田畑竜介Grooooow Up

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習近平「愚公、山を移す」を多用~毛沢東を自らに重ねる

習近平「愚公、山を移す」を多用~毛沢東を自らに重ねる

慣例を破って3期目の政権を発足させた中国の習近平氏が、共産党大会が終了した直後の10月27日「革命の聖地」を訪問した。東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長は、11月3日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で「習近平氏は、毛沢東に並ぶ存在、さらには毛沢東を超える存在になろうと、自身の権威付けを行っているように見える」とコメントした。

 

「愚公、山を移す」

中国の有名な諺(ことわざ)から、今の中国政治を読み解いてみたい。多くの日本人も知っている「愚公、山を移す」だ。

愚公という老人が、交通の便をよくするために、一族で、自宅の前にある山を、崩しはじめた。これを見た人が、その愚かさを笑ったのに対し、愚公は「子々孫々続ければ、いつかは成功する」と答えた。その志に感じた天帝(=「神様」です)が一夜にして、山を移させたという。

つまり「努力を継続することの大切さ」「その努力を神様はきちんと見ている」という意味だ。

 

日本でも知られるようになったきっかけの一つは「中国の建国の父」毛沢東が、ある重要会議で、この諺を引用したこと。

中国の内陸に陝西省・延安という町がある。中国共産党はこの延安を「革命の聖地」と位置付けてきた。共産党軍が約1万キロ以上に及ぶ行軍の末、たどり着いたのが延安で、1937年から1947年まで共産党の拠点が置かれ、ここから国民党との内戦、また抗日戦線を指揮した。

この延安で1945年、党の第7回大会が催された。この大会の閉会の挨拶で、毛沢東は「愚公、山を移す」を持ち出した。

「今、中国人民の目の前には巨大な山がある。一つの山は帝国主義、もう一つは封建主義である。中国共産党は長い間、この二つの山を崩し続ける決意を固めてきました」「我々はその決意を堅持し、休みなく働き、そして神を感動させなければなりません」

毛沢東は、帝国主義を日本に、封建主義を中国国民党に、とそれぞれ山に例えた。一方、中国共産党を愚公に例えた。どんなに敵が強力に見えても、我々が山を崩し続ければ、諺にある天帝、つまり中国人民は我々を支持してくれるのだと訴えた。

 

この第7回党大会は、毛沢東は最高位のポストの党主席に就き、党内の主導権を確立した。大きな節目の大会だった。

続投決まった直後に「革命の聖地」訪問

その第7回共産党大会が開かれた「革命の聖地」延安を、習近平氏が訪問した。今回の党大会が終了した直後の10月27日。しかも、中国の最高指導部、党の政治局常務委員6人全員を連れて、だ。

この6人は、習近平氏が地方勤務時代の部下であったり、習近平氏と密接な関係にあったりする人物ばかりだ。習近平氏に率いられて常務委員全員が「革命の聖地」を訪問したということになる。

延安は毛沢東ゆかりの地だ。老舗の企業に例えよう。今のワンマン社長が会社の取締役全員を伴って、創業者ゆかりの地を訪れる。そこでその創業者の功績をたたえ、ひいては創業者の威光を自分に利用している――。そう思えてくる。

確かに習近平氏は、「毛沢東に並ぶ存在」、さらには「毛沢東を超える存在」になろうと、自身の権威付けを行っているように見える。

発足したばかりの、共産党の最高指導部全体として、最初訪問したのが延安。実際、延安での行動をみると、大きな意味があるようだ。習近平氏らは毛沢東が暮らした横穴式の住居を視察した。ここから毛沢東は指示を発していた場所だ。第7回党大会の跡地も訪問した。

毛沢東ゆかりの施設を視察したあと、習近平氏は、延安中学校(=日本でなら、延安高校)を訪れた。この高校は1938年、延安に拠点があった中国共産党が、全国で最初に創設した高校だ。

習近平氏はこの学校で革命の伝統を発揚させ、時代に見合う新たな人材を育てるよう指示した。この学校は学業でのエリート教育の場であるとともに、共産党の歴史と深い絆を有する、シンボリックな存在だ。共産党の思想面に重点を置き、中国式の社会主義を実践する人材を育てている。ほかの高校と異なる色彩も合わせ持っている。

前回の放送で「習近平氏は父親が失脚したため、北京から遠く離れた農村で青年期を過ごした」と解説した。その場所がここ陝西省だ。15歳から22歳までを陝西省の延安北郊で過ごした。習近平氏は今回、陝西省でリンゴ栽培の様子を視察し、農民たちにこんな話をしている。

「陝西省で暮らした7年間、目にしたのは皆さんの厳しい生活だった。『どうすれば、皆さんの生活をよきものにできるのか』。そう、考えていました」

文化大革命によって、農村に追いやられ、そこで味わった辛酸が、今日の習近平氏の人格や対人関係を形成した。

まさに「自分は毛沢東ゆかりの『革命の聖地・延安』に長く居住し、毛沢東からの系譜を受け継いだ指導者だ。本流だ」という自負の表れではないか。また、今日の中国の発展に至る前の農村の実情を見続けてきた、庶民に心を寄せるリーダーでもある」とアピールしているようにも思える。

この延安訪問で習近平指導部の権威付けを狙ったとみていいだろう。なにより、習近平氏自身が、常務委員全員を連れて延安を視察した理由について「新しい指導部が延安時代の優れた伝統と行いを受け継ぎ、今後も発揮していくためだ」と説明している。この言葉からも、党の歴史を重視する習氏の姿勢が表れている。

毛沢東に自身を重ね合わせようとしている習近平氏

さて、最初の話。毛沢東が延安での演説で、引用した「愚公、山を移す」に話を戻そう。

習近平氏本人は、この「愚公、山を移す」をあちこちで引き合いに出している。今回の地方視察最終日には1960年代に完成した水利プロジェクトの記念館を視察した。この地域は歴史的に深刻な干ばつで悩まされていたが、現地の住民ら10万人が、1250の山を切り崩し、200以上のトンネルを掘って10年の歳月をかけ、用水路を完成させた。習近平氏は視察したあと、こう述べている。

「物質面での生活は大きく改善したが、『愚公、山を移す』の精神は不変である。ここには教育的な意義があり、皆が見学に訪れるべきだ」

実は、毛沢東も延安で過ごした日々を経て、中国を建国したのちも、この「愚公、山を移す」を引用し、国民を鼓舞した。習近平氏もこれまで、さまざまな場で、「『愚公、山を移す』、この精神を広く推進していこう」と強調している。そして、こう続ける。

「13億の中国人民が、これら偉大な精神を発揚し続けさえいれば、我々は必ずや『中華民族の偉大な復興』を成し遂げられる!」

「中華民族の偉大な復興」。「アヘン戦争以来、屈辱の歴史を味わってきたという中華民族の誇りを取り戻す」――これは、習近平氏が掲げるスローガンだ。やはり、毛沢東に倣い、そして、自らを毛沢東に重ね合わせる。その手法の一つが、この諺に思える。

われわれ日本人もよく知っている諺が、中国共産党の思想教育や、精神主義の紅葉の道具に使われている。この「愚公、山を移す」を通して、新しい段階に入った習近平時代をウオッチしていきたい。

 

 

飯田和郎(いいだ・かずお) 1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。

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