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「伊豆の踊子」100周年:中国の川端康成研究と日中交流の現在地

飯田和郎

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東アジア情勢に詳しい、元RKB解説委員長で福岡女子大学副理事長の飯田和郎さんが、5月25日放送のRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演。ノーベル文学賞を受賞した川端康成の代表作「伊豆の踊子」発表100周年を機に見る、中国での日本文学研究の現在地と、冷え込む日中関係の現状について解説しました。

日本人初のノーベル文学賞作家・川端康成と「伊豆の踊子」

普段は中国や台湾の外交や内政を主に取り上げていますが、今回は「日本の文化」、その中でも「日本文学」についてお話しします。私が日本文学を語るというのは専門外なのですが、実はこの話題が、冷却化したままの日中関係を語ることにも繋がっていくのです。

まずは、日本を代表する作家、川端康成の話から始めましょう。川端康成は1968年(昭和43年)、日本人として初めてノーベル文学賞を受賞しました。ノーベル賞各賞を見ても日本人として3人目の受賞者であり、文学賞に限れば川端と大江健三郎の2人だけです。

数ある川端作品の中でも、今回取り上げるのは「伊豆の踊子」です。小説を読んだ方も多いでしょうが、私の世代では、山口百恵さんが踊り子の少女役を、三浦友和さんが学生を演じた映画(1974年)の影響が大きいかもしれません。この作品は実に6回も映画化されており、もう少し上の世代なら、吉永小百合さんが踊り子役を演じた作品(1963年)の印象が強いのではないでしょうか。

小説の舞台は伊豆、時は大正末期です。伊豆を旅する一高生が旅芸人一座と出会い、孤独に悩む旧制高校生と一座の踊り子の少女との淡くはかない恋、そして旅情を描いています。川端作品を代表し、同時に日本文学を代表するこの「伊豆の踊子」が「文芸春秋」で発表されたのは1926年のことでした。今年はちょうど100周年にあたります。

茨木市の川端康成文学館で出会った中国人留学生

主人公が踊り子の姿を描写する、このような一節があります。

「踊子は17くらいに見えた。私には分からない古風の不思議な形に大きく髪を結っていた。それが卵形の凛々しい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和していた。髪を豊かに誇張して描いた、稗史的(はいしてき)な娘の絵姿のような感じだった」

「稗史的な娘の絵姿」とは、庶民の間で流行る絵に登場するような娘の姿かたちだった、ということです。

川端康成は大阪の生まれで、現在の大阪府茨木市で育ち、茨木の旧制中学に通いました。その縁で、茨木市内には市立の「川端康成文学館」があります。川端の書いた数多くの本ほか、万年筆で原稿用紙に記した小説原稿などの遺品が展示されています。「伊豆の踊子」発表100周年ということで現在特別展が開かれており、先日私もこの文学館を訪ねました。

そこでお話ししたいのが、文学館で出会った中国人の女子留学生のことです。首都圏の大学に留学している彼女は日本文学、とりわけ川端文学に魅了され、川端に関する論文を執筆しているといいます。この文学館で「伊豆の踊子」100周年展が開催されていると知り、わざわざ大阪までやってきたと話していました。

外国人が感じる「癒し」と、中国における日本文学研究

彼女が川端康成の文学のどこに惹きつけられているのか。非常に興味深いことを話してくれました。「非常に繊細な表現。情景描写の細やかさだけではなく、日本人の心情の本質が表現豊かに描かれている」と。同時に、「外国人である自分たちは、その描写の一場面一場面に『癒し』を感じる」とも語っていました。

川端はスウェーデンで行われたノーベル賞授賞式で「美しい日本の私」というタイトルで記念講演を行い、日本人の死生観、禅の精神、そして自然と共生する美意識を世界に紹介しました。中国における川端康成研究は、単に作品の分析にとどまりません。川端作品を通して、日本人の思考形成、ものの考え方、生き様を知ろうという試みなのです。

川端康成は1972年に自ら命を絶ちました。川端の死から50年を経過したことで、中国では川端作品の著作権の保護期間が切れ、中国語版での出版が自由になりました。日本の保護期間は作者の死後70年ですが、中国はそれより20年短いのです。

作品の著作権切れが川端作品の再ブームに繋がった面もありますが、中国語版の情報サイトには川端本人や「伊豆の踊子」「雪国」などの代表作について詳細に紹介されており、ブームに左右されない根強い人気があります。

停滞する日中交流と互いを知る機会の喪失

しかし、文学館で出会った中国人留学生は、こんな話もしていました。「同じく日本文学研究を志す後輩たちが、今は日本へ留学できる雰囲気ではない」と。

台湾有事を巡る高市発言以降、中国は「日本は危ないから、留学や旅行で渡航しないほうがいい」というキャンペーンを今も続けています。インバウンドに期待する日本にダメージを与えようという狙いですが、学術や学生交流においても、研究者や学生の派遣に対して当局の許可が出されず、大学も当局に忖度して派遣許可を出さない状態が続いています。

それは「日本を知る行為」を中国当局が国民から奪うものでしかありません。「相手を知る」という行為は本来なら、自らを利するはずなのですが。

一方の日本から中国への交流も停滞しています。日本の学生は身の危険を恐れて中国へ渡りません。研究者も、とりわけ中国近現代史の研究者は、中国側の研究者との学術交流や中国国内での資料探しが「スパイ行為」とみなされることを恐れています。「日本を知ろうとする中国人」と「中国を知ろうとする日本人」、それぞれに悪影響が出ています。

研究者に限った話ではありません。最近でこそ減ってしまいましたが、中国人インバウンドも、日本の観光地巡りやグルメだけが目的ではないはずです。例えば文化というカテゴリーにおいては、日本発のアニメを通して、作者である日本人の考え方を探ろうという側面もあるように思えます。日本人や日本の精神を知り、自分たちと同じ部分、異なる部分を見分けているわけです。

ノーベル賞作家、川端康成の代表作「伊豆の踊子」が発表からちょうど100年を迎えました。中国では今も川端作品に根強い人気があり、それは作品を通して日本や日本人を知る前向きな行為にも繋がっています。大阪の川端康成文学館で出会った中国人留学生の姿を思い出すたび、日中関係の現状は互いにダメージが大きいと感じてしまうのです。

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この記事を書いたひと

飯田和郎

1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。2025年4月から福岡女子大学副理事長を務める。