SDGs 「悲劇の記憶」を「平和への意欲」に 福岡・油山観音
ニュース
<リード>
6月はRKB70周年を記念した「カラフルマンス」として、SDGs=持続可能な開発目標への様々な取り組みを紹介しています。
今回は16番「平和と公正をすべての人に」です。
福岡市城南区の油山観音にある4体の地蔵。
「悲劇の記憶」を「平和への意欲」に変えるシンボルにという思いが込められています。
<VTR>
記者リポート「処刑された米兵を供養するために、4つの地蔵が置かれています。そして今日、ここで慰霊法要が行われます。」
6月20日、福岡市城南区の油山観音で営まれた法要。
戦争中、福岡で処刑された米兵捕虜を慰霊するものです。
地蔵の前で手を合わせているのは、冬至克也さんです。
インタビュー
冬至さんの父・堅太郎さんは、地蔵の数と同じ、4人の米兵に手をかけました。
事件が起きたのは福岡市の中心部、陸軍西部軍司令部の近くです。
76年前の1945年6月19日。
米軍爆撃機B29による攻撃で、福岡の街は焦土と化しました。
この空襲で、堅太郎さんは最愛の母ウタさんを失います。
その翌日、九州各地から集められていた、B29の搭乗員を処刑する現場に遭遇し、自分で志願して米兵捕虜1人を殺害。
命令に従って、さらに3人に軍刀を振り下ろしました。
戦後、戦犯として裁かれた堅太郎さんは、死刑の判決を受けたものの、のちに減刑され、出所までの10年間をスガモプリズンで過ごしました。
今回の法要にはアメリカ側からも参加があり、処刑されたうちのひとり、ロバート・アスピナル曹長の息子ラリーさんから寄せられた言葉が紹介されました。
インタビュー
終戦の年、1945年の5月以降、西部軍が関わって処刑した米兵捕虜は、約40人に上ります。
インタビュー
ふるさと、福岡に帰ってきた堅太郎さんは、米兵を供養するために自宅に4体の地蔵をまつり、堅太郎さんの死後、克也さんから油山観音に託されました。
勝った国が負けた国を裁く戦犯裁判。
米軍による日本への無差別爆撃が裁かれることはありません。
インタビュー
極限状態の中で、何の恨みもない人達が命を奪い合う戦争。
克也さんは、この4体の地蔵が「平和のシンボル」になればと話します。
インタビュー
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