・樺太(サハリン)に攻め込んでから間もなく80年。日本軍から見捨てられた満州の日本人開拓村は、命を守るため未婚の娘をソ連軍に差し出した。封印された性被害を語り始めた女性たちを追ったドキュメンタリー映画『黒川の女たち』の監督が、8月5日放送のRKBラジオ『田畑竜介Grooooow Up』に出演し、RKB報道局の神戸金史解説委員長のインタビューに応じた。
テレビ朝日・松原文枝監督に聞く
RKB神戸金史解説委員長(以下、神戸): 80年前の敗戦直後に起きた性暴力の問題を描いたドキュメンタリー映画『黒川の女たち』が公開されています。監督の松原文枝さんです。おはようございます。
松原文枝監督(以下、松原): 今日はありがとうございます。
神戸: 8月2日(土)、舞台あいさつがKBCシネマ(福岡市)であり、久しぶりにお会いできてうれしかったです。番組のリスナーさんでその場にいらっしゃった方がいて、メッセージが届いています。
「篠栗のササグリーン」さん: 土曜日に『黒川の女たち』という映画を観に行きました。上映後、松原文枝監督の舞台あいさつがあり、戦争の犠牲になる女性への性暴力の史実、隠された歴史、戦争で犠牲になるのはいつも民間人だと改めて感じさせられました。
松原: 本当にうれしいです。犠牲になった彼女たちは、ずっと声を上げたかったんですよね。ようやく実名で、顔も出して犠牲の事実を語っていった。揺るぎない歴史として刻まれていった、ということをお話しさせていただいたんですが、皆さん真剣に聞いてくださっていました。すごく女性たちが喜ばれただろうな、と思います。
神戸: 松原監督のプロフィールをまだお話ししませんでしたが、実は系列違いのテレビ朝日の方です。
松原: そうなんです(笑)。ありがとうございます。
松原文枝監督 1991年テレビ朝日入社。政治部・経済部記者。『ニュースステーション』『報道ステーション』ディレクター。政治、選挙、憲法、エネルギー政策などを中心に報道。2012年にチーフプロデューサー。経済部長を経て現在、ビジネス開発担当部長。『独ワイマール憲法の教訓』でギャラクシー賞テレビ部門大賞。『黒川の女たち』のベースとなった『史実を刻む』(2019年)がUS国際フィルム・ビデオ祭で銀賞。ドキュメンタリー番組『ハマのドン』(2021、22年)でテレメンタリー年度最優秀賞、放送人グランプリ優秀賞、WorldMediaFestival銀賞など。映画『ハマのドン』がキネマ旬報文化映画ベスト・テン第3位。
神戸: 映画『ハマのドン』も拝見しました。
松原: ちょうど8月3日(日)、横浜市長選で現職が勝ちましたが、4年前に横浜でカジノが争点になり、港の親分が先頭に立って菅義偉(元総理)と戦って、勝利を収めた選挙を描きました。
神戸: テレビ朝日で取材した成果を、地上波で放送した後に、映画にしていく形です。今回の映画もよかったですね。戦後80年にふさわしい証言がたくさん盛り込まれた、重厚な作りになっていたと思います。いろいろな女性たちがおばあちゃんになって語り始める、その表情がとてもよかったです。
松原: 訴えかけるような意思の強さを、女性たちに感じるのです。「私たちに向き合ってほしい」という気持ちがものすごく感じられて、多分見ていただいた方々に気持ちは伝わるんだろうなと思いました。彼女たちは「この事実を残さなくてはいけない」という気持ちがものすごく強いなと思いました。
ソ連兵に差し出された15人の娘

神戸: 80年前の出来事です。国策のもとに実施された「満蒙開拓」で、日本各地から開拓団が満州(現・中国東北部)に向かいました。気づいたら、日本の関東軍は逃げてしまっていなかった。自分たちしかいない状況で、日ソ中立条約を破棄してソ連軍が満州に攻め入ってきます。日本が今まで抑圧していた満州人も立ち上がります。今まで君臨していた日本人は、立場が逆転してしまうわけです。自分たちの生命を守るために、岐阜県白川町黒川の開拓団(約650人)は、18~22歳までの未婚の女性15人をソ連軍に差し出すことによって守ってもらうことにしました。「性接待」と言いますが、これはまさに性暴力です。村の人々から「頼む、行ってくれ」と言われて行った女性たちが、映画の中で実名も顔も出して自らの体験を話す。こんなにしっかりと話される方々がちゃんといたことに、感動しました。
松原: よくお話してくださったと思います。性暴力を強いられたわけで、言葉にすることも自分を傷つけることになるし、なるべくなら隠したいと思うのが普通だと思うんですが、表に出して勇気を持って覚悟を持ってお話された。その気持ちを分からなくてはいけないという気にさせる女性たちです。
神戸: 日本にやっと戻ってきた後も、「あの人はお嫁に行けない体になっている」と誹謗中傷を受けていく…。村を離れなければいけない女性もいた。ずっと抱えてきたものを「きちんと語り継がないといけない」と覚悟を決めたおばあちゃんたちの中には、どこか吹っ切れたような表情をされていらっしゃる方もいました。一方、ずっとしゃべれないでいる人たちも出てきます。映画の中では非常に印象的でした。

