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人口減少と経済失速で中国「暗黒の時代」がよみがえる!?

中国が人口減少に転じた。さらに経済の失速も改めて明らかになった。東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長がRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で、権力者の野心に対する警鐘になるのではないか、とコメントした。  

人口減少に加え経済も失速

中国の2022年の出生数は956万人。政府は「一人っ子」政策に代表される産児制限を、事実上廃止したが、少子化に歯止めがかからない。その一方で、死者数は前の年に比べ27万人増え1041万人だった。死者数が出生数を上回ったため、昨年末時点で総人口が減少に転じた。人口の減少は1961年以来。

 

その中国では、経済の失速も改めて明らかになった。政府が設定した目標が5.5%前後だったのに対し、2022年の実質成長率はそれを大幅に下回る3.0%だった。新型コロナの存在が確認されてから3年。流行が始まった2020年の実質成長率は2.2%だったが、この年を除けば、1976年以来の低水準となった。

 

中国経済を支えてきたのは輸出だ。その輸出に急ブレーキがかかっている。2022年10~12月、ドル建ての輸出額は前年の同じ時期に比べて7%減と、2年半ぶりのマイナスだった。特に気になるのが、実質成長率は2022年7~9月は3.9%だったが、直近の10~12月は2.9%。減速基調が明白だ。

 

中国の統計数字は「信用できるのか」「できないのか」という議論がある。ただ、政府目標の5.5%前後から大きく割り込む3.0%となれば、数字の操作、調整を疑うレベルではない、ということだろう。

かつての人口減や経済の低水準の要因は?

人口減、経済の失速。ここまで、2つの数字を紹介した。私は「〇〇年以来」の説明から、さまざまなことを想起してしまう。「人口減少は1961年以来」、そして「実質成長率はコロナ流行初期(=2020年)を除いて1976年以来の低水準」の2つについて、詳しく解説しよう。

 

まず「人口減少は1961年以来」から。今から62年前の1961年、中国は「大躍進」という運動を、国を挙げて推進していた。毛沢東が指導した、急進的な社会主義を建設する運動のことだ。1958年に始まり、1960年代にかけて大々的に行われた結果、国全体が大混乱に陥った。

 

たとえば、国家目標として「向こう15年間でイギリスに追い付き、追い越せ」という号令がかけられた。生産力を飛躍的に増大させようと、達成不可能な目標を掲げ、無理をかさねた。その方法が極めて稚拙だった。国家の力を象徴する「鉄」をどんどんつくろうと、鉄鋼生産運動が展開された。きちんとした製鉄所を建設するわけではなく、人々が庭先や畑に、土で炉を競うようにつくった。技術も知識もない。当然ながら、粗悪な鉄製品(=鉄もどき)しかできない。

 

原料にしたのが、家々にあった鉄の瓶や鍋。生活に必要な品を炉に投げ込むので、わずかな財産がどんどんなくなっていった。一方、農民たちは、この粗悪な鉄製品づくりに熱中し、田畑をほったらかしにした。そうなると農村は荒廃し、農業生産量=食糧生産量は大きく落ち込む。

 

悪いことは重なる。1959年からは自然災害に襲われた。蜜月だったソビエトとの関係も悪化した。ソ連が中国に派遣していた技術者が帰国し、技術協力のプロジェクトは破棄された。「大躍進」運動の大失敗によって、中国全土で1500万~2000万の餓死者が出た。2022年の人口減少は、「大躍進」運動が失敗し、多数の餓死者を出した1961年以来、ということになるわけだ。

 

もう一つの「実質成長率が、コロナ流行初期を除いて1976年以来の低水準」だが、1976年という年は、中国全土を未曾有の混乱に陥れた権力闘争「文化大革命」の末期にあたる。当時の記録映像や映画、ドラマなどで知っている人も少なくないだろう。毛沢東の号令によって、急進的な若者たち、いわゆる紅衛兵が動員され、すでにある価値観を否定し、ひっくり返した。多くの政治指導者が失脚したほか、暴力や、自ら命を絶つことで、学者や一般の市民から多数の死者を出し、中国社会に深刻な傷を残した。

 

その毛沢東が世を去ったのが1976年である。毛沢東の死、そして、いわゆる「四人組」が逮捕され「文化大革命」はようやく終わった。中国はその後、鄧小平による「改革・開放」の道を歩むのだが、毛沢東による政治運動、権力闘争である文化大革命は、「重大な誤り」として全面否定されている。

 

「コロナの流行初期を除き、実質成長率は1976年以来の低水準」――。「文化大革命」の混乱によって、当時はまだ脆弱だった中国の経済は大打撃を受けた。文化大革命で、中国が疲弊しきっていたのが、この1976年。新型コロナの影響が大きいとはいえ、2022年の実質成長率の3.0%がいかに深刻な数字だとわかるだろう。

中国の「負の記憶」「暗黒の時代」がよみがえった?

「大躍進」運動と「文化大革命」。今年で建国74年になる中華人民共和国、中国共産党が指導する中国の歴史の中で、この二つの出来事は「負の記憶」であり「暗黒の時代」でもあった。その「暗黒の時代」の中で、記録された出生数、経済成長率が、1月17日に発表された統計で「よみがえった」と言えるのだろうか?

 

もちろん、中国は二つの「暗黒の時代」に戻ることはないだろう。ただ、人口減少は一時的な要因ではなく、この傾向は続くだろう。そして、人口減少と連動し、経済もかつてのような高度経済成長は望めない。

 

「大躍進」運動と「文化大革命」。どちらも毛沢東の時代だった。自らが号令をかけた「大躍進」運動の失敗によって、政治の第一線から引かざるを得なかった毛沢東が、復権・権力奪回を目指して仕掛けたのが、「文化大革命」。だから、この二つは連動している。

 

現在のリーダー、習近平主席は、毛沢東を強く意識している。たとえば、2022年秋の共産党大会を経て、3期目に入った。その直後に新しい最高指導部メンバーを引き連れて、革命の聖地(陝西省延安)を訪れた。習氏はそこで「先輩が残した伝統と行いを受け継ぐ」と強調。自身が毛沢東に並び立つ存在でありたいと考えているようにもみえる。

 

権力が個人に集中し、その個人が暴走した毛沢東時代への反省から、中国は集団指導体制を大切にした。一人の権力者の野心が、巨大国家を誤った方向へ導く。「人口減少は『大躍進』運動以来」、そして「経済成長は、コロナの流行初期を除き、『文化大革命』以来の低水準」だったのは、そんな権力者の野心に対し、警鐘を鳴らしているようにも思えるのだ。

◎飯田和郎(いいだ・かずお)

1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。
 

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