松原: 顔を出したり実名でしゃべったりする人は、そんなにいるわけではないです。インタビューで顔も出さなかったし、実名も出せなかった方が、だんだん社会に理解されることによって、人間性を取り戻していくという過程がありました。「尊厳の回復」って、よく小説とかドラマでは語られても実際にはなかなか難しいのですが、「理解してくれる人がいることはものすごく大きいんだ」と彼女たちは示してくれたと思います。
沈黙を強いられた女性が尊厳を取り戻す
神戸: 集落を守るために、犠牲になる。お父さんが開拓団員だった遺族会会長の藤井宏之さんは戦後生まれ。自分は当時を知らないわけですが、この女性たちの尊厳を取り戻したい。私は男性の立場でその姿を見て、「立派な方だなあ」と思いました。

松原: 藤井さんは元々製材業をやっておられて、保守系の町議会議員なんですが、イデオロギーは全く関係なく自然な気持ちで受け止めて、「どうしたらいいんだろう」と考え、何年にもわたって事実を記録して、女性たちに謝罪までされたのです。親の世代がやってきたことに対して、次の世代としてきちんと受け止めて、向き合うことができるんだ、ということを彼は示したのだと思います。
神戸: それまで語れなかった女性は、「語らせてもらえなかった」面もあったのかなと思いました。「村の恥でもあり、言ってほしくない」。男たちがしてしまったことの罪深さを分かっているからこそ、女性たちに沈黙を強いた面があるのかなとも思いました。
松原: 言うこと自体も恥、と思われてしまう意識もあるし、開拓団の幹部はやはり後ろめたい気持ちもありますから、村の中で「これには触れてはいけない」「言わせない」という雰囲気があったので、上からの抑圧はとても大きかった。その中で打ち破って話されたのは相当な勇気があったと思います。

神戸: 家父長制は戦後も残っていて、沈黙を強いられた女性たちが「尊厳を回復する」過程が描かれ、映画の後半にはかなりドラマティックな展開が待っていました。あと、若いお孫さんたちが動き始めたあたりは、すごくいい。これが全て事実なのはすごいなあ、と思いました。
松原: 私も全然予想もしなくて。最初から映画にすると考えていたわけではなくて、取材をしていたらどんどんいろいろな変化が起きてきて、「こんなことって起きるんだな」と私も見せてもらいました。
神戸: テレビ朝日さん、すごいですね。放送局の系列を越えて、「目指すものがある」「気持ちは同じだなあ」と思う人のことを、僕は勝手に同志だと思っています。
松原: 神戸さんにそうおっしゃっていただいて、うれしいです。
未来につながる動きも

神戸: お孫さんが語り継ぐためにXのアカウント「佐藤ハルエの孫 黒川の女たち」(@satoharue_tunag)を作っているんですね。これも素晴らしいと思いました。それと、松原さんは8月26日に本を出すのですね。
松原文枝著『刻印 満蒙開拓団、黒川村の女性たち』 (KADOKAWA、税込み1,870円) https://www.kadokawa.co.jp/product/322502001201/
戦時下、国策により満洲に渡った岐阜県黒川村の黒川開拓団は、日本の敗戦が色濃くなる中、生きて日本に帰るためにと敵であるソ連に助けを求め、その見返りとして18~22歳の女性たちを差し出すことにした。身も心も傷を負いながらも、帰国後は差別や偏見にさらされてきたが、女性たちは手を携えて堂々と声を上げ続けた。なぜ「あったこと」は「なかったこと」にされてきたのか。歴史に残すことが何を生み出すのか――。著者はディレクターとして、映画監督として黒川に足を運び続けた。共同体が史実を認め、女性たちが尊厳を回復するまでを描くノンフィクション。
松原: この映画の背景に加え、女性たちが状況をなぜ変えることができたのか、そのまま書かせていただいています。やはり彼女たちが背負ってきたものは大きいのです。
神戸: 最後に、RKBラジオのリスナーさんに一言。
松原: 映画を作って「こんな希望があるんだ」ということを知らされました。稀有な事例だと思いますが、一つの救いでもあり、希望を感じていただけたら、と思います。
この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう
この記事を書いたひと

神戸金史
報道局解説委員長
1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。





















